2-2

 玄関の開く音がひどく空虚だった。悪夢を見たような気分はずっと続いて、まだ桜の木の影がこの足について来ているのではないか、なんて思えてしまう。処理が追いつかない。あれが「誰」で、一体何の話をしていたのか、シンプルに言い表す言葉まで辿り着くのは困難で……大変なことのようで。ただ、ひとつ、いま確かに言えることは。あの人は別人だということ。七花のもとにいた果楽とも、別人だと――そう願いたいだけで本当に確かなことなのかはまだ分からない。(待って、待って……)怖かった。自称とはいっても、一度に、切菜を殺した人と七花を殺したかった人に出会ってしまって、それは果楽と―――よく似ていて。


「おかえりなさい」


 唐突に降った声に、はっと顔を上げる。「あの、…大丈夫、ですか?」その瞳の色は現実感のない空色をしていたのに、急に目が覚めたような安心感。


「か……果楽、さん…?」

「はい。すみません、驚かせてしまって」

「ほ、本物……?」


 少し可笑しそうにはにかんで、もう一度肯定の返事をする声は聞き覚えがある。そう、果楽さんは、こっちだ。話すトーンもクセも違う。曖昧な「たしか」が一つ確かになって、脳は徐々に冷静さを取り戻しはじめた。(えーっと…)果楽さんだ。生身の、という表現が彼らに相応しいかよく分からないが、少なくとも桜の花弁をおとして消えたあの姿よりは生き生きしていて、ここは自宅で、姉は大学の講義を二コマ終えてもう帰宅していたはずだから、


「…姉ちゃんは」

「何か用事があるとかで、さっき出掛けていきました」

 ということは、会えたんだ。ちゃんと。「………知ら、ないことになってる。姉ちゃんには、俺が、果楽さんはその……人じゃないって」


 いくつか確認しなくちゃならないことはあったけれど、取り急いでこのことは伝えておかなければならない気がした。彼はちょっときょとんとして、それから果敢無い笑顔、どこか嬉しそうに人差し指を口許に添えて言った。「じゃあ、内証、ですね。」ふわりとかすかに陽だまりの匂い。(……ああ、よかった、)この人が、七花の愛した果楽なんだ。

 自然とこぼれる笑顔。その底で、先に見た悪夢のことは気付かれないように仕舞い込む。

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