梵天の要請

2010-02-01 00:00:00 | 経典

 七日間、〈仏陀となった釈迦〉は菩提樹の下に留まり、〈比類のない完成されたさとり〉を味わい続けた。〈自身のうち滅ぼした煩悩の数々(=魔羅の軍勢)〉を振り返り、「実にこの〈比類のない完成されたさとり〉を得るために、無数の過去世において修行を重ね、〈自らを犠牲とする行為〉を積み上げてきたのだ」との感慨にふけるのだった。

この後、仏陀はひとつの樹に執着を持たないために七日ごとに瞑想をする樹を変えることにした。


そして第七週目に、仏陀はアジャパーラ樹の下で黙想していた。そのとき、つぎのような考えが心に生じた。

 ――私の悟った〈法(真理)〉は深遠で、難解であり、ほかの者には極めがたいものだ。静謐であって、思考の域を超えたものである。微妙であり、賢者だけが知りうるものであって、〈五感の悦び・執着〉を越え、〈五感の悦び・執着〉の地盤を揺るがすものだ。

ところが世間の人々は〈五感の悦び・執着〉に溺れて、楽しんでいる。そのような人々には、“すべては縁によって起こる”という道理は理解しがたいものだ。また、「〈盲目的に形を作ろうとする力(行)〉が止み、〈五感の悦び・執着〉を捨て、〈しがみつく煩悩のとらわれ〉が消え、〈むさぼり欲しがること〉から離れて、心が静まり波立たないこと」つまり〈涅槃〉という道理も理解しがたいだろう。

たとえ私が〈法〉を説いたとしても、人々が理解してくれないのならば、徒労だけが残る。憂いだけが残る。


 そうして仏陀は、つぎのような前代未聞の詩を口ずさんだ。


   労苦して開いた悟りを、人々に説いてなんになろうか?

   貪り・憎しみに満たされている人々に、この〈法〉は悟りがたいもの。

   この〈ダルマ(真理)〉は、世の常の習いには逆らって、精妙で、深遠で、微妙なのだ。

   どん欲な闇に閉ざされた人々には、この〈法〉は見ることもできないだろう。


 こう考えて、仏陀の心は、説法ではなく沈黙のほうに傾いていった。


 そのとき、〈この世界の主である最高神・梵天〉は仏陀の心中の思いを知って、歎いたのだった。

 ――ああ、世界は滅びる!おお、世界は崩壊してしまう!如来(修行を完成させた人)、羅漢(敬われる人)、仏陀(目覚めた人)の心は説法ではなく、沈黙に傾いている!


 そして、“力持ちが曲げた腕を伸ばし、伸ばした腕を曲げるように”、梵天は力をためて、瞬時に〈天上の梵天宮〉から姿を消して、仏陀のまえに出現したのだった。

梵天は衣を一方の肩に掛け、右膝を地につけて、仏陀に合掌して、つぎのように三度くりかえして言った。

「世尊よ、法を説いていただきたい。世の中には、汚れの少ない者たちもいます。彼らは教えを聞かないと退歩しますが、世尊が法を説かれるなら、〈真理を悟る者〉となるでしょう。

 かつて、マガダ国で〈不浄な者たちが考えた不浄の教え〉が広まってしまったこともあります。

世尊よ、どうぞ〈甘露(不死)の門(=死の苦しみを乗り越える道への入り口)〉を開いて、〈無垢の悟りの教え〉を説いてください。“山頂に立って人々を見渡すように、賢明で広い目を持っておいでの”貴方様、“世の数々の憂いを乗り越えた”貴方様は、“〈法〉という立派な塔”に上って、苦悩に沈む人々、生と老いに責めたてられている人々を見てください!

英雄よ、勝利者よ、立ち上がってください。キャラバンの隊長のような方よ、(業という)負債なき人よ、世界を歩んでください。世尊よ、法を説いてください。真理を悟る者はいるはずです!」


 仏陀は梵天の要請を知り、人々への慈愛をもって、世界を観察した。〈覚った者の目〉で世界を観察すると、つぎのようなことが分かった。

――煩悩に汚れていない者たちと、たいそう汚れた者たちがいる。すぐれた素質の者たちと、素質の劣った者たちがいる。性格のよい者たちと、性格の悪い者たちがいる。教えやすい者たちと、教えにくい者たちがいる。そして、“来世や罪業の恐れを知って”暮らしている者たちもいるのだ。

 譬えるならば、〈青い蓮の咲く池〉〈黄色い蓮の咲く池〉〈白い蓮の咲く池〉のなかで

いくつかの〈青い蓮〉〈黄色い蓮〉〈白い蓮〉は水の中で生長し、水の中に沈んだまま繁茂する。

またいくつかの〈青い蓮〉〈黄色い蓮〉〈白い蓮〉は水の中で生長し、水面にまで伸びる。

そしていくつかの〈青い蓮〉〈黄色い蓮〉〈白い蓮〉は水の中で生長し、水面から上に出て、泥水に汚れることがない――


 このように、世の中には煩悩に汚れていない者たち、たいそう汚れた者たち、すぐれた素質の者たち、素質の劣った者たち、性格のよい者たち、性格の悪い者たち、教えやすい者たち、教えにくい者たち、“来世や罪業の恐れを知って”暮らしている者たちがいるということが、覚者(仏陀)の目に映った。

 そうして仏陀は梵天にむかって、つぎのような詩で語った。

  

  不死の門は開かれた。

  耳ある者は、聞くがよい。そして、邪しまな信念の生活を捨てよ。

  梵天よ、人々を害してしまうことを心配して、

  私は甚だ深くて微妙なる〈法(真理)〉を説こうとしなかったのだ。


 梵天は、「仏陀が説法する機会を作ることができた」と安心して、仏陀を敬って礼し、仏陀のまわりを右回りして(最高の敬いを示すふるまい)、姿を消した。

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