第6話 女神様でも嘘をつく

 ピピピ ピピピ


「うっ……」


 俺は一定のペースでなり続けている目覚まし時計の機械音で目を覚ました。

 部屋の窓からは見える橙色に染まった空はそろそろ夜が来ることを知らせてくれる。


「……ごめん起こしちゃった? 私も今起きたからとりあえず熱測ろうと思って」

「少しは良くなってるといいですね」

「結構いい感じだよ。ありがとね」


 葉賀先輩の方は朝見た時より幾分顔色が良く、琥珀色の瞳もその輝きを取り戻しつつある。詳しくは分からないがおそらく良くはなっているだろう。それでも安静にしてもらうのだが。


「うーんとね、六度八分。もう大丈夫だよ」

「いいや、まだ寝ててください」

「え〜朝からずっと寝てるのにぃ」

「無理してでも寝てください」

「……ちぇ〜」


 先輩は不満そうに頬を膨らませながら毛布に体を潜らせた。半日寝っぱなしで体を動かしたいという気持ちは分からなくもないがこちらとしては安静にしていてほしいのだ。


「あ、かずくん。学校には今日休んだことなんて言うの?」


 ……思いもよらない質問が飛んできた。というか完全に忘れていたのだが。今更だがなんて言い訳をすればいいのだろう。


「……考えてなかったみたいだね」

「心愛先輩のことで頭がいっぱいだったんですよ」

「……なんか照れくさいからやめてそういうこと言うの」

「ご、誤解しないでください」


 先輩はそういうと顔を赤らめながらお気に入りのぬいぐるみに顔を埋めた。その表情はなんとも言えない類の欲求を無性に掻き立ててきた。


 ふと気づくと右手が先輩の頭付近へと迫っていたので慌てて引き戻す。……危ない危ない。


「とりあえず今から学校に電話するので部屋で寝ててください」

「はーい。もちろん私がいることは言わないでよ〜絶対だぞ〜」

「言いませんよ……フリですか?」

「……まだかずくんとは一緒に暮らしたいから間違っても言ってほしくないの」


 先輩はそう言いながら再びぬいぐるみに顔を埋めていく。恥ずかしくて紅葉色になった顔を隠すためなのだろうが耳まで真っ赤なので照れているのがひと目でわかった。そんなことされたらこっちまで気恥ずかしくなってきてしまった。



 ……これも信頼されているということなのだろうか。



 自室を出て、栄開高校のホームページに記載されている連絡先に電話をかけた。

 学校には体調が優れなかったと伝えると、無理して来なくていいからねと優しく対応してもらった。その後、今日のオリエンテーションの内容を話してくれた。

 先生の紹介や施設案内が主な内容で、後日簡単にまとめたプリントと課題を送るということなので特に心配はいらないらしい。


「……はい、ありがとうございました」


 特に問題もなく学校への連絡は済ませることが出来た。これで一安心。


 今日は先輩がまだ完治していないから、何か柔らかいものを夕食にして……とりあえず部屋に戻ってから考えよう。


 部屋に戻ると、まるで猫のように体を丸めて毛布にくるまっている先輩の姿があった。気のせいか少し震えているように見えた。やはりまだ風邪気味で肌寒いと感じるのだろうか。なら温かくて柔らかい食べ物を夕食に……それなら。


「先輩、晩ご飯シチューとかでいいですか」

「やったぁ。シチュー大好物なんだ」


 先輩は目を輝かせてコクコクと頷いた。しかしどこか遠慮を感じる。また恩を増やしてしまった……とでも思っているのだろうか。


「先輩、別に遠慮なんてしなくていいんですよ。俺だって好きでやってるんですし」

「……べ、別に遠慮なんて」

「少しぐらい頼ってください」

「……ごめん」

「謝らなくていいんですよ。これ以上謙遜するんだったらシチューのにんじんの量特盛にしますよ?」

「鬼! 悪魔! このケダモノ!」


 このままでは拉致があかないのでこの際無理やり話を聞いてもらおうとしたのだが……こ、心が……痛い。言葉のナイフが容赦なく胸に突き刺さっていく。


「じ、冗談です……」

「うむ。よろしい」


 しばらくはにんじんを買わないようにしよう。そう心に誓うのだった。


 ─────


「そうだ和弥、明日バイトあること忘れてないよね?」

「あれ……明日でしたっけ」


 さっきの学校への電話といい、完全に忘れしまっていることが多い。

 俺が希望しているシフトは土日だけだったのだが、先輩は火、木、土曜にバイトのシフトを入れていたので、追加で火曜にもシフトを入れていたのだ。


『これからも仕事中に付き添ってもらうこと』が先輩を泊める条件なのだが、だからとはいえ無理やり予定を合わせてもらうのも束縛しているようで申し訳ないので、自分から予定を合わせたのだ。


「そうだよ。たしか十八時から」

「……完全に忘れてました」

「私のことで頭いっぱいだったかぁ〜?」

「そりゃもうパンパンでしたよ」

「正直でよろしい」


 先輩のケラケラとからかうように笑う姿を見るに具合は完全によくなっただろう。冗談に軽く乗ると胸を張ってドヤ顔でこちらを見てくる。……ほんと子どもっぽくて可愛い。


 ぐぅぅぅ……


 先輩のお腹の音が会話の間の僅かな沈黙を遮った。急に食べすぎるのは良くないだろうと、シチューの量を少なめにしておいたのだが……どうやら足りなかったらしい。


「先輩?」

「……やっぱりシチュー大盛りで」

「どれぐらい欲しいですか」

「……さっきの3倍」


 先輩は俯いたまま頬をふくらませて恥ずかしがっている。笑わない笑わない……。


 その後はすぐに夕食を済ませた。

 よほどお腹が空いていたのか先輩の食べっぷりには驚かざるを得なかった。明日の朝食用に多めに作っておいた米二合分とシチューを軽く平らげてしまった。


「す、すごいですね……」

「まだまだいけるよ?」

「……太りますよ」

「……病気だったから実質ゼロカロリー」


 つい言ってしまった。女性にはそういう話はタブーだと忘れていた。先輩は腕を組んでいる姿からひしひしと怒りが伝わってくる。


「……す、すいません」

「かずくんはいっぱい食べる女性は嫌い?」

「個人的には下手に少食アピールしてくるほうが嫌ですね」

「……そっか。なら良かった」


 そういうとさっきまで不機嫌だった顔を少し赤らめてキッチンへ早歩きで向かっていった。


 先輩がたまに顔を赤らめているのを見ると、少しぐらいなら親しくなれたのかなと思ってしまう。



 ……でも、やっぱりまだ怖い。


 ─────



 ───『いや、ただの数合わせだし』

『いじめなんて遊びの延長だろ?』




 頭の中をドロドロした真っ黒いものが過ぎていく。思い出したくもない昔の記憶。



 ……一人の方が、ずっと楽だった。



 ─────


「先に風呂入るよー」

「……あ、あぁどうぞ」

「どうしたの? 顔色悪いよ」

「な、なんでもないです」


 先輩は不思議そうに首を傾げながら、風呂へ向かっていった。


 なんだか体がどっと疲れてしまった。少しの間部屋で休憩することにしよう。


 俺はふらついた足取りで部屋に向かい、ベッドに倒れ込んだ。


「……ちくしょう」


 この悩みを誰かに聞いてもらえればどれだけ楽なことか。でも同級生も先生もましてや親すらも……本気にしてくれなかった。

 他人事のように扱われるのが辛かった。


 意識がだんだんぼんやりとしてきた。先輩が風呂から出てくるまで恐らく三十分程度かかるので少しだけ仮眠することにしよう。

 そう考えるとすぐに眠気がやってきた。別に逆らう必要も無いので、それに身を任せて眠ることにした。


 このまま全部忘れることができるならどれだけ楽なことだろうか。


 そう考えながら……瞼を閉じた。



 ─────



「かずくん風呂あがったよー」


 返事がない。聞こえなかったのだろうか。

 リビングを見ても和弥の姿はなく、電気は消えていた。部屋にいるのだろうか。


「起きてる? 入るよー」


 和弥の部屋の扉を開けるとこちらも電気が消えていた。しかしベッドには和弥が横たわっている。さすがに長風呂しすぎて暇にさせてしまったのだろうか。


「体臭くなるぞー。おーい」


 肩を軽く揺すってたり呼びかけたりしても返事がない。このまま寝かしておいてもいいのだがさすがに風呂に入らないのはまずい。


 多少強引だけど、頬を引っ張って起こそうと和弥の頬を手をかける。

 すると、顔が目の辺りが妙に濡れていることに気づく。


 ……涙が流れた跡だ。


 あくびでもしたのであれば涙が出るのは分かるが、その割には目の下が結構腫れている。


 ……この涙を私は知っている。

 私も流したことがあるからだ。


今日もやはり疲れさせてしまったのだろうか。……しかもそれを隠していた。


「やっぱり私、迷惑なの……かな……」


無意識に、そう呟いていた。


 ─────



『あなたはいらない子、一族の汚点なのよ』



 ─────


 和弥は気が利くし、優しい。親しみやすいし、からかうと可愛い反応をしてくれる。

 人として……好ましいと思う。


 ……でも、私がいなくても別にどうという訳では無い。


 バイトだって初めてだから初歩的なミスをしただけであってそれを先輩として手助けした。でもそこにいるのはんだ。


 和弥の頬をそっと撫でる。目元をよく見るとうっすらとだがクマができていた。やはり疲れていたのだろう。


「……やっぱり私、迷惑だよね」


再び無意識に、呟いた。


 もし私が和弥に負担をかけているなら、いっそのことここからいなくなった方がいいのかもしれない。


 今日だって私が倒れなければ、弱みを見せなければ、和弥は学校に行けたはずだ。

 本人は大丈夫そうに振舞っているが、内心少なからず不安があるだろう。あの時、ついからかってしまったがきっと迷惑だったはずだ。


 ……なのに私は



 ─────



『あなたなんて、いなくなればいいのよ!』



 ─────


本当に、私は駄目な人間だ。


今までずっと疲弊しきっていたとはいえ、忘れてしまっていた。



───私は、なんだった。



「……ごめん和弥」


 考えたときには既に体はリビングへと動き出していた。

 外に出る格好に着替え、リビングにある自分の荷物を乱雑にバッグの中に入れた。

 初めてここに来た時より少しは軽くなってたので幾分か楽だった。


 私がいるせいで和弥に迷惑がかかるなら、負担になってしまうなら、いつまでも甘えていては申し訳なくなってしまう。どの道ずっと一緒にはいられないのだから、その別れが少し早かっただけ。



「……神様なんて、いないんだろうなぁ」



 昨日の夜に願ったはずの想いはいとも簡単に消えてしまった。いや、もし神様が叶えようとしてくれていても、その道筋を自ら絶ったのだ。



 ごめんね、かずくん。

 身勝手で、どうしようもない私を許して。



 重々しい扉を開けると、思わず手で顔をおおってしまうほどの強い向かい風が吹いてきた。……ここから私の家に戻る方向と逆向きの風だ。


それはまるで神様が、まだここに居なさいと訴えかけてくるようだった。


 それでも私は重い扉を開けきり、荷物を持った。大丈夫。私がいなくなれば、和弥はここで何不自由なく暮らせるのだから。


 開けた扉を閉めようとすると、強風に煽られ勢いよく扉がガタンと閉まった。


 これでもう、引き返すことはできない。


「……ごめんね」


 私は強風に煽られながら、一人薄暗い道のりを歩きはじめた。

 

 ゆっくり、ゆっくりと───



 ─────



〘あとがき〙

 ども、室園ともえです

 今回はちょっと展開が早かったですかね。

薄々自覚してはいるんですけどやはり技量、語彙共に完全に不足しております

 しかし、それでもここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます!

 次回もぜひ、読んでくださると嬉しいです

 よかったら、感想や★、レビューをお願いします。

 それでは、また(。・ω・)ノ

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