第5話『寂しいは、苦しい【シキ視点:2~3話】』

 見ず知らぬ男性を家に誘うなんて危険な行為だ。


 自分でも何故そんな事をしているのか分からない。

 ただ、目の前の青年を信じてみたいと思ったのだ。



「泊めてくれるのか? 今日は雨も強いしお言葉に甘えさせてもらおうかな」



「今日だけと言わずに、家が見つかるまで……ずーっと住んでください」



 本当は、一人ぼっちが寂しいだけだ。

 15歳の時に両親を失ってからは、

 私の部屋はずっとガランとしたまま。


 盗られて困るものもさほど無い。

 失う物は何も無いのだ。


 あるのは私の命くらい。

 それだって彼がいなければ失っていた物だ。

 

 ……救ってもらったのに、"あの時に楽になれたなら"

 とか考える私は、なんて失礼な女なのだろうか。

 

 それは彼の善行を無にする行為だ。



「散らかっていて、すみません。部屋の掃除をする余裕がなくて……床の上の空き缶とか踏まないように気をつけて下さい」



「いや、俺は気にならない。なにせ俺はホームレスだからな、ははっ」



 部屋は汚い。

 平日に出勤時に捨てられる生ゴミは無いけど、


 空き缶やペットボトルのゴミの回収日が土日のせいで、

 缶とペットボトルのゴミがたまる一方だ。


 土日は起きられずにずっとベットで横になっている。

 ゴミを出す気力が湧いてこないのだ。

 

 まるで金縛りにあったように体も心も動かずベットで過ごす。

 それが、私の休日の過ごし方だ。



(…………虚しく、寂しい。生きている実感がない)



 本来であれば異性を家に招くのだから、

 恥じるべきことなのだろう。


 だけどその感情すら薄れている。

 女性らしい動揺も、トキメキも、感動もない。


 彼のせいではない。彼は、魅力的な人間だ。

 いろいろと不審なところはある……。


 だけど、少なくとも私はそう感じるのだ。

 女性としての感情を何も感じないのは、

 きっと今の私の感情が死んでいるからだ。


 部屋は汚れている空き缶は散らばっているし、

 この狭い部屋では掃除機もかけていない。

 床には安くてアルコール度数の高い酒の缶とペットボトル。


 朝に家を出て、家に帰ったらお酒を飲んで、

 土日には布団のなかで寝ているだけ。


 掃除する時間がまったくないわけではない、

 だけど、する気力が沸かないのだ。



「ああ、散らかっていてすみません。仕事と家の往復ばかりでどうしても、部屋の掃除をする余裕がなくて」



 彼が何故、無職のホームレスなのかは私は知らない。

 彼は私にないものを持っている。

 そんな気がする。

 


「いや、俺は気にならない。むしろ、泊まるところがない俺に泊まる場所を提供してくれた事に感謝だ」



「そうですか」



 私の通っている心療内科で処方される薬は、

 薬のシートから取り出してブリキの缶に入れていた。

 

 処方されている薬は8種類もあるのだ。

 シートから毎回取り出しているだけでも結構な時間がかかる。


 だから、ブリキの缶に乾燥剤を入れてチャンポンにして、

 鷲掴みにして流し込む、それが私のスタイルだ。


 ブリキの缶から取り出すのすら途中から面倒くさくなって、

 途中から机に直置きするようになった。


 出かける前に机の上に散らばった薬をミンディアの

 タブレットケースの中に入れて同僚や上司に

 悟られないよう、会社のトイレの個室で飲むのだ。



「……ああっ、また忘れてた。お医者さんに言われていた、いつものオクスリ、飲み忘れないようにしないと」



 医者から処方された薬は8種類。

 今や極彩色の毒々しい色にも慣れた。


 今は8種類の薬を水道水で飲み込むこんでいる。

 最初は嘔吐感に苛まれた時もあったが、

 今はもう、その感覚にも慣れた。


 これは自分の心の痛みを止めるために必要な儀式だ。


 まぁ……その単純な儀式すら忘れる事もあるのだから、

 救いようがない。私の心も、頭も壊れている。



「えっと……すごい量の薬だけど、もしかして風邪? 疲れているみたいだし、無理しないで横になりなよ。つーか、体調が悪い時にオレのような得体のしれない男がいたら邪魔でしょ? 好意はありがたいけどさ、迷惑をかけるつもりはないよ」



「うぅん、邪魔じゃないよ。行かない、で。それに体調が悪いのは今日だけじゃない、ずっと……そう、ずっとなの。それに私のは、治らない病気なの」


 

 見た目の奇異さとは正反対の反応だ。


 無職のホームレスと言っていたけど、

 彼の自然と出る所作、想いやり、気遣い、

 それらに隠しきれない育ちの良さを感じさせられる。 


 昔は良いところの生まれだったのかもしれない。

 人の人生は、思った通りには進んでくれない。


 

(ああ……駄目だ、くらくらする。足に力が入らない)



 この症状は風邪ではない、いつもの事である。

 薬の血中濃度が半減すると同じような症状が出る。


 さっき飲んだ薬の効果がでるのは、

 早くて30分遅いものだと1時間以上かかる。


 血中に取り込まれるには多少のタイムラグがあるのだ。



「いいの。私のは、治らないやつだから。この薬を飲むと心が落ち着くの。でも、ハルトくん気を遣ってくれてありがとうね。はぁ……今日も疲れた」



「不治の病、ってやつか……?」



「ふふっ、違うよ、そんな大げさな病気じゃないって。命の危険はないの。それに、さっきのオクスリ飲むと心が落ち着くの。だいじょーぶ、ハルトくんは何も気にしなくても大丈夫だから」



 "ハルトくん"。


 薬の力を借りないと、彼の名すら呼べなかった。

 私はなんて意気地がないのだろうか。


 命を助けてくれた恩人を前にする態度ではないのだろう。

 彼には私が娼婦か何かに見えているのだろう。


 それで良い。私には、何も期待しないで欲しい。

 期待に応えることは出来ないのだから。



 あぁ……短期間で効果を出すために、

 舌下投与ぜっかとうよした薬の影響か、

 うまく頭がまわらない。



「ふわぁ……。ねみゅい。うん、ねみゅい。……今日はもう、寝ようか。お風呂は……うん明日の朝でいいや。そうしよう。私はちゅかれたにょ」



 舌がもつれる。

 ロレツが怪しくなって来た。

 疲れた、眠い……寂しい、虚しい。

 人のぬくもりが恋しい。



「おいおい、サトミさん大丈夫かよ」



 里美さんと呼ばれるのは嫌いだ。

 その名が呼ばれる時はいつもロクなことじゃない。


 ハルトくんには、その呼び方で呼ばれたくない。

 ハルトくん、ハルトくん……初対面の相手に

 随分と馴れ馴れしい。


 眠剤で朦朧としているせいか、

 自分が何を言っているのか良くわからない。



「ハルトくん、私のことはサトミさんじゃなくて、シキって呼んで、ね」



 何を言っているのだろうか、私は。


 ベットに誘っておいて何ではあるが、

 その後どうした良いものか分からない。


 でも……もう、そんな事はどうでも良い。



「ハルトくんも一緒に寝ない?」



「ああ、そろそろ夜も遅いからな。俺は、この広間で寝てもいいか、シキ?」



 ハルトくん、彼は優しい人だ。

 それとも私に女性としての魅力がないのか。



「うーん。一緒の布団で寝よ。私、ちょっと疲れてるから、ハルトくんが一緒のお布団で寝てくれると助かるな」



 声が少しだけ上ずってしまったかもしれない。

 嫌われたかもしれない、幻滅させたかもしれない。

 こんな私を好きになってくれるのだろうか。



「えっと……そんじゃ、おじゃまします」



 しばらくの沈黙ののちに彼は答えた。

 ちょっと赤面した表情がかわいいなと思った。

 初めてを捧げる相手が彼のような人で良かった。



「はい、どうぞ」



 自分で誘っておいてなんだろうか、

 これから先に何をしたら良いのか分からない。


 太ももの辺りに硬い感触を感じる。

 女性として認識してくれていることが嬉しい。 


 とりあえずはまずはキスだろうか。

 一度、ディープキスというのをしてみたかったんだ。



「ハルトくん、横向いて」



 凛々しくて端正な顔立ち。

 強い意志と優しさを秘めた瞳。

 それでいてどこか暖かさを感じる。


 私とは違う世界に住む真っ当な人間。

 

 私は、彼の頬をつかみ唇を重ね、

 貪るように自分の舌を彼の口内に潜り込ませる。


 なんでだろうか、ほっとする。

 彼のことは何も知らない。


 だけど、肌が触れ合っているだけで、

 その一瞬だけは寂しさを忘れられる。


 舌と舌を絡み合わせるだけのことなのに、

 どうしてこんなに、安心するのだろうか。


 何故かハルトくんが隣に居ると落ち着く。


 私は一体何をしているのだろう……

 ……私は……失いたくない……

 これは、夢じゃないよね……

 ……朝起きたらハルトくんが居なかったら……



 



 私はそこで意識を失った。

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