第57話『後輩の中学時代』
サクラと俺は杏奈の後をついて行く。北口の方も、方向によっては少し歩くだけで閑静な住宅街に入るのか。
志気さんとのこともあってか、杏奈の自宅に着くまでの間、杏奈が道案内をするとき以外は何も言葉を交わさなかった。
「ここです」
四鷹駅の北口を出てから数分。
俺達はベージュを基調とした外観の一軒家の前で立ち止まった。表札を見ると、そこには『小鳥遊』の文字が。
「素敵なお家だね」
「ああ。落ち着いた感じがしていいな」
「ありがとうございます。どうぞ」
俺はサクラと一緒に杏奈の自宅にお邪魔する。
家の中は薄暗くて、とても静かだ。杏奈の話によると、ご両親はひさしぶりに夜までデートするらしい。お兄さんの小鳥遊先輩は、大学の講義とサッカーサークルの集まりがあるため、帰宅するのは早くても午後5時近くになるそうだ。
サクラと俺は杏奈の部屋に通され、テーブルの周りにあるクッションに隣り合う形で座る。
杏奈はコーヒーを淹れるために一旦、部屋を出た。
「可愛い部屋だよねっ」
サクラは興味津々そうに部屋の中を見渡している。
俺も部屋の中を見てみると……今座っているクッションや寝具のカバー、ノートパソコンなどの色は暖色系が多い。他にも黄色、淡い水色など柔らかな色で統一されている。
あと、ベッドの上には犬や猫のぬいぐるみがいくつも置かれている。そのため、部屋の雰囲気は温かくて可愛らしい印象だ。
年下の女の子の部屋は親戚以外だと初めてなので緊張する。杏奈の匂いが感じられるのでドキドキもしてきて。先日、肩を揉んでもらおうとした際に、杏奈が倒れてきたときのことを思い出した。
「お待たせしました。アイスコーヒーを持ってきました。あと、クッキーがあったので持ってきました」
「ありがとう」
「ありがとう、杏奈ちゃん」
杏奈はクッキーの乗ったお皿とアイスコーヒーの入ったマグカップをテーブルに置くと、俺達と向かい合う形で座った。
俺はさっそく杏奈の淹れてくれたアイスコーヒーを一口飲む。サクラはクッキーを食べており、サクサクと美味しそうな音が聞こえてくる。
「コーヒー美味しいな」
「クッキーも美味しいよ!」
「……良かったです」
杏奈はコーヒーを一口飲むと、ふぅ……と長く息を吐く。そして、しんみりとした笑顔で俺達のことを見てくる。志気さんのことを話してくれるのかな。そう思うと自然と背筋が伸びる。
しかし、それから無言の時間が流れる。いざ話そうとすると緊張してしまうのだろうか。杏奈は笑顔を見せるものの、視線は散漫になっていた。
そんな中、アイスコーヒーの氷が動いたのか、カランと涼しい音が響く。まるでそれが合図であったかのように、杏奈がゆっくりと口を開いた。
「陽菜ちゃんは親友だった子です。小学4年生のときに初めて同じクラスになったのをきっかけで仲良くなりました。中学1年生まで同じクラスで、その内に親友と呼べる仲になったんです。お互いの家で遊んだり、四鷹駅周辺に遊びに行ったりすることもありました。夏休みなどにはお泊まりすることもありましたね」
「そうだったんだね」
「中学2年生になって、陽菜ちゃんとは初めて別のクラスになりました。そのタイミングで、別の女の子と初めて同じクラスになりました。
「浮須葵ちゃん……か。その子ってどんな雰囲気の子なのかな?」
「……ちょっと待ってくださいね」
杏奈はゆっくりと立ち上がって、本棚の方に向かう。
本棚をよく見ると少女漫画を中心にたくさんの漫画やラノベが入っている。中にはサクラの本棚や、引っ越す前の姉さんの本棚にもあった漫画もある。
杏奈は一番下の段の中から、背表紙が紺色のアルバムらしきものを取り出す。卒業アルバムとかかな。
淡い水色の三方背ケースからアルバムらしきものを取り出すと、杏奈はそれをゆっくりと開く。その際に『未来』や『武蔵原市立武蔵南中学校』という文字が見えた。杏奈の母校の中学校の卒業アルバムだと思われる。
「……ありました。ちなみに、これは中学の卒業アルバムです」
杏奈はアルバムを開いた状態でテーブルの上に置く。そのページには3年1組の生徒と担任教師の写真が載っていた。そこには杏奈と志気さんの写真はない。
「この子が浮須葵ちゃんです」
杏奈は指さした写真には、凜々しい顔立ちと、ポニーテールにした焦げ茶色の髪が印象的な女子生徒が映っていた。
「かっこよさそうな女の子だね!」
「そうだな。雰囲気が少し小泉さんに似ているね」
「確かに。スポーツをしていそう雰囲気だね」
「正解です、文香先輩。葵ちゃんはバスケをやっていて、中学時代は女子バスケ部に入っていたんですよ」
「そうなんだね。……中学2年になったら、志気さんとは別のクラスになって、この浮須さんと同じクラスになったんだ。この子と何かあったの?」
サクラがそう問いかけると、杏奈は「ふっ」と口角が少しだけ上げて、
「一時期、付き合っていたんですよ」
元気のない声でそう言った。
一時期付き合っていた……ということは、今はもう浮須さんとは別れているのか。そのことに志気さんが関係しているのだろうか。
「杏奈ちゃんと浮須さんはお付き合いしていたんだ」
「はい。あたしから告白して、葵ちゃんと付き合いました」
杏奈から告白したのか。いつも快活なのでそれも納得かな。
「気になったきっかけは、教室の中で葵ちゃんの明るくて爽やかな笑顔を間近で見たことでした。お友達になって、色々と話す中で共通の漫画やアニメ、芸能人が好きだって分かって。それらのことを話すのが本当に楽しくて。もっと一緒にいたいと思ったので、夏休みの前に告白したんです。恋人同士になった状態で、夏休みをスタートすることができました。プールや夏祭りに行ったり、葵ちゃんの家でお泊まりしたり、宿題を手伝ったり。中2の夏休みはとても楽しかったです」
そう言う杏奈の顔はほんのりと赤らんでおり、柔らかな笑みが浮かんでいた。志気さんと過ごした中2の夏休みが本当に楽しかったことが分かる。
「秋の合唱祭や体育祭。冬のクリスマス。年を越してバレンタインデー。春になって3月に迎えたあたしの14歳の誕生日。それらのイベントでは葵ちゃんと一緒に過ごして、楽しんで。クリスマスやバレンタインデーは素敵なプレゼントを贈り合って。このまま、葵ちゃんとの幸せな時間が続いていくと思いました。……でも、続かなかった」
「続かなかった?」
オウム返しのようにサクラがそう問いかける。杏奈は悲しげな表情になって頷く。
「中学3年生のゴールデンウィークのことです。葵ちゃんは……陽菜ちゃんと浮気をしていたことが分かったんですよ」
浮気という言葉と、浮須さんの浮気相手がさっき会った志気さんだからか、サクラは真面目な表情になる。
「ゴールデンウィークなので、部活のない日にクリスの映画を観に行かないかって誘ったんです。でも、葵ちゃんから『他に用事があるから行けない』と言われて。ですから、1人で四鷹駅周辺を散策して、あまり行かないお店にでも行ってみようと思ったんです。連休中のある日、駅周辺を歩いていたら、葵ちゃんと陽菜ちゃんが2人きりでいるところを見かけて。楽しそうに喋っていました。そのとき、葵ちゃんは私服姿だったので、元々部活のない時間だったのだと思います」
「浮須さんは部活がないときは、他に用事があるから、杏奈ちゃんからの映画の誘いを断ったんだよね」
「ええ。ですから、胸がざわつきました。あたしは2人の後をついていったんです」
俺も杏奈の立場だったら……同じことをしていたと思う。自分からの誘いは断ったのに、どうして志気さんと一緒にいるのか気になって。
「こっそりと後をつけた直後から、2人は恋人繋ぎで手を繋いでいましたね。辿り着いたのは、葵ちゃんの家でした。乗り込んで、葵ちゃんの部屋に行ったら……2人はベッドの上でキスをしていたんですよ。だから、浮気していたんだってすぐに分かって」
そのときの情景を思い出しているのだろうか。杏奈の両目には涙が浮かぶ。そんな彼女にサクラはハンカチを渡した。
恋人が自分の親友とキスしていた場面を見たら……もの凄くショックを受けてしまうことは想像に難くない。
そういえば、昨日……去年のクリスの劇場版を観に行ったのがゴールデンウィーク明けだったことを話してくれたとき、杏奈はしんみりとした様子だった。それは、浮須さんを誘ったら断われたこと。そして、ゴールデンウィーク中に志気さんと浮気していることが分かったからだったんだ。
「2人に問いただしたら、中2の10月に行われた体育祭の後に、陽菜ちゃんが葵ちゃんに告白したのがきっかけで、あたしに隠れて付き合っていたそうです」
「中2の10月からってことは……半年以上の間、浮須さんは浮気していたのか」
「はい。陽菜ちゃんも葵ちゃんのことが好きだったそうで。あたしと付き合う以前から、3人で遊ぶことがありました。あたしと葵ちゃんの交際を応援してくれていたそうですが、友達数人と遊んだり、映画に行ったりなどする中で、葵ちゃんへの好意が膨らんでいったそうです。体育祭でのかっこいい葵ちゃんを見たら、我慢ができなくなって……告白したそうです」
「杏奈ちゃんのように、自分も浮須さんと接したいと思ったのかもね」
「そうみたいです。葵ちゃんも落ち着いて優しい陽菜ちゃんのことが気になっていたそうで、陽菜ちゃんの告白を受け入れて、あたしに隠れて交際をスタートしたんですって。その話を2人から聞いたとき、裏切られた気分になりました」
中2の10月からってことは、クリスマスやバレンタインデー、杏奈が14歳の誕生日を迎えたときなど、ずっと隠れて志気さんと浮気していたことになる。裏切られた気分になったと杏奈が言うのも当然だと思う。
「当然、そのときに葵ちゃんとは別れて、陽菜ちゃんとは縁を切りました。中3では2人とクラスが違うこともあって、それ以降は姿を見かけることはあっても、話すことはありませんでした。友達の話から、浮気が発覚してから何日かして2人が別れたことを知りました。それを知ってからは、2人が一緒にいるところは全然見たことはないです」
「そうだったんだな」
杏奈への罪悪感で耐えきれなくなったのか。それとも、元々は志気さんの浮気だったから、このまま付き合っても幸せにはなれないと思ったのか。どんな理由であれ、3人がバラバラになる結果となってしまった。
「あと、2人の進学先も友人から聞きました。なので、木曜日に大輝先輩が陽出学院の女子生徒があたしの様子を聞きに来たと聞いたとき、陽菜ちゃんかもしれないと思っていました」
「なるほど」
志気さんは杏奈と元々親友だった。だから、杏奈がバイトをしていることを知ったとき、杏奈がやっていけるかどうか心配な気持ちを抱いたのだろう。
ただ、杏奈からは縁を切られた状態。本人に訊くことはできない。だから、こっそりと様子を見て、杏奈のいないときを狙って、先輩の俺にバイトでの様子を訊いてきたんだ。そして、杏奈を呼ぶかという俺の提案は断った。
それにしても、杏奈が中学時代にこんな経験をしていたとは。予想もしなかった。
ただ、思い返してみれば、杏奈は歓迎会の際に、ガールズラブ作品が好みでないと言っていた。自分を重ねてしまうからという理由で。それも本当かもしれないけど、一番は志気さんと浮須さんのことを思い出してしまうからかもしれない。
あと、俺とサクラのデート中に猫カフェで会ったときも、
『休日に男女2人で出かけているのですからデートかなって。だから、先輩方は付き合っているのかと。まあ、今の時代、同性のケースも普通にありますけどね……』
と、あまり元気なく言っていた。おそらく、休日に浮須さんと志気さんが一緒にいたところを見かけ、それが浮気発覚に繋がったからなのだろう。表情や言葉に滲み出ていたことは何度もあったのに。
気づけば、アイスコーヒーの中にあった氷はかなり溶けている。全然口を付けていないからか、水の層ができている。だからか、そのまま一口飲むと味気ない。それでも、今の話を聞いたことでの胸の苦しさが多少和らいだ。
「杏奈ちゃんにそういう過去があったなんて。想像もしなかったよ。いつも元気で明るいし、健康診断のときも友達と楽しくお喋りしていたから」
「そうだな……」
「杏奈ちゃんが元気になれたのは、お友達のおかげだったのかな?」
サクラがそう言うと、杏奈は柔らかな笑みを浮かべて首肯する。
「友人が支えてくれたり……シスコンの兄が励ましてくれたり。でも、元気になれたきっかけを与えてくれたのは……大輝先輩なんですよ」
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