能ある猫は爪を隠す
真白涙
第1話 始動・高校生活
表と裏、人間は誰しも二つの顔を持っている。
本性や本音、欲望や願望を心の奥底に潜ませるのは円滑なコミュニケーションのためだ。決して悪いことじゃない。
遠慮して、謙遜をして、社交辞令を重ねて世を渡り歩くのは社会人までに誰もが身に着けておくべきスキルの一つだ。
求められるシチュエーションに応じて自分を演じ分けて仮面を被る。
本性に幾重ものベールを重ねて、自分を偽って生きていく。表面上はいい子でありながらも、水面下では見せられないような本音を抱えて生きてく。
さぁ、バレてはいけない高校生活の始まりだ。
期待と緊張が織り交ざった独特な雰囲気、出会いの春。
天井の中央一部のガラス張りになっている部分から柔らかで温かい太陽の光が降り注いでいる。式典中に流れている優雅なBGMはまさかの生演奏。制服に身を包んだ生徒たちが指揮者のゆったりとした動きに合わせて演奏している。
腰かけている椅子は硬すぎず、柔らかすぎないクッション素材のスタッキングチェアはクラスごとに横一列で並べられている。1年A組は新入生の列の中で一番前の列だ。目の前に遮るものはないもない。
壇上では学校長が人の良さそうな笑顔を振りまきながら挨拶を終えたところだった。階段を一段降りる度、飛び出た下っ腹が揺れている。
若者のやる気やモラル低下を嘆くより、自身の血糖値や体脂肪率低下を目指していただきたいところだ。
「在校生歓迎の言葉 代表は生徒会会長 3年A組天城真」
「はい」
凛としていて品のある男子生徒の声が響き渡った。天城、と聞いて思い浮かべるのは有名商社であり多くの関連企業を持つ天城グループ。その長男が天城真だ。
ピンと背筋を伸ばしたまま、折り目正しく礼をするその態度は好青年の一言に尽きる。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。ようこそ、私立百花院学園高等部へ」
聞き取りやすくはきはきとした声だ。光を浴びて輝いて見えるこげ茶の髪に少し高い鼻、手足はすらりと長い。壇上でも緊張の欠片も見せずに堂々としている。
「うわっ、すごいカッコいい」
「大人の人って感じ」
「やっぱり生徒会長は真先輩だよね」
周りからそんなひそひそ声が聞こえてくる。
「学生の本文である勉強に勤しみながらも、三年間しかない高校生活を大いに楽しんでください。私の所属している生徒会活動がその一助となれば幸いです。そして、生徒となったみなさんはそんな生徒会の一員でもあります。帝峰学園をより素晴らしい学園にしていくためにも、みんなで手を取りあって、協力しながらこの学園を作っていきましょう。以上、在校生代表 生徒会会長 天城真」
割れんばかりの拍手がホールに響く。内容はさることながら上手いスピーチだった。間の取り方や抑揚、声のメリハリなど棒読みではないけれど演技臭くもない絶妙なライン。
人前に立って喋ることに慣れていないとできないやり方だ。ぜひとも参考にしたいのと同時に、なんとなく嫌な気配がした。あの人、ちょっと私と似ている気がする。
似ている人間には嗅覚がよく働く。自分と似ているならば、等しく相手も嗅覚が鋭いはずだ。不用意に近づくのは避けた方が良さそうだ。
「続いて新入生代表の挨拶」
いけない、よそ見をしている余裕はない。座ったままブレザーの端を引っ張って皺を伸ばす。事前にプログラムは渡されているし説明も受けているから何ら緊張することはない。
「新入生代表 1年A組 東雲律葉」
「はいッ」
立ち上がってから返事をする。新入生の列から抜けて壇上へ続く階段へ向かう。途中、先生方と来賓の方に向かって一礼。視線が刺さるのを感じながら頭を下げてしっかりと二秒数える。
壇上はスポットライトで照らされていた。百花院学園高等部 入学式と力強い毛筆で書かれた幕が掲げられている。両サイドには豪華だけど品よく整えられた生け花。
全て上手くやるだけだ。目の前に広がる光景しっかりと見据える。こうして正面から式場全体を眺めると、立派な建物であることがよくわかる。これが体育館なんて信じられない。
一階には新入生と在校生、先生や来賓の方がいて観覧席のように一階をぐるりと囲む二階席には新入生の親が座っている。
BGM代わりの生演奏がボリュームを二つほど下げた。すぅ、と息を吸い込む。この一歩から、私の高校生活は始まる。
「あたたかな春の風と柔らかな日差しに桜のつぼみも開きはじめた今日という日に、わたしたち新入生のためにこのような素晴らしい式を開いてくださり本当にありがとうございます」
私の声はマイクに乗っかって体育館全体に響き渡る。声はワントーン高く、品があるけれど幼すぎない声。
「今日から自分も、由緒ある百花院学園高等部の生徒。そう考えると自然と背筋が伸びて、三年間への期待が膨らむとともに少し緊張します」
文末は少し声量を落とした。入って来た新人が自信満々でしっかりものだというのは、頼もしいけれど先輩としてはあまり面白くないところだろう。ちょっと不安要素があるくらいがいい塩梅、そう計算した結果だ。
「勉強、部活動、様々な行事、何事も一生懸命、全力で取り組んでいきたいです。時には挫けそうなこともあるかもしれません。その時はどうか先輩方、先生方、どうかあたたかくも厳しいご指導のほど、よろしくお願いいたします 新入生代表 東雲律葉」
もう一度、礼。今度はさっきよりも少しだけ頭を長く下げる。だけど、深く下げすぎないように。
この式台、高いから頭を下げすぎると式台に体が隠れてしまうことになる。決して、私の身長が低いわけではない、私の身長は四捨五入すれば150cmもある。
壇上から降りて自席に戻る。
「新入生代表ってことは主席?」
「多分そうなんじゃない?」
そんな話し声には聞こえないフリをする。品定めするような視線もいくつか感じたけれど、それも無視だ。胸を張って堂々と生きていかねばならない。
なぜなら、この私立百花院学園は日本でも有数のお坊ちゃん・お嬢様が通う超お金持ち学校。
それは学校設立時から変わらない。金持ちのぼんぼんたちがこの学校に入学して、卒業後は社会に羽ばたいていく。成功し、名が売れればその学歴が世間に知られて百花院はよりお金持ち学校のブランドイメージを強くさせていく。
この学園に通うのは、さっきの天城先輩のように有名グループの御曹司とかそういう人物。あそこまでの有名人はそんなに多くないけれど、某ブランドの娘、某メーカーの跡取り息子などなどそういうのもこの学園じゃ珍しくない。世帯年収が一定金額を超えていないと、学費の捻出は難しいだろう。
そういえば、新入生の中に有名和菓子店の息子がいるとか噂で聞いた気がする。京都のお店だったけど、なんという名前だっただろうか。大層立派なご実家だろうに、わざわざ家を出て東京の百花院に通う。百花院にはそれくらいの価値があるのだ。
それだけのお坊ちゃん・お嬢様が通うだけあって校舎は学校の域を超えているような建物で設備も豪華だ。現在進行形で入学式を行っているこの体育館も、スポーツの大会やちょっとしたライブにも使えてしまえそうなほど設備がいい。
全教室どころか廊下まで冷暖房完備って何?ホテル?私の通っていた中学校なんてクーラーがあるのは職員室と保健室くらいだった。
お金持ち学校でありながも最近では未来のリーダー、有能経営者の輩出校としても徐々に知名度が上がってきている。学力の向上にも力を入れているだけあって、そこそこの頭もないとこの学園には入れない。
つまり、この百花院学園に入学するために必要な要素は二つ。バカ高い学費を払えるくらいの財力と高い偏差値。
おじいちゃんとおばあちゃんと三人で、田舎の山に住んでいた私なんかが通うような学校じゃない。
実家はど田舎に平屋の一軒家で、金持ちがだ大っ嫌いな一般階級の家の子どもがここに居るなんて、絶対にバレるわけにはいかない。
そんなことはおくびにも出さず笑顔を張り付けたまま席に戻る。新入生代表、つまりは優等生の猫を被ったまま、おしとやかにスカートのプリーツを手で直した。
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