2058番目の彼氏
大和ヌレガミ
プロローグ 地上7階の地下アイドル
第1話 とある秋葉の無料イベント
アイドルという単語を国語辞典で調べてみたことがあります。
その辞典には、限りなき・崇拝の対象となるもの、と載っていました。
目の前で踊っている五人組アイドル『ズーシスターズ』を見て、ぼくは思います。
崇拝というのは、ちょっと大袈裟じゃない?
無料ライブとはいえ、この会場に集まっているのは彼女たちのことが好きな人だけでしょう。ショッピングモールのイベント広場なら、通りがかった買い物客が足をとめ、観客の一人になることもありえます。だけど、この会場はたまたま足をとめるような場所にありません。
世界的にも有名なオタクの聖地秋葉原。数多くそびえ立つ大型家電の一つ、岩角電機ソフト館。その建物をエスカレーターで六階まで上がり、そこから非常階段で七階まで上がると、岩角イベントスペースにたどり着きます。
いくら無料だからといって、たまたま迷い込んでしまった一般人などそうそういないでしょう。
もしいたのならそれは、アリスが不思議な国に迷い込む以上に不自然なことだと思います。
ここにいるのはズーシスターズのファンばかりです。もっともイベント自体が無料とはいえ、この後ぼくはお金を使います。今、歌っている新曲『さらばテンプレ・ラヴァーズ』を買い、メンバー全員と握手をします。
中には二枚購入し、握手のみならずポスターを手に入れる人もいるでしょう。四枚購入し、メンバー全員と写真を撮る人もいるでしょう。
けれどやっぱり、崇拝というのはおおげさでしょうよ。
たしかに彼女たちのことは大好きだろうけど、だからといって彼女たちに「爆弾を抱いて死んで」と涙ながらにお願いされても、躊躇すると思います。迷わず即実行、なんて狂信者はさすがに一人もいないでしょう。
曲が変わりました。さっきまでの『さらばテンプレ・ラヴァーズ』はしっとりとしたバラードでしたが『桜色ボンバリー』は様式美のハードロックを彷彿とさせるナンバーです。
テカテカと光沢した衣装は太股やヘソを出していて露出度が高いです。ぼくは遠慮なくガン見します。崇拝というよりは、やや性的な目で見ます。カカトの高いブーツで彼女たちは軽やかに、そして激しくステップを踏みます。
客席後方で怒号が上がります。パイプ椅子を丁寧に並べられた客席の後方には、立ち見するスペースが余裕をもってとられています。その立ち見スペースの最後方には、ステージ上のズーシスターズ以上に激しく踊っている連中がいるのです。
アルファベットのZを描く順序で手拍子を打、人差し指を立てながら、腕を高速で左右に振る奇妙な動き(踊りというには抵抗があります)をしています。
俗に『オタ芸』と呼ばれているやつです。
エルオーブイイー! フッフー!
ところどころで入る彼らの掛け声は肉声であるにもかかわらず、歌を塗りつぶしてしまいます。
まるでキノコを食べてトランスした原住民のような彼らなら、爆弾を抱いて死ぬことも可能かもしれませんね。
……いいや、撤回します。
頭上で手を叩きながら回転する動きにいたってはアイドルの顔など見えていません。ステージすらちゃんと見えていないでしょう。
おそらく彼らはズーシスターズ以外のアイドルイベントにも顔を出し、踊り狂っているのです。祭り好きのヤンキーが全国各地の祭りに参加し、神輿をかついでいても、その神社にまつわる神様のことなどなにも知らないように、オタ芸師たちもまた、アイドルのことなどさほど興味がなく、ただ自分自身を表現できる場を求めているだけのように思えます。
でも、パイプ椅子に座ったままで手拍子を打つ、MCの最中にフーッと叫ぶ程度のおとなしい応援をするぼくに比べると、一心不乱に汗をかいて踊り叫ぶオタ芸師たちは輝いている。
そんなわけあるかい。
あくまで輝いているのはステージ上でライトを浴びる彼女たちズーシスターズです。
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