第6話 ユフィの過去

 今日の授業はすべて終了した。

 元剣闘士の戦闘理論や魔女の薬草学など、耳にしたことはあったが実際に体験する濃い一日を過ごした。


「決闘、決闘か……」


 授業が終わり、本来なら暇を持て余してどこかへ行こうという時間帯。アッシュは一人、廊下をうろついていた。

 悩んでいるのは今朝申し込まれた決闘についてだった。


「成績にも影響するのがな」


 そのあたりをどう思っているのか。クレアは自分を蹴落とそうという魂胆なのか。


「それにしても、決闘か」


 決闘には良い思い出がない。ジンだった頃は対人戦があまり得意でなかった。

 魔物相手なら、そこに想いは乗らない。だが、相手が人ならば話は別だ。

 本能のままに相手を狩る魔物と違い、人は考え、そして制御する。

 そして、勝ち負け以外の結果がついてくる。


「どうにか断れないものかな」


「なにをなにを?」


 興味津々といった活発な声が背後から掛けられる。


「クレアとの決闘」


 アッシュが振り向くと何枚かのビラを手に持ったルチアがいた。


「断るなんてとんでもないよ。一体どれだけの人と経費が掛かってると思ってるのさ」


 そう言ってルチアは持っていたビラの一枚を手渡してくる。


『ガーネスト家次女、クレア・フォン・ガーネストが決闘相手に指名したのはアッシュ・リーベルト。果たしてどちらが勝利を掴むのか!』


「なんだこれ」


 誰が書いたのかは分からない。だが、向かい合うように描かれているクレアとアッシュの肖像画はよくできている。


「クレアから宣伝してって頼まれてさ」


「あの娘が自分から?」


 そういう風に悪目立ちするのは嫌うように見えたが。


「うん。今回こそは絶対に勝つって意気込んでたよ」


「今回こそ?」


 どういう意味だろうか。


「あ、ごめん。これを配りにいかないと。じゃあね」


 逃げるようにルチアは手を振って駆け出した。

 追いかける気にもなれず、アッシュは一人立ち尽くす。


「面倒なことにならなきゃいいが……」


 何かクレアに嫌われるようなことをしただろうか。


「あの、アッシュくん」


 声のした方向を見るとユフィがおどおどと様子をうかがっていた。


「ユフィ。どうかしたのか?」


「いえ、わたしではなく、その、リンちゃんが……」


「リンが?」


 仏頂面の魔法士を思い出し、アッシュは首を傾げる。

 思い当たる節はあるが、ユフィを使いにしているから彼女がらみではない。


「わたしと一緒に来てください」


 ユフィに先導され、歩き始める。彼女は気まずそうに、隣にいるアッシュの様子をうかがっていた。


「ユフィはどうしてこの学園に?」


 会話のきっかけになればと疑問を口にしてみる。


「……わたしには居場所がなかったから」


 並んで歩くユフィは、ぽつりと話し始めた。


「小さい頃にお父さんが魔物に殺されて」


 ユフィと彼女の母親を逃がすため、一人で強大な魔物に立ち向かったのだという。

 父親の死後、ユフィたちは仲間を頼ってエルフの里へ向かった。


「だけど、ハーフエルフは穢れてるって、そう言われたんです」


 幼いながらにユフィはショックを受けた。そして、母娘共々、エルフの里に入ることは叶わなかった。


「でもね、わたしは辛くなかったよ。お母さんがいてくれたから」


 ユフィはどこか懐かしむように目を細める。過ぎ去った日々を思い出しているのだろう。


「だけど、お母さんも三年前に病気で亡くなって、わたしはどうしたらいいのか、わからなかった」


 一度目を閉じて、ユフィはこくりと頷く。


「そんな時、リーベルト先生たちに会ったんだ」


「あいつ……リーベルト先生とはいつ知り合ったんだ?」


「お母さんが亡くなってすぐかな。宿屋を追い出された私を見つけて、冒険者にならないかって声をかけてくれたの」


「クレアやリンともその頃から?」


「うん。二人ともリーベルト先生と一緒に旅をしてたんだって」


 ユリウスがそんなことをしていたなど初耳だった。

 もっとも彼と連絡をとる機会などほとんどなく、ギルドで伝言を預けあう程度だった。

 いや、一度だけあった。弟子をとらないかと持ちかけられたことがある。

 あの時は断ったが、思えば今の延長だったのかもしれない。


「クレアちゃんとリンちゃんに出会って、わたしの居場所を見つけたの」


 それから四人でひと月ほど旅をして、この学園にたどり着いたというわけだった。


「ん? 三年前にここに来たのならもう三学年なんじゃないのか?」


 アッシュが言うとユフィは少し困り顔で両手を組んだ。


「わたしたち、一度留年してるから」


「そうなのか?」


「うん。一年目の半ば頃に、色々あって進級できなかったんだ」


 苦笑するユフィに違和感を覚える。

 彼女があの二人と一緒にいることも何か理由があるのだろうか。


「ごめんね。暗い話をしちゃって」


「いや。俺のほうこそ、辛い話をさせて悪かった」


 一瞬、ユフィは驚いたような表情を見せたが、すぐに微笑を浮かべる。


「……やっぱり、アッシュくんは優しいね」


「そんなことはないと思うが」


 ジンだった頃は、同業者や依頼主にこっぴどく貶されたものだ。

 悪い噂を流されたことも一度や二度じゃない。


「ううん。優しいよ。こんなわたしと真剣に話をしてくれる人はいないから」


「ユリ……リーベルト先生やクレアたちがいるだろ?」


 しかし、ユフィは寂しげに首を振る。


「リーベルト先生との距離はわたしが一番遠いから。それに……」


「それに?」


「クレアちゃんとリンちゃん、もちろんわたしも。自分のことで精いっぱいなんだ」


「それはどういう……」


 俯いたユフィから答えはなかった。

 根掘り葉掘り聞くのは配慮が足りなかったかもしれない。


「悪い」


「アッシュくんは悪くないよ。これは、わたしたちの問題だから」


 なんとなく彼女たち三人の関係性というものが見えてきた気がした。


「そうか」


 だから、今のユフィのために返す言葉は見つからなかった。

 お互い無言のまま歩いていく。たどり着いたのは学園の中央にある巨木の陰。


「遅かったわね」


 待っていたのは、背丈ほどの杖の先をこちらに向けた魔法士。オールドブルーの瞳が無機質にアッシュの姿をとらえている。

 その杖が振られるとアッシュの隣にいたユフィが輝き、リンの隣へ姿を移す。

 ほう、と思わず声が漏れる。


「なるほど、固有魔法か」


 アッシュの呟きに、リンは少しばかり目を見開き、納得したように頷く。


「リーベルト先生が連れてきただけのことはあるわね」


「召喚魔法や転移魔法の類は中々お目に掛かれるものじゃないからな」


 固有魔法の中でも上位に位置する超越魔法。属性魔法では再現できないものに分類される高位魔法だ。


「君の魔法は召喚魔法か? 転移魔法にしては少し遅いように感じた」


 些細な違いではあるが、生物を召喚するとき承諾という工程を経る召喚魔法は少しばかり遅い。

 リンの表情が険しくなる。軽くカマをかけてみたが当たりのようだ。


「あなた一体何者? ただの編入生じゃないわね」


「ただの剣士志望だよ」


 しばらくの間、二人は見つめあう。それをユフィはオロオロと眺めていた。


「そんなことを言うためにわざわざ呼び出したのか?」


 わざと呆れたようにアッシュは肩をすくめる。


「貴方にお願いがあるの」


 アッシュの仕草に反応することなく、リンは彼を見据えた。

 そして言い放つ。


「クレア・フォン・ガーネストを負かして」


 彼女の瞳には鈍い輝きが宿っていた。そこにあるのは黒い想い。アッシュにも覚えのある嫉妬という名の色だった。

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