第29話『大切なもの』

 4月4日、土曜日。

 今日はお昼前からマスバーガーでバイトをしている。百花さんはサークルの集まりがあるため、シフトは入っていない。

 週末であり、春休み終盤でもあるから、バイト始めたときからかなりの数のお客様が来店してくる。今日も夕方までのバイトだけど、あっという間に過ぎていきそうだ。

 ちなみに、文香は小泉さんと一緒に四鷹駅周辺でお昼ご飯を食べ、そのままショッピングなどを楽しむそうだ。今日は女子テニス部の活動が珍しくお休みらしい。


「こんにちは、速水君。バイト頑張ってるね」


 たくさんのお客様に接客する中、流川先生がやってきた。デニムパンツに縦セーターというラフな格好だ。休日にバイトをしていると、来店してきた先生に接客することがたまにある。


「いらっしゃいませ、流川先生。春休み中って、先生方のお休み事情はどんな感じなんですか?」

「春休みの間は暦通りに働いてた。でも、先週の土曜日は用事があったから学校に行ったよ」

「そうでしたか。お疲れ様です」

「速水君もお疲れ様。ところで、文香ちゃんの様子はどう? 春休み中は速水君だけじゃなくて、文香ちゃん本人や和奏ちゃんからもLIMEで話は聞いているんだけど。実際に会ったら訊きたくなって」


 流川先生の言うことは分かる。

 ちなみに、和奏姉さんは四鷹高校の文系クラス出身。なので、流川先生とは高校在学中から親交があり、連絡先を交換している仲だ。


「前にメッセージで伝えた通り、今までたくさん来ていますから、さっそくうちでの生活に慣れてきたみたいです。俺の両親とも仲良くしていますし」

「そうなの。それなら良かったわ。学校では一緒にいるところをそこまで多く見たことないけど、幼馴染なら文香ちゃんとの生活も大丈夫そうね。何かあったら、いつでも先生に相談してくれていいからね」

「ありがとうございます」

「……そういえば、ここはお店だったね。つい話し込んじゃった。アイスティーのSサイズを一つください。持ち帰りで。ミルクとシロップを一つずつお願いします」

「かしこまりました」


 流川先生から代金をもらい、アイスティーのSサイズとシロップ、ミルクを用意した。


「お待たせしました。アイスティーとシロップ、ミルクですね」

「ありがとう」

「先生。確か、武蔵原市のマンションに住んでいると言っていましたよね」

「うん、そうだよ」

「では、窃盗犯には気を付けてください」

「ここ何日か報道されているものね。ありがとう。じゃあ、頑張ってね」

「ありがとうございます」


 流川先生は俺に優しく微笑みかけ、お店を後にしていった。確か、先生は一人暮らしだから気を付けてほしいな。先生、おっとりしているから狙われやすそうだし。

 先生のおかげで少し元気をもらった俺は、その後も接客の仕事をしていく。すると、


「今日も頑張っていますね、お兄さん」


 今日も常連の金髪の女の子が来店してきた。スカートにブラウスという服装がよく似合っている。俺と目が合うと、いつもの可愛らしい笑顔を見せてくれる。そのことで、疲れが少し取れた気がする。


「いつもありがとうございます。店内でお召し上がりですか?」

「う~ん……今日は混んでいるので持ち帰りで。テリヤキバーガーセットをお願いします。飲み物はアイスコーヒーで。シロップとミルクはいらないです」

「かしこまりました」


 金髪の子から代金を受け取って、注文されたテリヤキバーガーセットを用意する。今回はお持ち帰りなので、紙の手提げ袋に丁寧に入れていく。


「お待たせいたしました。テリヤキバーガーセットになります」

「ありがとうございまーす」


 紙の手提げを渡すと、金髪の女の子はいつもの明るい笑顔を見せてくれる。一応、この子にも言っておくか。


「ここは四鷹市ですが、武蔵原市はすぐ近くです。連続窃盗犯が捕まっていないそうなので、どうかお気を付けて」


 この子はか弱そうな女の子だし。それに、テリヤキバーガーやポテトの美味しそうな匂いに誘われるかもしれない。紙の手提げなら、盗んで逃走しやすいだろうし。

 俺が注意を促してくるのは予想外だったのか、金髪の子は目を見開く。ただ、それはほんの少しの間で、彼女は頬を赤くして俺に微笑みかける。


「ありがとうございます。気を付けますね、お兄さん」


 金髪の子は俺に小さく手を振って、お店を後にした。

 そういえば、俺がバイトに出かける際、文香にも同じようなことを言ったな。そうしたら、文香も今の金髪の子のように、微笑みながら「ありがとう」と言ってくれたっけ。


「……頑張ろう」


 バイトが終わって家に帰れば、文香と会えるんだし。好きな人と一緒に住んでいるって凄く力になるんだなと実感するのであった。




 午後4時過ぎ。

 バイトが終わったので、俺はマスバーガー四鷹駅南口店を後にする。

 まだこの時間なので、オリオ四鷹店に行き、アニメイクや音楽ショップ・ツリーレコードなどを回る。

 しかし、今日は買いたいと思えるほどの作品とは出会えなかった。けれど、予約コーナーを見ると、漫画やラノベはもちろんのこと、CDも欲しいと思える作品がいくつかあった。バイトを頑張って買いたいなと思う。

 あと、文香や小泉さんに会えるかもしれないと期待していたけど、残念ながら2人と会うことはなかった。


「もしかしたら、もう2人は帰ったのかもな。……俺もそろそろ帰るか」


 駅構内に出られる2階の出入口からオリオの外に出る。前方には文香と小泉さんの姿が。文香は今日も茶色いバッグを持ってくれているな。

 2人は北口から南口の方に向かって歩いている。もう夕方だし、歩いた先は駅の改札もあるから、小泉さんと別れるのかな。ちなみに、小泉さんは都心方面に3つ隣の萩窪はぎくぼ駅の近くに住んでいる。

 小泉さんが四鷹を離れる前に一声掛けたいな。そう思って、2人のところへと歩き始めたときだった。


「きゃあっ!」


 文香の悲鳴と『ドン!』という鈍い音が聞こえた。なので、そちらの方を見ると、文香はその場で尻餅をついていた。そんな彼女はバッグを持っていない。近くにも落ちていないようだ。


「まさか……!」


 周りを確認すると、黒いパーカーを着た人が文香のバッグを持って南口の方に向かって走っていた。もしかしたら、ここ何日か報道で話題になっている連続窃盗犯かもしれない!


「バッグは俺に任せろ! 小泉さんは警察に通報してくれ!」

「分かった!」


 俺は黒いバーカーを着た犯人を追いかけていく。

 体育は苦手だけど、足の速さだけは自信がある。少しずつ、犯人との距離が縮んでいく。


「待て!」


 どうせ待ってくれないと分かっていても、いざこういうときになると叫んでしまうものなんだな。


「どけっ!」

「きゃっ!」


 邪魔だったのか、犯人は雄々しい叫び声を上げると、水色のワンピースを着た黒髪ロングの女性を横に突き飛ばした。そんな女性が倒れる前に俺が抱き止める。


「大丈夫ですか! ケガはありませんか?」

「……ありがとうございます。大丈夫です」


 抱き止められた女性はにっこりと俺に笑いかけてくれる。ケガが無くて一安心だ。こうして間近で見ると、本当に綺麗な女性だな。青いカチューシャがよく似合っていると思う。四鷹高校で彼女のような人を見たことがある気がするけど、気のせいだろうか。


「良かった。俺はあの男を追いかけるんで!」


 俺は再び犯人を捕まえるために走り始める。女性を抱き止めたことで、かなりの距離ができてしまったな。このままだと逃げられてしまう可能性が高い。


「こうなったら……」


 少しの間でも犯人の脚を止めるためには……俺のスマホを犯人に向かって投げることしか思いつかない。幸いにも、犯人が走ったおかげで、俺と犯人の間には誰もいない。

 上手くいくかどうか分からないけれど、とにかくやってみるしかない!

 俺はジャケットのポケットに入っているスマホを手に取り、


「くらえっ!」


 犯人に向けて、全力でスマートフォンを投げた!

 俺の投げたスマートフォンは犯人に向かって飛んでいき、


「痛えっ!」


 犯人の後頭部に命中。犯人はその場でしゃがみ込んだ。球技は得意じゃないけど、スマホが当たって良かった。

 俺はそんな犯人めがけて走って行く。

 もうすぐ犯人に手が届きそうなところで、


「よくも俺に痛い想いをさせてくれたな! このガキ!」


 逆上したのか、犯人はそんな罵声を浴びせ、さっき盗んだ文香のバッグを俺に向かって投げつけてくる。俺はバッグが顔に当たる前に受け止める。

 再び前方を見ると、すぐ目の前に、鋭い目つきをした犯人が俺に掴みかかろうとしていた。よし、犯人とこの体勢なら……!

 俺はバッグをその場で離し、犯人の着ているパーカーの左袖と胸元をぎゅっと掴む。


「あぁ、そんなに痛かったですか! それよりも、よくも文香に怖い想いをさせたな! しかも、逃げてる途中で女性を突き飛ばして! そんなお前には、この1年間で身につけた背負い投げを食らわしてやる!」


 1年の柔道の授業で教えてもらったコツを思い出しながら、犯人を背負い投げした。


 ――ドンッ!

「あぁっ……!」


 鈍い音が響いた瞬間、犯人の呻き声が聞こえる。ここは畳じゃなくて石床だから相当痛いのだろう。再び逃げる可能性は低いと思うけど、それでも犯人のことは離さない。


「そのバッグは文香が気に入って何年間も使っている大切なバッグなんだ! お前が盗もうとしたのはバッグだけじゃない。文香の思い出も盗もうとしたんだ!  文香を深く傷つけるのは……3年前のあのことが最後であってほしいんだよ……」

「知るかよ、そんなこと……!」

「文香に謝れ! 途中で突き飛ばした女性にも!」

「ふざけるな……!」

「こっちです! 刑事さん!」


 北口の方から小泉さんの声が聞こえた。なので、そちらを見てみると、小泉さんと文香、犯人に突き飛ばされた女性が、2人の警察官を連れてやってきた。


「この黒いパーカーを着た人が、この茶色いバッグを盗みました!」

「私を突き飛ばした方も同じです。そうしたら、この紺色のジャケットの男性が抱き止めてくれたのです」

「そうでしたか。犯人確保に協力していただきありがとうございます。パーカーを着ていますので、武蔵原の連続窃盗犯かもしれません。あとは私達に任せてください。この後……君達には署で事情を聞かせてもらいますね」

「分かりました」


 俺が黒パーカーの男から離れると、今度は2人の警察官によって取り押さえられる。


「午後4時40分。窃盗と暴行の現行犯で逮捕する!」


 警察官の一人がそう言い、犯人の両手に手錠を掛けるのであった。

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