第25話『春雷』

 4月1日、水曜日。

 今日から新年度がスタート。よく晴れており、新年度の幕開けにはいいんじゃないだろうか。ただし、午後になると雲が広がり始め、夜になると雨が降るという。

 去年は中学生から高校生に変わったので気が引き締まったけど、今年はそんな感じはない。1週間ほど前に文香が引っ越してきたけど、彼女との同居生活にも少しずつ慣れてきているし。

 文香は今日になると、普段と変わりないほどに元気になっていた。

 文香の体調が良くなって安心できたのもあり、昼前から夕方にかけてのバイトもしっかりとこなせたのであった。




 夕ご飯を食べ終わった後の午後8時頃。

 外から雨音が聞こえてきた。予報通り、夜になって雨が降り始めたか。あと、夕方に見た天気予報によると、関東地方の一部地域では激しい雨になったり、雷雨になったりするらしい。


「雷か……」


 そういえば、文香は雷が少しは大丈夫になったのかな。

 暑い時期の放課後や夏休みに文香と一緒に遊んでいると、たまにゲリラ雷雨になることがあった。そういったとき、文香はビクビクして、ベッドの中に潜ったり、俺や和奏姉さんにしがみついたりしていたな。

 一度、俺の家で遊んでいるとき、かなり近くに雷が落ちて停電したことがあったな。そのときの雷鳴や衝撃、急に電気が消えたからか、


『この世の終わりだああっ!!』


 って、文香が絶叫していたっけ。そのときは和奏姉さんもいたから、姉さんと抱きしめ合って2人で号泣していたな。姉さんは高校生になった頃からあまり怖がらなくなったけど、文香はどうなのやら。

 ちなみに、俺も幼稚園の頃は雷が怖かったけど、今はよほど近いところに落ちない限りはビックリしなくなった。正直、雷よりも、雷で驚く文香や和奏姉さんの叫び声の方が怖かった思い出がある。

 窓を開けると、雨がサーッと降っている。これ以上雨脚が強くならず、雷が鳴らないことを祈ろう。


「おっ、冷たい」


 風が吹き、顔に当たった雨が冷たく感じた。雪が降った日曜ほどじゃないけど寒いな。そう思いつつ窓を閉めた。

 普通に雨が降ってほしいとは願ったけど、時間が経つ度に雨脚が強くなっていく。

 以前録画したアニメを区切りの良いところまで観て、俺がお風呂に入ろうとする午後10時頃には、たまにピカッと光ったり、ゴロゴロと音がしたりするようになっていた。


「文香、多少は雷に強くなったのかな?」


 小さい頃は今のように外がピカッと光ったり、小さくてもゴロゴロと音が鳴ったりすると、文香は驚いた声を上げていた。でも、今日はそんな声は聞こえない。

 しかし、俺がお風呂に入っている間に雨の音や雷鳴がさらに大きくなってきた。


「一部地域に入ってしまったか……」


 去年観たアニメ映画のように、天気を100%晴れにする能力を持っているわけではない。できることと言えば「これ以上酷い天候になるな」と祈ることくらいだ。

 ただ、祈っても雨が弱まったり、落雷の音が小さくなったりすることはない。むしろ、酷くなっている。これがピークであってほしいな。

 お風呂から出て、俺は自分の部屋に戻る。その際も雷がゴロゴロと鳴るけれど、文香の悲鳴は聞こえない。雷に強くなったのか。それとも、音が聞こえないように何か対策をしているのか。はたまた、もう眠ったのか。もう10時半過ぎだし。

 テレビを点けて、今夜放送されるアニメの録画設定ができていることを確認。


「よし、OKだな。早めだけど、今日はもうそろそろ寝るか」


 バイトもあったからか、風呂に入ったら眠くなってきた。明日もバイトがあるから、今日は早めにベッドに入ってたっぷりと睡眠を取ろう。

 明日起きる頃にはきっと雨も止んでいるだろう。そんなことを思って窓の方を見たときだった。


「おっ、ピカッと光っ――」

 ――ドカーン!!

「きゃああああっ!」


 外がピカッと光った直後に雷鳴が炸裂し、それとほぼ同じタイミングで文香の絶叫が聞こえてきた。多分、10秒にも満たない間での出来事だと思う。今のはさすがにビックリして、体がピクッとなったな。


「かなり近くに落ちたみたいだな」


 雷鳴も凄まじかったし、地響きもした。それでも、照明は点いているし、テレビのランプも点いているから停電が起きたり、部屋の中の電化製品に異常が起きたりしていることはなさそうだ。あと、心配すべきなのは、


「文香だな」


 今の落雷は凄かったから、文香もかなりのボリュームで悲鳴を上げていた。文香の部屋に行って、彼女の様子を見てみるか。

 ――ドンドン!

 扉から強めのノック音が聞こえてきた。このタイミングで部屋にやってくる人は、彼女以外にはあり得ないだろう。


「今開けるよ」


 返事をして、ゆっくりと部屋の扉を開けると、そこには枕を抱きしめた水色の寝間着姿の文香が立っていた。さっきの落雷がよほど怖かったのか、両目には涙が浮かんでいる。そんな彼女を可愛らしいと思ったことに、ちょっと罪悪感を抱いた。


「どうした、文香。涙を浮かべながら枕を持っているから、だいたいの想像はついているけど」


 俺がそう言うと、依然として涙を浮かべている目で、文香は俺を見つめてくる。


「……か、雷が怖いから今夜は大輝と一緒に寝たい」

「……文香がそう言うならいいよ。今日は俺のベッドで一緒に寝るか」

「うんっ」


 文香は安堵の笑みを浮かべ、右手で目に浮かんだ涙を拭う。その姿にドキッとする。

 ただ、小さい頃にお泊まりをするときは一緒に寝ていたし、雷が鳴っているときは俺にしがみつかれたことがあった。だからか、今回も文香の側にいて、彼女を守ろうという父性のような感情が働き、一緒に寝ることの興奮はあまりしない。


「文香はベッドの中に入っていて。雷が怖かったら、ふとんを被っていてもいいから。俺、歯を磨いて、お手洗いに行ってくるから」

「うん、分かった。……早く帰ってきてね」

「ああ」


 俺は文香の頭を優しく撫でて、2階の洗面所へと向かう。

 かつてのような関係に戻っていなくても、俺と一緒に寝たいと思うほどだ。文香の雷嫌いは昔とあまり変わっていないようだ。それでも、早く帰ってきてと言ってくれるのは嬉しい。そんなことを考えている間も、雷がゴロゴロと鳴っている。

 歯磨きを終え、1階のお手洗いで用を足し、自分の部屋へと戻る。すると、文香の姿は見えないけど、ふとんが膨らんでいる。


「ふふっ、ふふふっ……」

「文香、ただいま。ふとんの中にいて、少しは安心できたか?」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 ふとんの中から、文香のそんな可愛らしい声が聞こえると、ふとんから文香は顔だけを出す。そんな彼女の顔がほんのりと赤くなっている。


「ちょ、ちょっと安心できたかな」

「それは良かった。窓のシャッターを閉めておくか? ピカッて光ると怖いだろう」

「……うん。音も怖いけど、光るのも怖い」

「分かった」


 俺は窓を開けてシャッターを閉める。その際に外の様子を見たけど、雨が激しく振っていて、遠くの方で稲妻が落ちていた。

 ちなみに、自然の光が好きだし、カーテンを閉めれば眠るのに支障はないので、台風のとき以外は基本的にシャッターを上げたままだ。朝、目を覚ましたのに、部屋の中が真っ暗だと変な気分になるし。


「じゃあ、一緒に寝るか」

「う、うん。一応言っておくけど、変なことしないでね。でも、そういうことをさせないと、ここから追い出すなら……変なことをされることにや、やぶさかではない!」


 真剣な様子でそう言う文香。

 あと、やぶさかではないって言葉をひさしぶりに聞いたな。ただ、その意味って、嫌だけど仕方なくするという意味ではなく、喜んでするという意味だった気がする。文香は前者の意味で言っただろうけど。


「変なことはしないし、ベッドから追い出しもしないから安心して」

「……ありがとう」


 部屋の電灯を消し、ベッドライトを点けてベッドの中に入る。文香がすぐ隣にいて、さっきまで彼女がふとんの中に潜っていたからか、彼女の甘い匂いをさっそく感じる。

 俺のベッドはセミダブルだからか、どうしても文香と体が触れてしまうな。今は腕や脚が触れている。だからか、急に興奮してきたぞ。


「文香、大丈夫か? 狭くないか?」

「大丈夫。……小さい頃は和奏ちゃんと3人でも眠れたのにね。それだけ、お互いに成長したってことだよね」

「そうだな。あと、こうして一緒に寝るのは久しぶ――」

 ――ドカーン!

「きゃああっ!」


 突然、雷鳴が鳴り響き、文香は叫びながら俺のことをぎゅっと抱きしめ、顔を俺の胸に埋めてくる。シャッターを閉めていると、ピカッと光るのが分からないから心構えができないんだよな。


「今のも結構大きい音だったな。近くに落ちたんだろう」

「う、うん……」


 そう答える文香の体は小刻みに震えている。

 雷がきっかけとはいえ、ベッドの中で文香とここまで密着するとドキドキするな。文香の柔らかさはもちろんのこと、髪からシャンプーの甘い匂いが香ってくる。心臓の鼓動が早くなっていく。


「さっきの雷もそうだったけど、こんなに大きい音だとビックリするな」


 俺がそう言うと、文香はゆっくりと俺の胸から顔を離した。雷鳴が怖かったのか、再び両目に涙が浮かんでいる。


「……私もビックリした。たぶん、覚えていると思うけれど、私、小さい頃から雷がとても苦手で。大輝や和奏ちゃんと一緒にいるときは、ピカッと光ったり、ゴロゴロ鳴ったりしたら、2人にしがみついてた」

「覚えてるよ。さっきみたいな大きい音が響いたときは、この世の終わりだって叫んでいたよな」

「……そ、そんなこともあったね」


 恥ずかしいのか、それとも照れ隠しなのか。文香はちょっと不機嫌そうな様子で俺のことを見てくる。


「でも、昔とは違って、雷が鳴り始めたときは悲鳴を上げなかったよな」

「鳴り始めた頃はイヤホンをして、普段よりも大きめのボリュームで音楽を聴いていたから。大抵はそうすれば、雷雨の時間は過ぎていくから」

「なるほどなぁ」


 文香なりの雷鳴防止策があったのか。だから、多少ゴロゴロ鳴ったくらいでは悲鳴を上げなかったと。


「でも、ここに来る直前の雷はとても大きくて、地響きも起きたから驚いちゃって。怖くなって大きな声を出しちゃったの。雨も激しく振っているし、とても不安になったから大輝と一緒に寝たいって思ったんだよ」

「そうだったのか」


 何かあったときに、俺のことを頭に思い浮かべてくれることがとても嬉しい。

 文香は一度、俺から体を離すと、俺の左腕をしっかりと抱きしめてくる。雷に対する怖さなのか、それとも俺とこうしていることの興奮なのか。左腕に彼女の心臓の鼓動がはっきりと伝わってくる。

 文香は上目遣いで俺を見つめ、


「……一人だと怖いから、私から離れちゃ嫌だよ?」


 普段よりも甘えた声色でそう言ってくる。そんな彼女がとても可愛くて、何だか懐かしかった。


「大丈夫だ。俺はここにいる。だから、安心して寝ていいぞ。文香が眠るまで俺は起きてるからさ」


 そうは言うけれど、実際はこの状況にドキドキしていて、体も熱くなっている。だから、しばらく眠れそうにない。

 文香は安心した様子に。口角を上げ、俺に向かって首肯する。


「……ありがとう。じゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 挨拶をすると、文香はゆっくりと目を閉じる。頼むから、文香が眠りに落ちるまでは近くに落雷しないでほしい。

 そんな俺の願いが届いたのか、雨は激しく振っているけれど、雷についてはたまにゴロゴロ鳴るだけで、大きな音が鳴り響くことはなかった。それもあってか、次第に文香の可愛らしい寝息が聞こえてきて。


「ダイちゃん……ずっと側にいてね……」


 昔の文香を彷彿とさせるような可愛らしい声で、そんな寝言を言った。どんな夢を見ているんだろう。雨の音や雷の音も聞こえるから、夢の中でも雷雨で、俺が側にいるのかな。あと、寝顔が凄く可愛らしい。昔と変わらないな。


「ああ、ずっと側にいるよ」


 小さな声でそう言うと、文香は柔らかな笑みを浮かべた。きっと、明日の朝までぐっすりと眠れるだろう。


「うんっ……」


 そんな可愛らしい声を上げると、文香は腕だけじゃなくて脚までも絡ませてきた。そういえば、昔……一緒に寝ると文香の寝相が凄くて、起きたらベッタリとくっついていたってこともあったな。

 寝顔が可愛くて、無防備な姿を晒されるとドキドキして、文香に色々としてしまいたくなる。ただ、文香の安眠を守るためにも理性を働かせないと。


「おやすみ、文香」


 そう呟いて、文香の頭を優しく撫でると自然と気持ちが落ち着いた。

 ベッドライトを消し、俺はゆっくりと目を瞑る。

 雷がきっかけだけど、こうして自分のベッドで一緒に眠れることが幸せで。文香の甘い匂いや優しい温もりを感じながら眠りに落ちてゆくのであった。

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