第3話 開いた
白いレースのカーテンから漏れる光が、部屋の壁や天井にゆらゆらと波のような模様を映し出している。
シャカシャカシャカ、チョロチョロ、ザー、トントントン…。
テンの朧な意識が、どこからか聞こえる音の正体を考えていた。
目を開けると、そこには大小のぬいぐるみやおもちゃがあり、それらと一緒にレイが並んで頬杖をついて微笑んでいる。
テンがキョトンとした顔でレイを見ていると、レイは少し驚いたような嬉しそうな表情に変わった。
―あれ?開いた!
久しぶりのレイの声が、テンのこめかみの奥に届いた。
「あうーえぁうー」
(あれ…?レイさん。おはようございます。)
―あ゛ーがわ゛い゛い゛!テン~~可愛いよ~テン~!
叫びながらレイがテンの顔にむぎゅうと抱きつく。
聞きなれない幼い声が自分の口から発せられたことに気づくと、やっとテンは自分が人間に転生したことを思い出した。
「えぉーおー」
(レイさん、ちっちゃくなってどうしたんですか?)
レイの体はテンの顔よりも小さくなっている。
声は上手く出せず、レイには伝わっていないようだ。
―ああ、念声の出し方がわからないのよね。喉を絞って、耳の奥から声を出すつもりで念じてみて
そう言われても…とテンは困惑した。
どう力を入れればどこがどう動くのかがわからないのだ。
(とりあえず、イメージだけして念じてみよう)
「おぉー」―おはようございます
するとレイがにっこり笑って、おはようと言った。
「えぃー」―レイさん、なんでちっちゃくなってるんですか?
―テンの意識が目覚めるまで、あなたの体に私の霊力を送っていたのよ。それからこうして触れるように、実体化する力を使ってるの~。
と言いながらテンの頬をふにふにと触り、「力が戻っても今のテンぐらいの大きさだけどね」と付け足した。
「いいーあ?」―実体化?人間にも見えちゃうんですか?
―この程度なら普通の人間には見えも聞こえもしないわ。少し霊感があれば火の玉程度には見えるでしょうけど、テンの両親は大丈夫よ。
「おーぅ」―今、私生まれてどれくらいなんでしょう?
―二ヶ月ちょいよ。まだ体が上手く使えてないから難しいだろうけど、テンも慣れたら声を出さずに通信できるようになるからね。
その時、ズーッという音をたてて襖が開き、人間の大人がテンたちのいる部屋に入ってきた。目も眉も垂れ気味の、とても優しそうな印象の女性だ。
「目が覚めたの~?」
その姿と声に、テンは喜びと安らぎを感じた。
―来たわよ、大好きなママが。
「おあぅ?」―お母さん?
「ちゃあちゃ~ん!ご機嫌ちゃんだね~」
母親は少したゆんだ髪を束ね直し、布団で横たわるテンのそばに膝をつくと、可愛いね~と笑顔を近づけた。
「かかのお手手冷たくてごめんね」と謝りながらテンの頭を丁寧に肘にのせて抱き上げると、テンは母親の腕の中で丸くなった。その様子をレイがほっこりと見ている。
(私のお母さん。あったかい。落ち着く。…幸せだなぁ。)
唇の端をつんつんとつつかれると、そこに幸せがある気がして思わず追って口をあっと開けた。
「はぁい。おなかちゅいたねぇ」
母親が甘やかすような声で言いながらソファに座ると、
―あっちょっと待っ…
とレイの慌てた声が聞こえ、そちらを見ると、ふわりと浮いていたレイの姿が突然銀色の円柱に覆われてしまった。
「えぁ?!」―レイさん??!
―イヤー!もうーアホー!ばかー!トユのくそったれー
レイのくぐもった叫びとカツンカツンと叩く音が缶詰の中から聞こえ、テンは慌てふためいた。
「あう゛ー!え゛ーん!え゛え゛ーん!」
「あらっ?さぁちゃん、おっぱいじゃなかったの。どうちたのー」
レイの悲鳴にテンの泣き声、母親は困り果て、その場は阿鼻叫喚であった。
どうやらトユが言っていた改良された排除措置とは、缶に閉じ込めることらしい。
―そういうわけだから、テンは見られたくない時は一声かけてちょうだいね…。
「あぃ…」―わかりました…。
ひとしきり暴れた一同は皆、疲れはてた表情で横たわった。
レイは、何が改良よトユのあほ、装置工もどうかしてるわよ、などとぶつぶつ悪態をついている。
―私もさぁちゃんがおっぱい飲んでるところ見たいのにぃ。ママさん恥ずかしがることないわよ
「あおぅ、あぁい」―あの、私も、なんか恥ずかしいから見られたくないです。
テンが言うと、レイはえ~?と不満そうに口を尖らせながらぬいぐるみのくまにもたれかかった。くまがレイの頭を撫でて慰めているようだ。
―強制排除は嫌だから、授乳の時間はそのへんで道案内でもしとくわ。
道案内とは、下界にさ迷う人間に見えないものたちに「光の道」と呼ばれる天界への道を教えてやることだ。
―まぁひとまず、その体に慣れることね。自由に体を動かせるように。それからここでの言葉を覚えていきましょうね。
「あ~ぃ」―は~い。
テンは、自分の手をじっと見てみた。
(これが私の手かぁ。うまく動かせるかな。)
ピコン、ピコン、ピコン。
不思議な音に顔を上げると、母親がふふふっと笑いながら自分とテンの顔の間に長方形の物を掲げ、その横からレイもそれを覗き込んで笑っている。
―可愛い~!ママさんセンスある~!
なんだろう、と様子を見ていると、それに気付いたレイが
―あなたの写真をとっているのよ。この機械にあなたのさっきの様子が映されているわ。
と説明した。
(なるほど。)
もう一度、ぷくぷくと膨れた小さな手をじっと見つめて、動かそうとしてみた。握ろうとしてみるとぐっと握られ、開こうとするとゆっくりと開いた。
(私、本当に人間になったんだなぁ。)
天界でアーチをくぐった時のことを思い出した。
「あぃ、おう?」―そういえばレイさん、コウさんとサカさんは?ご近所なんですよね?
―コウのとこはママさんに腰痛があって、しばらくおばあちゃんの家でお世話になるんですって。三四ヶ月健診で会おうねって電話してたわ。
(そっか。)
テンはまた手を見つめて動かしながら、コウさんも人間になったんだなぁ、と考えた。
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