第37話『その一歩は大きい』

 四鷹高校から歩いて数分ほど。最寄り駅の四鷹駅に辿り着く。

 夕方という時間帯もあり、俺達と同じ四鷹高校の生徒、俺とサクラの母校である四鷹第一中学の生徒、杏奈と羽柴の母校である武蔵南中学校の生徒など制服姿の人達を多く見かける。月曜日の学校が終わったからか、明るい表情をしている人が多い。


「あの、先輩方。小学生のときからなんですけど、月曜日が終わるだけで、土曜日がかなり近づいた気がしませんか? 新生活が始まったので、今日はその感覚がいつもよりも強くて」

「杏奈の言うこと分かるなぁ。月曜日があんまり好きじゃないからかな」

「今週の一歩を踏み出せたって感じがするよな。俺は月曜日が基本的に嫌いだから、その一歩がデカく感じるぜ」

「あたしも月曜は好きじゃないので、羽柴先輩の言うことも分かりますね」


 羽柴も杏奈も月曜日は好きじゃないか。親友はもちろんだけど、後輩の女子とも共感できる事柄があることに嬉しさを抱く。

 あと、羽柴の「基本的に」月曜日が嫌いというのはどういうことか。祝日になることもあるからかな。あとは、好きなアニメが月曜日に放送されると嫌いじゃなくなるとか。羽柴ならあり得そうだ。

 アニメイクに行くため、北口近くにあるエスカレーターからオリオ四鷹店の中に入っていく。


「あと、今週は金曜日に健康診断がありますもんね。授業は木曜日までですから、その一歩がより大きいですね」

「そうだな、杏奈。今週は実質残り3日だもんな」

「健康診断か……あっ」


 羽柴の顔色が見る見るうちに悪くなっていく。去年の健康診断での採血のことを思い出したのだろうか。


「今年の健康診断でも採血があるのかねぇ。1年生のときに採血したんだし、2年生と3年生では血を採らなくてもいいんじゃないか?」


 今朝のサクラと同じようなことを言っている。採血が嫌な人にとっては、今年はやりたくないと思うよな。


「高校時代に和奏姉さんが言っていたけど、採血が終わるとゴールデンウィークがもうすぐだって思えるそうだ。だから……覚悟しておいた方がいいだろうな」

「そうか……」


 はあああっ……と勧誘の嵐に遭った後よりも深いため息をつく。採血を経験しているからこそ、ここまでのため息をついてしまうのかもしれない。


「去年みたいに、採血するときに体がガクガク震えたら、俺が押さえてやるから」

「……頼む」


 力なくそう言うと、羽柴は俺のブレザーの袖を掴んでくる。去年よりも酷い事態にならないことを祈る。


「な、何かすみません。せっかく月曜日が終わって気分がいいときに、気持ちを沈ませてしまうことを言ってしまって」


 申し訳なさそうな様子で謝罪をする杏奈。一気に羽柴の顔色が悪くなったもんな……。


「気にしないでくれ、小鳥遊。採血は嫌だけど、授業がなくなるのは嬉しいからさ」

「な、なるほど。あと、健康診断には採血があるんですね。予防接種の経験は何度もありますけど、採血は一度もないです」

「そうなんだ。俺も去年の高校の健康診断が初体験だったよ」

「そうなんですか。ちなみに、採血されるときってどんな感じでした? 心構えしやすいように知っておきたいです」

「針が刺さったときはチクッと痛みがあって、それからは何か変な感じだったな。それに、俺は羽柴の体を押さえた後だったから、正直ちょっと疲れてて。あっという間に終わった感じがした」

「俺はかなり長く感じたけど。予防接種や採血問わず注射全般嫌いだからな」


 嫌なことをするときは、やけに時間の進みが遅く感じるものだ。そういえば、去年の健康診断での採血のとき、羽柴は「まだっすかー」って、採血してくれた看護師の女性に何度も言っていたな。

 気持ちを落ち着かせるためか、羽柴はバッグからペットボトルのレモンティーを取り出して飲んでいる。


「杏奈は注射ってどうだ?」

「嫌ですね~。針が刺さったときは痛いですし。ただ、毎回、診察室に言ったら『もう逃げられない』と思って覚悟を決めてます」

「なるほどね」


 少なくとも、サクラや羽柴よりは注射に強いようだ。きっと、彼女なら初めての採血も乗り越えられるだろう。


「速水先輩は注射ってどうなんですか?」

「注射は痛いものだと割り切っているからね。平気とまでは言わないけど、予防接種や少し血を採る程度なら大丈夫かな」

「そうなんですね。先輩らしい感じがします。当日は友達や先輩方もやっているんだからと思って、採血されようと思います」

「ははっ、そうか」


 今年も羽柴と同じクラスになったから、怖がる彼の体を押さえた後に採血をする流れになるのだろうか。当日はみんなの採血が無事に終わることを祈ろう。

 注射の話で盛り上がったからか、気付けばアニメイクが見えていた。学校帰りの時間帯だからか、お店に出入りする制服姿の人がちらほらいる。

 俺達は漫画の新刊コーナーの近くにある入口から店内に入る。


「月曜日になったからか、新発売の漫画が入荷されているな」


 レモンティーを飲み、陳列されている新刊漫画を見たからか、羽柴はすっかりと元気になっている。良かった。もしかしたら、彼の好きな漫画やラノベを見せたり、ボイスドラマを聴かせたりすれば、怖がらずに採血を受けられるかもしれない。


「アニメイクに来るのは春休み以来ですから、そのときと比べて新刊コーナーにあるコミックが結構変わっていますね」

「次々とたくさん新作が出ているからね。さっき、ここには何度も来たことがあるって杏奈は言っていたけど、漫画とか買うときは基本ここなの?」

「そうですね。特典がついていることが多いですし、ポイントも溜まりますからね。品揃えもいいので。あと、気に入った曲のCDを買うときもここで買いますね」

「そうなんだ。俺も同じような理由で、本やCDは基本的にアニメイクだなぁ。地元にあって良かったよ」

「俺もアニメイクがなかったら、ここまで充実したオタクライフは送ってなかったかもしれない」


 ワクワクとした様子で、新刊コミックを見ていく羽柴。

 四鷹駅周辺にはアニメイク以外にも、漫画やラノベなどを扱っている本屋はあるけど、アニメイクほど充実はしていない。音楽もオリオにあるツリーレコードなど、音楽ショップもいくつかあるけど、アニメイクよりもアニメやゲーム系の作品が揃っているお店はないからなぁ。羽柴の言う通り、アニメイクがなかったら、充実したオタクライフは送ることはできなかったかも。


「……おっ、あった」


 俺の記憶が正しく、ラブコメラノベのコミカライズ本が新刊コーナーに置かれていた。俺はそれを一冊手に取る。


「それを買うんですか? 表紙を見たところ、ラブコメのようですね」

「正解。ラノベのコミカライズ版なんだ。原作が大好きだし、作画を担当している人の絵も好きでさ。楽しみにしていたんだ」

「そうなんですね。少女漫画が多いですけど、あたしもラブコメは読みますよ」

「そうなんだ。俺も少女漫画はちょくちょく読むよ。サクラとか姉貴に借りて」

「ふふっ、そうなんですか。あたしは大学生の兄がいるので、たまに少年漫画とか借りて読んでますね。凄く面白くて自分で買うこともあります」

「それはいいことだね。俺も姉貴に少年漫画を貸したことがあったな」


 どこの家庭でも、きょうだいがいると、漫画の貸し借りをするものなのかな。特に小さい頃は、今よりも持っているお金はかなり少なかったし。

 あと、杏奈には大学生のお兄さんがいるのか。学校を後にするときも兄がいるって言っていたな。お兄さんがいるから、今までお客さんとしてマスバーガーに来店したとき、俺と気軽に話してくれたのかもしれない。今だって男子の先輩2人と一緒だけど、普段と変わらない様子だし。


「俺は一人っ子だからなぁ。でも、漫画好きの友達がいたから、そいつの家に遊びに行って、一緒に漫画を読んだり、貸し借りをしたりしていたな。今は速水がメインになったけど」

「ははっ、そっか」

「速水の持っている漫画……確か、前に原作のラノベを貸してもらったな。幼馴染ヒロインが可愛かったよな!」

「……へえ、そうなんですか。なるほど……」


 杏奈は不適な笑顔で俺のことを見てくる。

 確かに、羽柴が原作ラノベを返してくれたときに、主人公の幼馴染が可愛いって言ったけどさ。もしかしたら、今のことで俺がサクラを好きなことを杏奈に気付かれたかもしれない。土曜日にも、サクラと一緒に猫カフェにいるときに会ったし。

 羽柴も俺と同じような推理をし、まずいと思ったのか、申し訳なさそうな様子で口パクしてくる。口の動きからして『ごめん』かな。


「文香先輩みたいな可愛い幼馴染がいたら、幼馴染がヒロインの作品を読んじゃいますよね」


 杏奈は明るい笑みを浮かべながらそう言ってきた。この様子だと、俺がサクラを好きだとは気付いていない……かな?


「そ、そうなんだよ。サクラがいるから、幼馴染属性の女の子に親しみが湧いてさ。ヒロインになっている作品は特に手に取ることが多いんだよな」

「前に速水にそう言っていたのを思い出したぜ」

「なるほどです」


 羽柴のフォローもあってか、杏奈は納得した様子。

 新刊のコミックコーナーを後にして、俺達は新刊の小説・ラノベコーナーへ。ここに来ると、一紗が朝生美紗だって分かったときのことを思い出す。


「BL小説の表紙を見ると思い出しちゃいますね。昨日、一紗先輩が聞かせてくれた『白濁エスプレッソ』の朗読」


 近くに女性向けの小説がメインに置かれているからか、杏奈はそんなことを言ってくる。俺達の朗読を思い出しているのか、ちょっとうっとりとした様子だ。


「まさか、麻生に録音されていたとはなぁ。朗読したときに結構疲れたから、今でもあのときのことを思い出すと……」


 はあっ、と羽柴はため息をつく。放課後になってから、羽柴はため息をつくことが多いな。


「感情のこもった朗読でしたもんね。疲れてしまうのも分かる気がします。いい朗読でしたよ」

「……そう言ってくれると、録音されていたのも悪くないと思えるな」

「あと、朗読を聴かせてもらったのが昨日ですから、大輝先輩と羽柴先輩の話し声を聞くと……そういう関係に感じてしまいますね。お二人ともイケメンですから絵になりそうです」

「……やっぱり、消してもらった方が良かったかもしれない。速水が頼めば消してくれそうだよな」


 複雑そうな表情で言うと、羽柴は俺の肩に手を乗せる。

 確かに、羽柴が消してくれと言っても、一紗は聞く耳を持たなそうだ。俺が頼み込めば消してくれる可能性はありそう。


「あの音声ファイルは誰にも送らない。不用意に多くの人には聴かせないって約束させたから、とりあえずは様子見でいいんじゃないかな」

「……まあ、速水がそう言うなら。小鳥遊も覚えておいてくれよ。速水と俺は親友だ。決してBLな関係じゃない」

「俺からも頼むよ」

「分かりました! 覚えておきますね!」


 とびっきりの笑顔でそう言い、敬礼ポーズをする杏奈。バイトじゃないからか、返事の仕方がとても可愛らしい。俺からも頼んだし、きっと言うことを聞いてくれるよな。

 買いたいものがあるのは俺だけだったので、1人でレジへ向かうのであった。

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