第24話『看病のお礼』
3月31日、火曜日。
目を覚まし、壁に掛かっている時計で時刻を確認すると……針が午前8時過ぎを指していた。今日はバイトがないけど、もう起きるか。
洗面所で顔を洗い、歯を磨いていると、鏡に寝間着姿の文香が映る。
「おはよう、大輝」
「おはよう、文香」
口をゆすぎ、ゆっくりと振り返る。文香の顔色や表情を見る限り、体調がかなり良くなっているように思える。
「顔色が良くなったな。体調の方はどうだ?」
「結構良くなったよ。処方された薬のおかげでとても良く眠れたし。さっき、体温を測ったら平熱の36度2分まで下がってた」
文香からその言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。
「それは良かった。ただ、今日か明日くらいまでは、家でゆっくりしていた方がいいだろう。今日はバイトもないから、体調がおかしくなったら、俺に遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう。普段よりも体力がない感じがするから、今日は家でゆっくりするつもり。シャワー浴びてくるね。昨日は汗を掻いたし、お風呂に入っていないから」
「分かった」
「じゃあ、また後でね」
文香は小さく手を振って洗面所を後にした。
一晩経って、普段とさほど変わりない体調に戻ったようで良かった。ただ、病み上がりの時期なので、文香のことを気に掛けるようにしよう。
何かあったら俺に言ってと言ったけど、特に体調に異変がなかったからか、午前中は文香から助けを求められることはなかった。
昼前から、母さんがスーパーのパートに行ったため、お昼ご飯は俺が作ることに。文香はまだ病み上がりなので、体に優しい温かいきつねうどんにする。
できたら呼ぶと言ったのだが、
「キッチンにいたい気分なの」
と文香に言われてしまった。なので、食卓に座る文香に見守られながら昼食作りをしていく。
「誰かが料理をしているのを見るのはいいね」
「えっ?」
「小さい頃に風邪を引くと、だるさがあまりないときとか、たまにお母さんがお粥とかを作っている様子をソファーに座りながら見ていたの。たぶん、一人だと心細くて、誰かの姿を見ると安心できたからだと思う。昨日の午前中はだるかったから、玉子粥ができるまでベッドで横になっていたけど」
「その気持ち、何か分かる気がする」
俺は風邪を引くとずっとベッドにいて、薬を飲むとぐっすり寝てしまうタイプだ。それでも、様子を見に来る和奏姉さんの姿や、お見舞いに来た文香の姿を見ると、結構嬉しい気持ちになった。
そういえば、和奏姉さんが風邪を引いたとき、玉子粥を作っている様子を今の文香のように見ていたことがあったな。
あと、今の話をされると、一つ訊きたくなることがある。
「もし、昨日の午前中……だるさがあまりなかったら、文香はここで玉子粥を作っている俺の様子を見ていたか?」
そう問いかけて、文香の方に振り返ると、文香はほんのりと赤くして俺をチラチラと見ていた。
「……た、多分見ていたと思う」
そう答えると、文香の頬が更に赤くなる。それはとても可愛らしいけど、風邪がぶり返してしまわないかどうか心配になった。
それからすぐに、温かいきつねうどんが完成。
4人で食べるときは文香と隣同士の椅子に座るけど、今日は2人きりなので文香と向かい合って座る。以前、文香が同棲発言もあってか、こうしていると文香と同棲しているように思えた。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
文香の感想が気になるため、俺はまだきつねうどんに手を付けず、彼女が食べる姿を見ることに。
文香は箸でうどんとお揚げを一緒に掴み、ふーっ、ふーっ……と息を吹きかける。熱いかもしれないと思っているのか、そっと口の中に入れた。
「……美味しい」
微笑みながら、小さな声でそう言う文香。ただ、キッチンで2人きりでいる分には十分な声の大きさで。その声が心の奥まで響き渡った。
「……良かった。俺もいただきます」
きつねうどんを一口食べてみると、
「うん、美味しくできてる」
文香は病み上がりなので、いつもよりもめんつゆを薄めにしたけど、これもいける。これからは、このくらいの濃さでいいかもしれない。
「大輝、本当に料理ができるようになったよね」
「小さい頃から手伝いをしていたからな。中学生になったあたりから、今日みたいに母さんがパートで家にいないときは食事を作るようになってさ。あと、バイトでたまに調理するし。それでも、文香や母さん達に比べたら俺はまだまだだよ」
「……そっか」
ふふっ、と嬉しさの中に上品さも感じられるように笑って、文香はきつねうどんを食べ進めていく。
2人きりで食事をするのがひさしぶりだからか、無言の時間になってしまうことが多い。それでも、居心地良く思えた。文香も同じような気持ちなら嬉しい。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「ありがとう。ごちそうさまでした。後片付けは俺がやっておくから、文香は薬を飲みな」
「うん」
俺はお昼ご飯の後片付けをする。
俺の作ったきつねうどんを美味しいと言ってくれ、完食をしてくれて嬉しかったな。食欲はそれなりにあるようだし、明日くらいまで安静していれば普段と変わらないところまで回復するだろう。
もうすぐ後片付けが終わろうとしたとき、コーヒーの香りがしてきた。文香が淹れてくれたのだろうか。
後片付けが終わってテーブルの方に振り返ると、さっき座っていたところに温かいコーヒーが入った俺のマグカップが置かれていた。その向かい側には、同じく温かいコーヒーが入った文香のマグカップが。
ゆっくりと文香の方に視線を向けると、彼女は微笑みながら俺を見る。
「後片付けお疲れ様。コーヒー淹れたよ」
「ありがとう」
椅子に座って、さっそくコーヒーを一口飲む。
「……美味い」
コーヒーの苦味が強くて俺好みだ。その苦味と温かさが、後片付けでちょっと疲れた体を癒してくれる。
文香はほっと胸を撫で下ろし、コーヒーを一口飲んだ。
「美味しい。……大輝。昨日の朝から私に色々としてくれたから、何かお礼がしたいな」
「お礼かぁ。突然言われると、すぐには思い浮かばないな。ただ、看病中に文香はありがとうってたくさん言ってくれた。このコーヒーを淹れてくれて。それが立派なお礼に思えるというか……」
それに、看病を通じて文香と一緒にいる時間をたくさん過ごせたから。そもそも、看病したいというのは俺のわがままでもあるし。
「……お父さんみたいなことを言うね」
ふふっ、と笑ってコーヒーを飲む文香。
確かに、哲也おじさんはこういうときのお礼をあまり要求しないイメージがある。父さんもお礼をしてもらうときは、大好きな日本茶やコーヒーを淹れてもらったり、肩を揉んでもらったりする程度だった。
「……肩揉みなんていいかもなぁ。看病や食事作り、それにバイトもしたし」
「肩揉みね、分かったよ」
「あっ、声に出ていたか。じゃあ、肩揉みをお願いします」
「うん。ここ何年かは定期的にお父さんとお母さんに肩揉みをしていたから上手だよ」
自信ありげにそう言うと、文香はゆっくりと立ち上がって俺の背後までやってくる。両手を置いたのか、肩から優しい温もりが。
昔から肩はあまり凝らない体質だけど、マッサージ的な感覚で文香の肩揉みを堪能しよう。御両親の肩揉みで経験があるようだし、きっと気持ちが――。
「よいしょっ」
「いたたっ!」
両肩から強い痛みを感じたので、思わず大きな声が出てしまった。
「ご、ごめん!」
「……ふ、文香が悪いわけじゃないよ。ただ、こんなに肩が痛むなんて。俺、肩凝ってるのかなぁ。普段、あまり違和感ないけど」
「優しく揉んでみるね。……うん、揉んだ感じだとかなり肩が凝ってるよ。仕事の疲れが溜まっていたときのお父さん並みに凝ってる」
「……マジかよ」
親世代の人並みに凝っているなんて。何とも言えない気分になるな。
「大輝はバイトを頑張っているもんね。その疲れが肩に溜まっていたのかも。あとは、スマホゲームのやり過ぎとか」
「それは言えてるかも。特に休日で長い時間バイトをやると疲れを感じることもあるし。最近はラノベも読むけど、一時期は『ガールズバンドデイズ!』っていうスマホのリズムゲームアプリばかりやっていたから」
『ガールズバンドデイズ!』はゲームに出る女の子達が組むバンドのオリジナル曲はもちろん、人気のあるJ-POP曲やアニソンのカバー曲でも遊ぶことができることから、人気のあるゲームアプリだ。オリジナル楽曲やTVアニメも人気がある。
「やっぱり。これからは少しでもいいから、ストレッチをした方がいいよ。大輝は昔から運動をあまりしないタイプだから、きっと、そういうこともやっていないでしょう?」
「全然やっていないな。文香は日課でストレッチをやっているのか?」
「毎日、お風呂から出た後にストレッチしてるよ。体型維持のために。甘い飲み物やスイーツが好きだから、油断すると体重が増えることもあって。和奏ちゃんや青葉ちゃんみたいに、運動系の部活に入っているわけじゃないし」
「そうか」
思い返せば、文香が太っているように見えたことは一度もないな。それは日々のストレッチがあってのことなのだろう。
「あと、『ガルバン!』なら私もダウンロードして、たまにプレイする。アニメも録画して観たし、気に入った曲は駅前のレンタルショップで借りたり、ダウンロードしたりしてるし」
「そうなのか」
と返事はしたけど、駅前のレンタルショップで『ガルバン!』関連のCDを手に取っているところを見たことがあった。ただ、そのときはアニメの放送時期だったので、アニメに影響を受けているのかなと思い、ゲームをしているとは思わなかった。
『ガルバン!』は羽柴も和奏姉さんはもちろんのこと、中学時代や1年生のときにクラスメイトだった友人達の中にも好きな奴は多かった。
「俺も中学まではレンタルやダウンロードがほとんどだったけど、高校生になってバイト代が入ってからは好きなバンド中心にCDを買うようにしてる」
「そうなの」
それからも『ガルバン!』の話をしながら、文香に肩を揉んでもらう。話していくと、文香と共通して好きなバンドや曲があると分かり嬉しい気持ちになった。
気付けば、文香に肩を揉まれても痛みをあまり感じなくなっていた。
「大輝、どう? だいぶほぐれたけど」
文香がそう言うので、俺はゆっくりと肩を回してみる。
「うん、全然痛みを感じない。あと、結構軽くなった感じがする。ありがとう」
「それなら良かった。……じゃあ、最後にお礼の仕上げをするね。大輝、前を向いて」
文香の言う通りに前を向くと、肩から上の背面に温かいものが当たる。そして、後頭部辺りになかなか柔らかい感触が。髪に温かな吐息がかかるし、優しくて甘い匂いを感じる。凄くドキドキしてきたぞ。
背後から文香の両腕が現れ、俺の胸のあたりで両手を重ねる。文香の手に右手を添えようとしたけど、その勇気は出なかった。
「大輝。看病してくれてありがとう。大輝が側にいて心強かったよ」
普段よりも甘い声で、文香はそんなお礼の言葉を言う。その言葉がとても嬉しくて、何とか冷静になることができる。
「いえいえ。1日でここまで回復して良かった」
昨日の朝、文香が体調を崩していると分かったときはどうしようかと思ったけど。文香の力になれたのなら嬉しい。
――ドクン、ドクン。
後頭部から、はっきりと心臓の鼓動を感じる。その鼓動は段々早くなっていって。あと、文香の体から感じる熱が、さっきよりもかなり強くなっているぞ。
「文香。鼓動も強いし、体の熱も凄いぞ。もしかして、風邪をぶり返したのか?」
「ううん、それはないと思う。こういう風に抱きしめるのがひさしぶりだから、緊張しているだけ」
「……そうか」
「あと、今はこっちに振り返らないで。変な顔になってると思うから」
「……分かった」
変な顔になっていると言われると、ちょっとだけでもいいから見たくなるけど……文香がダメだと言っているので止めておこう。
「だけど、もし……風邪をぶり返したとしても、大輝がまた看病してくれるよね?」
「もちろんだ。そのときはまた、病院に連れて行って玉子粥を作るよ」
今の会話がとても自然にできるのは、一緒に住み始めたからなのだろう。いつでも文香の看病をするつもりだけど、健康なのが一番だ。看病する回数ができるだけ少なくなるのを祈るばかりである。
それから少しの間、俺は文香に抱きしめられ続けるのであった。
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