第60話『まちがいさがし』

 マスバーガーの従業員用の出入口を開けると、そこにはサクラや一紗だけでなく、志気さんや浮須さんの姿も。昨日、卒業アルバムで浮須さんの顔写真は見ていたけど、実際に見てみるとより凜々しさを感じる。一紗よりも高身長だ。

 俺は杏奈と一緒にお店の外へ出る。それと同時に、サクラと一紗は俺達の側まで来た。

 杏奈が姿を現したからだろうか。志気さんと浮須さんは微笑む。


「ひさしぶりだね、杏奈」


 浮須さんが優しい声色で話しかける。その瞬間、杏奈は体をビクつかせた。ひさしぶりだから緊張しているのだろうか。それとも、志気さんと浮気しているのが分かったときのことを思い出しているのだろうか。

 ふぅ……と長く息を吐くと、杏奈は浮須さんに視線を向ける。


「……そうだね。葵ちゃんと話すのはあの日以来かな。昨日は陽菜ちゃんと会ったけど、今日はどうして2人一緒に?」

「陽菜が杏奈にお願いしたいことがあるから。陽菜だけよりも、私が一緒にいた方がまだ言いやすいかと思って。私も杏奈に1年前のことを改めて謝りたいって思っていたし」

「……そう」


 そういえば、昨日会ったときも志気さんは杏奈に何か言いたそうにしていたな。お願いしたい内容が気になるけど、それもすぐに分かることか。


「ところで、杏奈。一緒にいる人達は? 陽菜から、男の人は高校とバイトでの先輩だって聞いているけど」

「そうだよ。女性2人も高校の先輩。みんなには2人とのことを……いや、一紗先輩には話していないですね」

「ごめん、杏奈ちゃん。志気さんと浮須さんがここにいるのを見つけたとき、簡単にだけど一紗ちゃんに1年前のことを話しちゃった」

「そうでしたか。いいですよ、気にしないでください」

「……その話を聞いて、気分が結構悪くなったわ」


 視線を鋭くして、一紗は志気さんと浮須さんのことを見る。半年以上の間、浮須さんは志気さんと隠れて交際していたからな。それを聞いたら、気分が悪くなるのも致し方ないか。

 一紗に鋭い視線を向けられても、志気さんと浮須さんは特に不快な様子は見せない。


「ここにいる先輩方は、2人のことはもちろん、1年前にあたしに何をしたのか知ってる。だから、一緒にいてもいいよね?」

「……いいかな? 陽菜」

「うん、いいよ」

「じゃあ、場所を変えないか? ここだと、マスバーガーの従業員の邪魔になっちゃうから。この近くに落ち着いて話せる場所があるんだ」

「あたしはかまいません。陽菜ちゃん、葵ちゃんもいいよね?」


 杏奈がそう問いかけると、2人とも「分かりました」と言って首肯した。

 それから、俺を先頭に目的地に向かって歩いていく。俺達6人の間で会話が交わされることはない。ただ、美少女5人が一緒に歩いているからか、こちらを見ながら話す人もいる。


「ここだ」


 俺が言った「落ち着いて話せる場所」とは……四鷹こもれび公園。俺とサクラにとってはおなじみの場所である。日曜日のこの時間帯なので、遊んでいる子供達や家族連れはいるけど、結構広い公園なので落ち着いた雰囲気だ。

 公園の端の方にはテーブルベンチがある。運良く空いていたので、俺はそちらに案内し、杏奈を志気さんと浮須さんと向かい合うようにして座らせた。俺を含む2年生は杏奈の後ろに立つ。


「じゃあ、本題に入ってくれ。とりあえず、俺達は見守っていよう」


 サクラと一紗に視線を送ると、2人ともゆっくりと頷いた。

 過去に3人の間に何があったのか知っているのもあり、3人を取り巻く空気がとても重い。杏奈はもちろんだけど、志気さんも浮須さんもなかなか話し始めようとしない。

 3人が話しやすくなるように、俺がフォローした方がいいだろうか。そう思って口を開こうとしたときだった。


「……杏奈。まずは改めて陽菜に浮気したことを謝りたい。本当にごめんなさい」

「……私からもごめんなさい。杏奈ちゃん」


 志気さんと浮須さんは深々と頭を下げる。そんな2人のことを、杏奈は何も言わずに真剣な様子で見続けている。

 顔を上げて、などといった言葉もなく、志気さんと浮須さんが頭を下げたまま静寂の時間が過ぎていく。


「……謝意があることは分かったよ。それで、陽菜ちゃんがあたしにお願いしたいことって何なの?」


 昨日、志気さんと会ったときほどではないけど、杏奈の声は低くて重みがあった。つい20分ほど前まで、元気に明るく接客していた人と同一人物とは思えないほどに。

 志気さんと浮須さんはゆっくりと頭を上げる。チラリと見る志気さんに浮須さんはゆっくりと頷いた。

 気持ちを整えているのか、志気さんは右手を胸に当て一度、長く息を吐く。杏奈のことをしっかりと見て、


「……杏奈ちゃんと友人としてやり直したい。そのチャンスをいただけませんか。それをお願いしたくて杏奈ちゃんに会いに来ました」

「やり直す……?」


 依然として低い声で杏奈はそう言う。志気さんは真剣な様子で杏奈を見つめて、「うん」と首肯する。


「私のしたことは、それまでに作り上げてきた杏奈ちゃんとの信頼を一瞬にして崩すことだった。縁を切られたのは当然だと思ってる。ただ、そのことで、杏奈ちゃんが自分にとって大切で大きな存在なんだって実感して。私のせいで負ってしまった杏奈ちゃんの心の傷を、私が癒えさせたい。杏奈ちゃんと楽しい時間を一緒に過ごしたい。凄く身勝手で、わがままなことは分かってる。だから、今まで言う勇気が出なくて、高校生になっちゃったけれど。お願いします」

「私からもお願いします。もちろん、私とは縁切りのままでいいから。陽菜にはチャンスを与えてあげてください」


 志気さんと浮須さんは再び杏奈に向かって深く頭を下げた。

 杏奈への志気さんのお願いは、もう一度友達としてやり直したいということだったのか。きっと、昨日、四鷹駅の改札前で会ったときにも、それを言おうとしていたんだろう。ただ、昨日の杏奈の反応を受けて、浮須さんにフォローしてもらおうと思ったのだろう。

 志気さん自身が言うとおり、身勝手でわがまま印象もある。

 ただ、俺にはサクラにひどいことを言って、3年間も距離があった経験がある。だから、その人と離れたことで、存在の大きさや大切さを知ったことや、また一緒に楽しい時間を送りたいと思う気持ちは理解できる。


「杏奈も思っていることを言っていいんだよ」


 俺がそう言うと、杏奈は俺の方をチラッと見て頷いた。まずは杏奈の答えを聞こう。

 それからも少しの間、無言の時間が流れる。そして、


「友達としてやり直すチャンスなんてないよ、陽菜ちゃん。これからもずっと」


 決して大きい声ではなかった。それでも、力強さは感じられ、今の言葉が杏奈にとって揺らぐことのない決意であると分かる。


「陽菜ちゃんが言ったとおり、半年以上、葵ちゃんと隠れて付き合っていたことは、友達になった小4から積み上げた信頼を崩すことだったんだよ。陽菜ちゃんのことが親友として大好きだったから、裏切られた気分にもなったの。だから、縁を切った。葵ちゃんを好きになるのはかまわないよ。でも、あたしに隠れて付き合うなんてことしちゃダメだよ……」


 両目から大粒の涙を流し、たまに声を震わせながら杏奈は言う。

 きっと、志気さんが浮須さんに告白し、彼女と付き合った瞬間から、杏奈との友人関係をやり直すチャンスはなかったのだろう。


「それに、2人のせいで傷つけられた傷は一生残ると思う。でもね、あたしには同級生の友達はたくさんいるし、四鷹高校でもできた。ここにいる大輝先輩、文香先輩、一紗先輩を含めて素敵な先輩方とも繋がれた。だから、陽菜ちゃんと友達にならなくても、これからも楽しい生活を送れると思う。キツいことを言うけど……あなたは必要じゃない。あなたと関わらないことが一番心が癒えると思う。それは葵ちゃんにも言えること。これからも、あのときのことを思い出して、苦しむことがあるかもしれないけど」


 あなたは必要じゃない。

 あなたと関わらないことが一番心が癒える。

 痛烈なその言葉が志気さんの心に突き刺さったのだろう。志気さんは悲しげな表情を浮かべて、涙を流す。

 名前を言われたからか、一紗は杏奈の右肩に手を添え、サクラは頭を優しく撫でる。そんな2人に倣って、俺も杏奈の左肩にそっと手を乗せる。このことで杏奈の気持ちが少しでも安らぐと嬉しい。

 杏奈はゆっくりと振り返り、微笑みながら俺達のことを見てくる。右手で涙を拭い、志気さんと浮須さんに向けて力強い視線を送る。


「陽菜ちゃん。葵ちゃん。あたしは2人がしたことを一生許さない。もう二度とあたしに関わらないで。それが2人への罰だよ。あと、あたしのように一緒にいて楽しくなれる人との繋がりを作りなさい。それが元親友から、元恋人から最後に言いたい言葉。……さようなら」


 杏奈の放った「さようなら」はとても悲しく、儚く響いた。

 杏奈の想いを理解したのか、志気さんと浮須さんは特に怒る様子は見せない。ただ、ショックもあってか、志気さんの方は俯いているが。彼女達はゆっくりとベンチから立ち上がった。


「自分の考えが凄く甘いんだって分かったよ。ごめんなさい、杏奈ちゃん。あと、今日は私達のために時間を割いてくれてありがとう。……さようなら。あたしが言っていいのか分かりませんが……みなさん、杏奈ちゃんのことをよろしくお願いします」


 真剣な様子で俺達のことを見ながら志気さんはそう言い、深く頭を下げる。杏奈から友人としてやり直すことも、関わることさえも拒絶されてしまったのに、こうして杏奈のために頭を下げられるとは。杏奈への想いが真摯なのは確かなのだろう。


「分かった。ただ、杏奈の言葉を胸に刻んで、杏奈の願いをどうか守ってほしい」


 代表して俺がそう言うと、志気さんはゆっくりと顔を上げる。依然として真剣な表情を顔に浮かべている。


「分かりました」

「私も守ります。……さようなら、杏奈。失礼します」


 一礼すると、志気さんと浮須さんは四鷹こもれび公園を後にした。2人の後ろ姿はとても寂しげに見えた。

 杏奈は志気さんと浮須さんが去っていく姿を見ず、座ったままうつむいている。


「これで終わったかな……」


 そう言う杏奈の表情はスッキリとしているように見えた。杏奈にとって、これで一件落着なのかな。俺はそんな彼女の頭を優しく撫でる。


「お疲れさん、杏奈」

「ありがとうございます。先輩方が側にいてくれたから、2人に自分の想いを伝えることができました。本当にありがとうございました」


 杏奈はベンチから立ち上がり、俺達に向かって深く頭を下げた。


「杏奈のためになったなら良かったよ」

「そうね。杏奈さんが私達のことを素敵な先輩だって言ってくれたのが嬉しかったわ」

「私も同じことを思った」

「……えへへっ。これからもよろしくです」


 はにかむ杏奈。自分が言ったときにはあまり照れくさくなくても、後から言われると照れくさくなってしまうことってあるよな。


「1年前は2人から事情を聞いて、葵ちゃんと別れること、陽菜ちゃんと縁を切ると言っただけで、今日のようには言わなかったんです。だから、きっと……もう2人と関わることはないでしょう。もし、学校の先輩とかと一緒にマスバーガーに来てしまったら、そのときはあくまでも店員として対処しましょう」

「そのとき、俺も一緒にカウンターにいたらサポートするよ」

「はいっ、よろしくお願いしますね!」


 敬礼ポーズをしながら、杏奈はようやくいつもの明るくて可愛らしい笑顔を見せてくれる。そのことにサクラや一紗も嬉しそうだ。

 これからも学校とバイトの先輩として、杏奈の力になれるように頑張ろう。


「……あんな2人でしたけど、特に陽菜ちゃんは最後にあたしへプレゼントしてくれた気がします」

「プレゼント?」

「はい。……勇気を出して想いを伝えることです」

「想いを伝えること……」


 オウム返しのように俺が言うと、杏奈は微笑みながら首肯した。


「きっと、陽菜ちゃんはあたしにどんな反応をされるか怖かったと思うんです。昨日、あたしに激しく拒否られましたし。勇気の要ることだったと思います」


 確かに、あのときの杏奈は別人とも思えるほどに怒りを露わにしていた。そんな彼女を見て、俺も少し怖く感じたほどだ。あの姿を見たら、友人としてやり直したいって言うのはかなりの勇気と覚悟が要るだろう。


「でも、葵ちゃんの力を借りながらも勇気を出して、友人としてやり直したいとあたしに伝えた。その行動は凄いし、大切だと思います。そんな陽菜ちゃんの姿を見て、あたしも勇気を出して伝えたいって思えたんです。いつまでも心に秘めていたら……自分にとっての幸せを掴めるチャンスはいつまでも訪れないと思いますから。失敗してしまうかもしれないと思うと怖いですけど。そもそも、こんなタイミングで言っていいのか分からないですけど」


 杏奈のその言葉はとても力強くて、心が震える。年下とは思えないほどに彼女が立派な人に思えた。


「大輝先輩。あなたに伝えたいことがあります」


 杏奈は俺の方を向き、顔を赤くして俺のことを見つめてくる。そんな彼女がとても可愛らしくて、自然と心が温かくなっていく。


「大輝先輩のことが好きです」

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