3. いびつを容れる器

 昨日は寒い日だった。べつに雨が降ったわけでもないし、風も大して冷たくなかったんだけど。ちょっと日陰にいるのは嫌で、太陽の熱がこいしいから、土の中だといっそうさむい。僕がただ蝉としてだけ生まれたいのちならそんなこと思わなかったんだろうけど。これよりも暖かい場所を知ってしまっているから、擬人するのにも慣れてしまう。

 春のくせに生意気だなと思いながらナナの家を訪れたら、なんだかみんなしてリビングに集まって相談していた。聞けば切菜の部屋をつくるとかなんとか。「前と同じでいいのよ」「それならサイドテーブルみたいなのをさ、」「眠る時はむしに還るの?」「お布団で寝たい」「ふたりで……」「寝るわけないって!」「星の見える部屋は」……。

 いまいちその輪に入れないまま僕はなんとなく家の中を見回して、そうしてまた視線をもとに戻した時にやっと、四人の囲うローテーブルの上にひとつのプラスチックケースが置かれているのに気づいた。よりもふた回りくらい大きい。

 ――気分が悪くなりそうだったからすぐ目を逸らした。なんか、でも、それとおんなじじゃないのかって気がして。訊かないわけにはいかなくて。


「だいじょうぶなの?」


 四人がいっしょにこっちを振り返る。それぞれの目が、それぞれに何かを語っているのを取りこぼさないほど僕は器用じゃない。

 最初に嘘をついたのはユウだった。


「……何が?」



 そもそもどうして切菜が急に本当のからだの方までこの家で暮らすと決めたのかを誰も教えてくれなかった。切菜が言わなかったのかもしれないし、ナナもユウも聞かなかったのかもしれない。蟻の頃の経験を元に決めたならもっとはやくからそう提案してもよさそうなのに、切菜の手元を見れば二齢かそこらのあおむしがいて、ということはそこまでは外のキャベツ畑かどこかですくすくと問題なく育ってきたわけで。

 それとも、すくすくと問題なく育ってきちゃったから怖くなったのかな。おわりのこと。

 そのうち、切菜のからだの方はユウの部屋のサイドテーブルで虫かごの中、切菜がひとがたで眠るのは星の見える部屋と決まった。星の見える部屋は元々ナナたちの親の寝室だったらしくて、あのソファは組み替えるとベッドにもなるから、切菜のために設え直したみたいだった。僕ら座れないじゃん、って文句を言ったら「ソファに戻すのも簡単そうでしたよ」と果楽が微笑んだ。なんかダメだよね。君が笑うとどうでもよくなる。それって何にもいいことじゃないはずなんだけど。

 かごの方はかごの方で蓋をするかしないかで少し揉めてた。なくても平気だっていう切菜に、少し意固地になってるユウのことが僕からするとちょっとやだったし、果楽も、ナナですらやんわり宥めているのに何か誤魔化すようにしてただ蓋は要るってきかない。前は大体付けてた、とか、換気しないわけにはいかないし、とか言ってたけど、「それって理由になる?」「窓、開けるだろ」


「だから?」

「――鳥とか、入ってくるかもしれないし」

「外で生活してるときのほうがよっぽど危ないでしょ。家の中に来た途端そんなに心配するの?」

「それは、」

「君って切菜のこと捕まえてたいわけ? 僕、それに入れられるだけでやなんだけど」

「それは、!」


 ひしと、急に掴まれた腕は見れば切菜が縋っていた。「ごめんなさい、夏羅、大丈夫よ」君が大丈夫かどうかの話じゃないでしょ。だいたい、本当に大丈夫だって思うならなんで俯いてるの。

 いたわるように僕をよぶナナと果楽の声がぶつかって落ちて、かごには蓋がされて、なんか結局僕一人が悪いみたいになってこの話は終わった。ユウの部屋の中央に置かれたサイドテーブルも変なのに誰も何も言わなくて、なにかに触れないようにして整えられていく新しい環境がなんだか気持ち悪い。そんなふうに言葉を選んでよそよそしくなるのって、大丈夫なことなんて一つもないようにしか思えないのに。




「ユウのことを、心配していましたよね」


 その日のうちに気遣わしげに声をかけてきたのは果楽だった。名前の出てるやつは切菜と買い物に行っていなくて、だからキッチンのそばのテラスにいてもこの話が聞かれることなんかない。

 僕はわざと、しばらく相手のことを見返してみせた。それは困らせてやりたかったからなんだけど、そういうの腹が立つくらいわかんないみたいだから果楽はさっきの言葉に続けて「名残が深くなるから」って。

 ユウに憑いているのは無数の蝶ののろいだ。囚われて死んだ蝶の呪い。身勝手に係わるほど深まるそれが、飼い主を殺さないとも限らない。「――じゃあ、何? 君はそうなの?」

「僕、ですか?」訊き返された意図がわからなかったのか辿々しい返事をして首を傾げる。


「君だって嫌でしょ。あの虫籠」

「僕は……、それが切菜の希望なら、」


 そこまでを話してから、一度瞼を下ろした。やがて静かに浅葱色をうつつに曝すと、「不自然だなとは、思います」とささやかな声で、でも確かに僕に言った。


「ただ僕は――嫌というのとは、ちょっとちがって。……不安なんです」


 ふあん、という言葉がざらついた僕の心をやわく撫でる。その曖昧で真実っぽい感情のことを、それ以上確かめない距離感で頼りなく微笑むだけに留めている、僕によく似た顔。

 顔が似てたって名前が同じだったって、僕は君じゃないことを何十回目かわからないけど実感しちゃったよね。僕は籠に閉じ込められるのは二度と御免だし、それを抜きにしたって気まずいし、不安なことをそんなふうに受け入れたりできない。「君って器用だね」って言ったのは褒めてもないし冗談言ったわけでもないけど、思ってもみなかった様子で「とんでもない、」って返ってきたのはちょっと可笑しかった。

 そうやって結局毒気抜けちゃうのもなんか悲しいしふあんで不快で、ひとの心配なんてさ、できるほど器用じゃない。

 

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