淹れたてのコーヒーが冷めるまで、
私誰 待文
上ー淹れたてのコーヒーは飲めない
入店のドアベルが鳴ると同時にカウンター席へと腰を下ろす。
僕が日頃から好意を寄せていたウェイトレスの姿は、店内の
注文を取りにきたウェイターに、僕はカフェメニューで一番安いホットコーヒーを頼んだ。
親友は僕と落ち合う約束をしている。
郊外の中でも一際
視界の端に、銀のトレーが横切る。
ウェイターは注文したホットコーヒーを卓上に置くと、無表情のまま立ち去った。
湯気の立つコーヒーを一口だけすすり、反射的に眉を
ひどく熱い。危うく舌先を火傷しかけた。
数分待たなければ、コーヒーは飲めないだろう。
ちょうどいい。
約束を取り付けた親友は、少々遅れて来るらしい。
彼がここへ到着する頃には、コーヒーも飲みやすくなっているだろう。
〇
僕がこのカフェに抱いていた印象は、良くも悪くも「
ただでさえ閑古鳥が鳴いているようなカフェに、休息や居場所を求めようとは思わないだろう。僕や親友のようなもの好きでない限り、ここに立ち寄るのは廃屋に
その「閑静」を耳障りな喘息で破いたのは、一人の男だった。
男はぜぇぜぇと息を吐きながら店内を
男の見てくれは貧相だった。
四角ばった浅黒い
男は湯船に浸かった猿のように赤く、口呼吸をするたびに、黄ばんだ
もし
汚らしい男は野武士のように
男の視線と、物珍しさに彼を観ていた僕の視線が交わる。
すると男は口角を上げ、
「ここで、いい」
僕の真横の席へ腰かけたのだ。
〇
何故、僕の隣に腰を落ち着けたのだろう。
十以上あるカウンター席の、一番左端の席に僕は座っている。後から客が訪れた場合、よほど他人とコミュニケーションを取りたいと考えない限りは、空いている別の席へと座るはず。
だが男は僕の隣に座り、
「あー、アイスコーヒーでいい」
しわがれた声で注文をしたのだ。
「あの」
恐る恐る声をかけてみる。何とか説得をして、親友が座る予定だった僕の隣席から、立ち去ってもらおう。
「先約がいるので、別の席へと移動してもらえませんか?」
だが男はまるで気にせず、僕の隣で深いため息を吐く。
男の衣類からは、
「あの、席を
「兄ちゃん、
ラジオノイズのような声で、男は僕の申し出を断ち切った。
それどころか、僕の個人情報を聞き出そうとしている。どうやらこの男、容姿と精神の浅ましさが比例しているらしい。
「どうして教える必要があるんですか」
「俺はな、今年で二十八なんだ」
言葉に詰まる。目算では四十代後半のホームレスと言われても
「兄ちゃん、名前は?」
男がまたしても質問する。これがカフェでいつも働いていた、あのウェイトレスからだったら答えていたかもしれないが、
黙秘を貫くと、男は何がおかしいのか、僕の顔を見て微笑した。
「まぁいいさ。なら仮に、
一人頷く男。彼の脳内では、僕の苗字は本名と全く接点のない「海老原」と名義付けされてしまった。
「なぁ海老原さん」
男は海老原と決め込んだ僕の顔を見て、笑いかけた。
「あんた――人を殺したことあるか?」
思わず男へと顔を向けてしまった。
彼は今、何と言った? 人を、殺した経験があるかだと?
見知らぬ他人とのトークテーマとしては、論外だろう。どこまで人を不快にすれば気が済むのだ、この男は。
「俺はな、あるんだよ」
……何?
男は僕に瞳を移す。何も見えていないような、
「ついさっき、殺してきちまった」
「えっ」
「今朝、人を殺してきたんだ」
〈続く〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます