第7話『満員電車で痴漢の両腕をへし折ってみた』

 シキは出かける前に抱きしめた時に、

 肩が震えていた。

 オレはそれが心配だった



「つー訳でついて来たわけだ」



 考えても無駄なことはある。

 信じて見送った結果として手遅れなんて寝覚めが悪ぃ。


 シキには一宿一飯の恩義もあるしな。

 まぁ、それに可愛いからな。



「それにしても電車っつー乗り物。狭っ苦しいなぁ、地獄かよ」



 オレがいま使っている魔法は、

 不可視化インビシブル、隠密魔法だ。


 体を透明にする魔法じゃぁない、

 あらゆる存在からオレを認識できなくする魔法だ。


 誰にも認識できないだけで存在はしているし、

 オレの側から相手に触れることも可能だ。



「それにしてもシキ、目が死んでいるな。大丈夫か?」



 誰にも聞こえないような小声でブツブツと呟いている。

 まぁ、オレの地獄耳をもってすればバッチリ聞こえるんだが。



「”えっ……マジで? ウソっ……恥ずかしい……”……私のあの時のリアクションは大袈裟だったかな、うまく普通っぽいリアクションが取れたかな……顔の表情は自然だったかな」



 おいおい、気にし過ぎだっつーの。

 変なのはオレの方だ。


 オレなんてコスプレホームレスヒモ自宅警備員の無職だぞ?

 シキ、んな小さなこと気にすんなよ。



「"なかなか強気なヒモね"……"無職やめてお店開いたら"……冗談のつもりで言ったのだけど、ハルトくんの事を傷つけてしまったのではないか、言い過ぎたのではないか……なんで私はいつも失敗をするのだろう」



 朝の楽しいやり取りの事まで気にしてんのか。

 うーん。あいつは、ちょい真面目すぎる。


 オレは、1ミリもそんなこと気にしてねーよ。

 本人が言うんだから間違いねぇ。


 いい子過ぎるのが逆に心配だぜ。

 少しはオレの雑さをおすそ分けしてやりてー位だぜ。


 なんっつーか、ひな鳥を見守る親の心境が分かってきたぜ。



「――っやめっ」



 クソみたいな顔をしたジジイが

 シキの股間のあたりをまさぐってやがった。


 あんだぁ、あのクソジジイ。

 ――殺すか。


 ……世界へ、過度な干渉をすると、

 この世界の神とかいう存在から排除されるとかいう、

 七面倒臭えルールがあるんだったな。クソが。


 なら、少しだけのお仕置きで我慢してやるよ。



「まずはこの狭い車内で絶叫されても面倒だ。沈黙サイレス



 オレはシキの股間を触っているクソ野郎の両腕を掴み、

 前腕の骨をゆっくりと握り潰し粉砕した。


 クソみたいな汚ねぇジジイが脂汗を流しながら、

 悶絶しているが、沈黙サイレスのせいで叫ぶ事もできない。

 手癖の悪い手にはお仕置きが必要だ。


 魔力適正のないこの世界の人間には、

 基礎的な魔法、不可視化インビシブルだけで、

 両腕をへし折られてすらオレを認識できないのか。



 骨は皮から突き出たりはしないようにしているから、

 大騒ぎになることもない。

 恐らく、他の奴らには腹痛だとでも思われているんだろう。


 握った部分が紫にうっ血するのは目立つので、

 表皮と毛細血管のみヒール《治癒》で再生した。



 60過ぎたオッサンが漏らしながら、

 満員電車の中をゴロゴロと転がっている。


 本来は絶叫をあげているはずなのだが、

 沈黙サイレスのせいで、

 声を出すことができない。



「ちんこ握りつぶさなかっただけ感謝しろ」



 車内は、泣きながら漏らしたオッサンが、

 ゴロゴロと転がって阿鼻叫喚の地獄絵図――


 と、言いたいところだが、現実は違う。

 意外な事に乗客達は平静を保っている。



 というか、転がるジジイに視点をあわせない。

 まるで存在していないかのように扱う。


 この車両の乗客はこういった光景には慣れてるみたいだ。

 床を転がるローリングおっさんをチラリと見た後は、

 面倒くさそうな顔であとは、見なくなった。


 ジジイの近くの吊り皮を握っていた乗客は、

 2、3歩分だけ距離を置き自分に被害の及ばない位置に移動、

 あとは再びスマホに目を落とすだけだ。



「……なんだか、な。これはこれで、異様な光景ではあるぜ」



 正直、もう少し何らかのパニックがあるのではと思った。

 実際は違った。この満員電車の中の乗客は、

 目の前の異常な出来事に関わらないようにしているようだ。



「そういや、シキはどうなった」



 シキは吊り革を握りながらスマホを見ているな。

 でも、怖かったんだろうな足が震えている。



「可哀想に。今後は、痴漢野郎は未然にへし折る事にしよう」



 まっ、勘違いだったらオレが完全に悪人だ。

 ある程度確証を経た段階でしかボコるつもりはねーけどよ。


 それにしてもこの狭っ苦しい満員電車といい、

 この電車の中の乗客といい、最悪だ。


 この狭い空間に充満しているのは、

 殺意、憎悪、虚無、抑圧、絶望。


 戦争に行くわけでも死地に赴く訳でもないだろうに、

 コイツらが発している気配はそれらと酷似していやがる。



「あー。オレも満員電車のせいかちょい、イラついちまっている。いかんぜ」



 この満員電車というのは知らず、

 人にストレスを与えるような物らしい。


 今のオレは"オープンステータスウィンドウ"が使えない。

 自分のパラメーターを確認できないから、

 自分の精神状態や体調は感覚で把握しないといけないのだ。



「当たり前のように使えていた物が使えないとは、面倒くせぇもんだな」



 漏らしながら床をゴロゴロ転がっているローリングオッサンは

 駅員さんに担架に担がれて停車駅で降りて行った。



「自業自得だ。良い歳したジジイがガキを怯えさせていんじゃねぇよ」



 それにしてもこの電車という乗り物手持ち無沙汰になるな。

 次回乗車する時は、シキの持っている本でも持っていくかな。



「おっと、シキはここで降りるのか」



 オレは、シキが恐れる会社という場所に向かうために、

 シキのあとをつけるのであった。

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