第6話 仕事にミスはつきものなれど
「32番のひろあきくん、こちらへどうぞ~。」
保健師の呼び掛けに、愛が博晃を抱え大きく返事をした。
「さくらちゃん、またあとでね!」
「ひろくんもあとでね~!」
可奈子と愛は、お互いの子供の手をひらひらと振らせた。
「あぶっ」―コウさん、またあとで!
博晃からは念声こそ聴こえなかったものの、足をバタバタと動かしながらずっと笑顔でさくらを見てくれていたので、さくらは大きな喜びを感じていた。
しばらくするとさくらの名前が呼ばれた。
レイは、先のサカのようによれよれと飛び、「頭が痛い…」と言ってさくらのもとに戻ってきた。
サカの風邪が移った、というわけでもないだろうし…、とさくらは首を捻った。
―テン、非常に残念なお知らせが。
「あーうー」―どうしました?サカさんはどうしちゃったんですか?
―サカはね…、霊力を送りすぎちゃってね…。
レイは保健師と可奈子がやりとりしている机の端に座って足を組み、頬杖で歪んだ顔でため息をついた。
―赤ちゃんにいくら力を送ってもコウの意識が開かないから、天界に問い合わせたんですって。その間に、家の近所に誕生が数日違いの赤ちゃんがいたから、赤ちゃんを間違えたのかと思ってその子にも霊力を送って…その子はわりとすぐに開いたみたいだけど。つまりサカは力の送りすぎであんなにヘロヘロになったわけよ。まあそのうち元に戻るわ。
保健師が、廊下に出て3番の札の前に並ぶようにと可奈子に指示をした。
連れられながら、さくらはン~?と首をひねった。
「あぅぶぅー?」―じゃあ、結局赤ちゃん間違いだったんですか?後の、開いた赤ちゃんがコウさんなんですよね?
―それがね。開いたら極普通~の、ちょっと霊感のある赤ちゃんだったのよ。
「うん?」―うん?どういう…
「身長体重計るよ~おむつ取ってくださいね。」
(おむつ…!)
―んぎゃっ!
さくらの羞恥心に頭の輪が反応して、レイは缶詰になった。
「あぶっあぶっ」―ごめんなさいごめんなさい
腕を引っ張り起こされ、足を曲げ伸ばされ、なされるがままになりながら、さくらは考えた。
「…おぅ?おぅおぅ?」―えっ…と…?コウさんが、サカさんたちの姿や声が見えるし聞こえるけど、もしかして記憶がないってことですか?
小児科医の女性がさくらの声をおうおうと繰り返して応え、「問題ないでちゅね~」とにっこり笑って顔を近づた。さくらはきゃっきゃと喜んだ。
缶から解かれたレイは、その様子を微笑ましく思いながらも、ぐったりと同じ診療台に横たわり、ため息混じりに説明を続ける。
―コウは残念なことに、記憶もないし、私たちのことを見えも聞こえもしないのよ。天界の回答がね、どうやら転送のどこかでミスがあって、開くスイッチみたいなもんがついてないんですって。開いた赤ちゃんじゃなくて、最初の、力を送りまくっても一向に開かなかった赤ちゃんがコウってわけよ。
さくらは口をあんぐりと開けた。
待合になっている廊下のスペースでは、愛子が椅子に腰掛け、膝の上に博晃を仰向けにして抱えていた。
そのお腹の上でサカが、土下座というには少し滑稽な、自分の頭頂部を博晃の胸のあたりに押し付けるような格好をしている。
―霊力を取り戻さないと…。
「あぅ…」―サカさん…。
必死なサカに、レイもさくらも憐れみの目を向けた。
―もう。しょうがないわね。
そう呟くなりレイが一回り大きくなって、姿が少し薄まったかと思うと、ふわりとサカの体に手をやった。
サカの体は大人の拳三つ分ほどの大きさになり、サカは「すんません、恩に着ます」と涙ながらに礼を言った。
レイは次に愛の体を通り抜けると、元の大きさに戻り、ふぅと一息ついた。
「うい?」―今、何したんですか?
―力を分けたのよ。コウのお母さんはだいぶ疲れてるみたいだから。
「おー」―そんなことできるんだ!
―まぁ、テンから分けてもらってる霊力だけどね。勝手にごめんね。
「おう!あいー!」―いえいえ!どんどん分けちゃってください。じゃああっちの疲れてそうな方にも分けてきてもらえますか?それから…
―いいけど…やりすぎるとさくらがバテちゃうわよ。私の力が弱くなってくると、これが勝手にチャージしちゃうから。
と言って頭の輪を指した。
「ぶぅ!おえ?」―私は大丈夫です!ところでサカさん、コウさんが困ったことになったって聞きましたけど…。
窶れ顔の女性のもとへ飛んでいくレイを見送りながら、サカが難しい顔で頷いた。
―この博晃くんがコウさんの魂で存在してることには間違いないんだって。ただ、コウさんとしての記憶はこの体に引き継がれてないし、霊力も秘めてはいるけどコントロールするすべがないんだよ…。
「えぅ…ばぁ…」―それって…まずいんじゃ…、もしかして天界に還ったらコウさんが私の後輩に…?
―あ、大丈夫大丈夫。還ったらコウさんの記憶も戻るみたい。
「おぇ」―それは良かった…けど…戻った後のコウさんに、この博晃くんの記憶は残ってるんですか?そしたら、なおのこと気まずいです…。
―どうだろう?たぶんこの博晃くんの記憶力程度には残るんじゃないかな?ふふふ。気まずいねぇ。
戻ってきたレイが博晃の頭の上にどかっと座り足組みした。
―まあね。痛いミスよねぇ。コウが教育係な上に任務もあるのに。転送係はきっと減給ね。装置工にもクレームがいきそう。いや、もしかしたら情報整理係や資料の出力係 、判子を押した部長や課長、あるいはコウ本人のミスの可能性も…。それぞれ言質をとって責任追求を…
―またそんな、日本人みたいなこと言って…。さてはレイさん、降りてきてからずっとテレビみてたんじゃないですか。
―あんたはその日本人への謎の固定観念をどうにかなさいよ。
―ほんとのことですもん。中途出立霊に聞いたんですよ。
―ていうか日本人に限ったことじゃないわよ。
レイとサカの会話、可奈子と愛の声、施設内のざわめきが、まるで子守歌のようにさくらの意識から少し離れたところでさわさわと流れていく。
(力を使いすぎたかな?)
「なんか久々に可奈子と話したら元気になったわ。ありがとね。」
「本当?良かった!家には戻ってくる?」
「明日戻ろうかな。旦那も心配だし。」
「そっかぁ。良かったね~さぁちゃん。明日からはいつでもひろくんと会えるよ~うれちいね~。」
可奈子が抱いているさくらの顔を博晃に向けようとすると、さくらの頭がこてんと倒れた。
「あれ、さくらちゃん寝ちゃった?可愛い~!」
「うわ、今寝たかぁ。車乗せられるかな。」
―ちょっと見てよサカ~うちのさくらを。超超可愛いでしょ、この寝顔!
―ほんとだ。ひろくんは寝る前死ぬほどぐずるからママさん大変なんですよ。
レイとサカがさくらの顔を覗き込んだ。
口角がぴくりと上がり、やわらかく微笑んでいるように見える。その半開きの口から、ぴょろっとよだれが顔を出し、レイとサカは「かーわーいーい~」と目尻を下げた。
―コウさんもお気の毒に。せっかくのテンとの転生だったのに。
―ほんと、世紀の大接近チャンスだったのにね。
愛が「また遊ぼうね」と言いながら博晃の手を操り、さくらの手とタッチさせようと近づけると、博晃がきゅっとさくらの手を掴んだ。
―コウさんがテンと手を繋ぎましたよ!
サカが小声で興奮気味に言い、レイも前のめりになってこくこくと頷いた。
眠っているさくらの手が、同じようにきゅっと博晃の手を握り返した。
―テンがコウの手を握り返したー!
レイとサカはひょこんひょこんと跳ね回って騒ぎ、これからが楽しみだと喜ぶのだった。
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