第14話『一紗ワールド-前編-』

「ただいま」

「ただいまです」


 玄関を開け、俺とサクラがそう言うと、すぐにエプロン姿の母さんがキッチンからやってくる。


「2人ともおかえり。羽柴君もいらっしゃい」

「お邪魔します。お昼、ごちそうになります」

「ふふっ。今日は野菜たっぷりの味噌ラーメンよ」

「おぉ、いいっすね! 俺、味噌ラーメン好きっすよ!」


 羽柴、とても嬉しそうだ。ラーメン好きだからな。高1の間に羽柴と一緒に何度も食べに行った。もちろん、味噌ラーメンを食べることも。


「大輝、文香ちゃん。そちらの女の子が例の麻生さん? 窃盗事件の犯人を捕まえたときに出くわした」

「そうです」

「麻生一紗っていうんだ」

「そうなのね。初めまして、大輝の母の優子ゆうこといいます。学校では大輝と文香ちゃんがお世話になっています」

「こちらこそお世話になっております。初めまして、麻生一紗といいます。先日は大輝君のおかげで、ケガがなく済みました」

「それは良かったわ」

「この3人と青葉さんと同じクラスになれたのは、何かの縁だと思っています。よろしくお願いします」


 一紗と母さんはそんな会話をすると、お互いに軽く頭を下げる。一紗から右手を差し出すと、母さんは「ふふっ」といつもの柔らかな笑顔を見せ、一紗と握手を交わす。

 握手を交わす2人だけど、一紗は母さんの手をしっかりと握り、うっとりとした様子で母さんのことを見つめる。


「お母様、とてもお綺麗ですね。大学生と高校生のお子さんがいる経産婦とは思えない……」

「経産婦って言葉を聞いたのはいつ以来かしら。ありがとう。高校生にそう言われると、気分が若返った感じがするわね。……って、こんなことを言っちゃうなんておばさんね」

「そんなことありませんよ! 若々しくて素敵だと思います」

「私もそう思いますよ、優子さん」

「2人ともありがとう。お昼ご飯はより張り切って作らないとね!」


 ふふっ、と母さんは上機嫌で笑う。俺達が途中で立ち寄ったスーパーで母さんはパートしており、試食コーナーを担当することも多い。売れ行きがいいので「試食の女神」なんて言われているそうだ。パートをしているときも、今みたいな笑顔を見せているんだろうな。


「あと、あなたくらいの年齢の子にお母様って言われたのは初めてかもしれないわ」

「だって、好きな人の母親ですもの」

「あらあら、さりげなく告白されちゃっているわよ、大輝」

「……事実を話すと、月曜日に告白されて断ったんだ。それで、友人として仲良くしているんだよ」


 ただ、既に好意を示しているからか、一紗との距離が近く感じることは何度もあるけど。

 なるほどねぇ、と母さんは俺や一紗を見ながら何度も頷く。


「大輝と同じクラスにもなったし、これからも仲良くしてくれると嬉しいわ。もちろん、文香ちゃんともね」

「もちろんですよ、お母様! お義母様!」

「どうして2回言うのかしらね。あと、1度目と2度目で違う漢字表記になっている気がするわ。2度目は『義理』のつもりで言っていない?」

「さすがですお義母様!」

「……結婚していないのだから、義理を抜いたつもりで言ってくれると嬉しいわ」

「分かりました! お母様!」


 母さんの言うことだからか、すぐに聞くんだな一紗は。そんな彼女にサクラは苦笑いを浮かべ、羽柴は「ははっ」と面白そうに笑う。


「あとはラーメンを茹でて盛りつけるだけだから、大輝と文香ちゃんは着替えてきなさい」

「ああ、分かった」

「分かりました。一紗ちゃん、私の部屋に来てみる? 部屋の雰囲気や、本棚にどんな本があるか見てみたいって言っていたよね」

「ええ。お言葉に甘えて見させてもらうわ」

「じゃあ、俺は速水の部屋に行くかな」


 俺は羽柴と一緒に自分の部屋に、サクラは一紗と一緒にサクラの部屋に入る。

 今日は晴れていて、カーテンを開けているからか、部屋の中が結構温かいなっていた。ブレザー姿だと暑く感じるほどだ。


「暑いな。窓開けるか」

「そうしてくれると嬉しい。ジャケットは脱ぐけど、それでも暑そうだ」


 スクールバッグとスーパーで買ったお菓子を勉強机に置いて、俺は2箇所ある部屋の窓を開ける。そのことで、涼しげな空気が部屋の中に流れて気持ちがいい。

 羽柴は部屋の端にスクールバッグを置き、ジャケットを脱ぐ。ワイシャツの第1ボタンを開け、袖を少し捲る。部屋にまだまだ温かい空気が残っているので、一瞬、ゴールデンウィーク明けの初夏の時期になったのかと思った。


「本棚見て、適当に漫画とか読んでるから、速水は俺に気にせず着替えてくれ。速水の部屋で何言っているんだって感じだけど」

「ははっ。去年1年間、体育のときに着替えているから大丈夫だよ。漫画とか適当に読んでてくれ。何か借りたい本があったら、俺に一言言ってくれ」

「オッケー」


 そう言うと、羽柴は本棚からさっそく漫画を取り出し、本棚近くの壁に寄り掛かりながら読み始める。表紙を見ると、その作品は以前にアニメ化された作品であり、前に羽柴が面白いと言っていた。だからなのか、羽柴はさっそく楽しげな笑みを浮かべる。

 羽柴は高校入学のときに出会ったので、歴代の友人の中では付き合いは短い方。でも、深さや濃さという意味では一番と言っていい。きっと、そうなったのは、お互いに好きな作品で話すときにかなり盛り上がるのはもちろんのこと、推しキャラが違ったり、自分が嫌いな作品が好きだったりしたときに「好みが違うこともあるよな」と互いに好みを否定せず、あまり干渉し合わないからだと思う。よほどのことがない限り、彼とはいつまでもいいオタク仲間でいられそうだ。そんなことを考えながら、涼しい窓の近くで、制服から私服へと着替える。


「へえ、一紗ちゃんも『鬼刈剣』好きなんだ!」


 外の方からサクラのそんな声が聞こえた。向こうも窓を開けているのかな。あと、一紗も『鬼刈剣』が好きなのか。去年放送されたアニメをきっかけに、社会現象になったコミックだからなぁ。

 視界にサクラはいないけど、声が聞こえるのはいいものだ。勝手に聞くのは悪い気がするけど、どんな会話をしているのか気になる。少しの間……聞かせてください。


「あら、可愛らしい下着ね。ピンクなのは文香さんらしい。苗字に桜が入っているからかしら。あとは大輝君があなたのことを『サクラ』って呼んでいるし」

「まさにその理由でピンクが好きなの。小さい頃からピンクが好きなんだけど、ダイちゃんが私のことをサクラって呼ぶから。ピンクがもっと好きになったの。あと、桜は私の花だって勝手に思ってる」

「ふふっ、素敵じゃない」


 サクラと一紗の笑い声が聞こえてくる。今ほどにピンクが好きになったことに俺が関われているのが嬉しいな。

 あと、今、サクラは下着姿なのか。しかも、ピンクの。想像しちゃいけないのに、想像してしまうではないか。ううっ、罪悪感が俺の心を侵食していく。

 羽柴は窓から遠いところにいるし、漫画に夢中そうなので今の会話は聞いていないか。


「あと……やっぱり、文香さんって胸あるのね。制服のときは気付かなかったけど、昨日の私服姿を見たときに結構あるなって」

「一紗ちゃんほどじゃないよ。中学1年くらいまでは全然なくて。背も小さくてさ。このまま胸も背も小さいままかと思ったんだけど、中2になったら大きくなり始めて。遅い成長期なんだって思ってる」

「なるほど。じゃあ、まだまだ発展途上の可能性もあるのね」

「ひゃあっ。急に胸を触ってこないでよ。ビックリして変な声が出ちゃったじゃない」

「可愛い胸が間近にあるから、つい触ってしまったわ」

「……一紗ちゃん、女の子で良かったね。もちろん、女の子同士でもダメなときはあるから気を付けなきゃダメだよ」


 サクラの今の言葉に何度も頷く。一紗が男子だったら今すぐに乗り込むところだった。そもそも、もし一紗が男だったらサクラの部屋には入れないけど。性別が男になっただけで、中身が変わっていなかったら、俺の部屋にも入れなかった可能性がある。着替え中に変なことをされそうだから。


「ははっ、このシーンは漫画でもいいんだよなぁ」


 羽柴は漫画を読みながら笑っている。この様子であれば、さっきのサクラと一紗の会話は聞こえていなさそうだな。


『みんなー、お昼ご飯ができたわよー』

『はーい、今すぐに行きますー』


 部屋の外から、母さんとサクラの声が聞こえてきた。


「今すぐ行くよ。……行くか、羽柴」

「そうだな。あぁ、腹減った」


 俺はさっきまで着ていた制服のワイシャツを持って、自分の部屋を出る。……おぉ、味噌ラーメンの美味しそうな匂いがしてくる。


「あら、大輝君の私服姿もいいわね」

「どうもありがとう」


 俺達が出てすぐに、サクラと一紗が彼女の部屋から姿を現した。サクラは膝丈のスカートにパーカーというラフな格好。一紗はさっきと変わらずブレザーまでしっかりと着ている。一紗は俺の手元を見ている。


「大輝君。それはさっきまで着ていたワイシャツ?」

「ああ。1階にある洗濯物カゴに入れようと思って」

「……も、持っていってあげましょうか?」


 一紗は指をワキワキと動かしながら、両手を俺のワイシャツの方に伸ばす。ワクワクとした様子で、「はあっ、はあっ……」と息づかいが普段よりも荒くなっている。


「お、お気持ちだけ受け取っておくよ、一紗」


 一紗に渡したら、そのまま盗まれそうな気がするから。このワイシャツは朝から数時間ほど着ていたし、一紗の手に渡った瞬間に匂いを堪能するんじゃないだろうか。

 申し出を断られたからか、一紗はしょんぼりとした様子になる。


「……そう。大輝君がそう言うなら……分かったわ。……でも、お昼ご飯を食べ終わったら、大輝君の部屋で過ごす予定だからいいか」


 そう言うと、一紗はすぐに元気な様子になる。立ち直りが早いな。本当に一紗は強い子元気な子。

 それから、俺達はキッチンで母さんの作った味噌ラーメンを食べる。凄く美味しい。サクラと一紗、羽柴も美味しそうに食べていたのであった。

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