【完結済】男が少ない世界に転移しましたが、前の世界と変わらず塾講師をしています

秋乃しぐれ

第0話 始まりの帰路

「ふわぁ……疲れた」


 塾講師の高山秀介こうやましゅうすけは大きな欠伸をしながら仕事帰りの夜道を歩いていた。


 今日は特に担当の子が多く、加えて塾長からの雑務も多かったため、かなりの疲労が秀介の体にのしかかる。だがこれも秀介が25才と職員の中で最年少のため、塾長からの頼みにも率先して引き受けなければいけない。


「そろそろ後輩欲しいなぁ」


 大学を卒業してから今の塾へと就職して早3年。秀介が入ってからは特に新規で募集をかけていないようだ。実際、そこまで大きな塾ではなく生徒とマンツーマンで指導するスタイルなので、あまり人手を必要としないのが現状だ。まして、自分のような正社員となるとそれに見合った給料が発生するので、人件費の観点からも幾人かはバイトで回している。


 ぐぅ〜〜。


「あ〜腹減った」


 時刻はもう22時を過ぎており、さすがに空腹には勝てそうもない。

 秀介は遠目に見えたコンビニの光に誘われるように歩みを早めた。




「あざしたー」


 店員の声を後にし、早速先ほど購入した肉まんを片手に頬張る。外の肌寒い空気に対し、ホカホカの肉まんは秀介の体をじんわりと温め、空きっ腹にも染み渡る。

 肉まんから出る湯気に、掛けていた黒縁メガネが曇る。


 明日も仕事だ。帰ったら直ぐ風呂に入って寝ないと。


 秀介は肉まん裏のゴミとビニール袋をカバンの中に突っ込み、早足で自宅へと向かう。

 住宅街を通り、もう少しで自宅に到着しようとしていた。

 ーーその時。


「……いやッ!!」


 突如、女性の悲鳴が聞こえた。

 声の方へ顔を向けると、路地裏で女性と男性が揉めている様子が見れた。


「頼む、あの時のは誤解なんだ!許してくれよ」

「嘘よ!どうせ浮気してるんでしょ、離して!」


 どうやら痴話喧嘩をしているようで、男性が女性に対し必死に懇願している。それにしては余りにもヒートアップしているようで、これ以上騒がれると近隣に迷惑がかかりそうだ。


 止めに入るべきか、警察を呼ぶべきか。

 明日も仕事だし関わるのは面倒だが、自分の近所でこうも騒がれては落ち落ち眠りにつくことも出来ない。


 そうこう考えている内に、いつの間にか騒ぎ声は消えていた。

 なんだ、和解したのか。

 そう思い自宅へと足を運ぼうとした矢先ーー。



 ドサリッ。



 何かが落ちる音がした。

 偶然にもその音は、先ほどの痴話喧嘩の方向だったのだがーー。


「ッ!!?」

 

 女性が倒れている。先ほどの女性だ。

 いや、倒れていたことに驚いているんじゃない。女性を見下ろすように佇んでいる男性の手元。

 闇の中をギラリと光る凶器がそこには存在していた。


「……違う。オレは悪くない」


 男性はブツブツ何かを言っている。

 秀介の体は、目の前の光景に萎縮し動くことが出来なかった。


「……お前が。……話を聞かないお前が悪いんだ」


 鼓動が早くなる。自分の心臓の音がこれほど煩いと思ったのは初めてだ。

 だがいつまでもここに居る訳にはいかない。

 逃げないと。

 いや、それよりも警察に電話が先か。

 一先ず目の前の男性が見ていない内に離れーー。


 ドサッ。


「あッ……」


 緊張のせいか、握り締めていたはずのビジネスバッグを落としてしまった。

 その瞬間、目の前の男性が勢いよくこちらに振り向く。


「……あ」

「いや……その」


 動揺からか、二人ともその場で硬直し互いの顔を見合う。

 実際は5秒ほどだったのだろう。しかし極限の緊張状態だったからか、体感1分ほど男性の顔を見ていたように感じた。


 動け。

 早く。

 逃げろ。


 頭の中でうまく思考がまとまらず、ぐちゃぐちゃになっていく。秀介はパニック状態に陥り、震える足を動かすことが出来なかった。


 「あぁッ……」



 気づけば男性は秀介の正横せいおうにいた。

 そのまま男性は素通りし、街灯の当たらない闇の中へと走り去っていった。


 あぁ、助かった。

 早く警察に連絡しないと……。


 秀介は急いでスーツの内ポケットにあるスマホを取り出そうと手を突っ込んだ。


 ーーヌチャリ。


 手の先に嫌な触り心地を感じた。

 内ポケットの奥底が何かが染み渡るかのように濡れている。

 秀介は恐る恐る手を引っ込め、自身の手先を確認すると……。


「おい……嘘だろ?」

 

 赤い。紅い。

 血糊がベトリと付いている。

 何故?いつ?


 どうやら先ほど逃げた男性は、目撃者である秀介を排除するために脇腹を刺して行ったようだ。その事実を知った秀介は、電池が切れたロボットのようにその場に倒れ込んでしまった。


 俺、死ぬのかな。


 そんなことを考えながらも、真っ赤な鮮血は流れ続けていく。

 いつしか、秀介の意識は途切れていた。




 気づけば病院にいた。

 白い天井、ベッド脇の点滴。

 助かったのだろうか。それとも夢?


 秀介はベッドから体を起こした。


「いてッ」


 ズキリと脇腹が痛む。

 どうやらあの夜の出来事は本当のようだ。


「次からは防犯ブザーでも持つかな」


 そういうと秀介は周囲を見渡した。

 病院にお世話になる身の上、どうしても自身の所持品を確認しておきたかった。主にお金の面で。


 カバンはベッド脇のサイドテーブルの上に置かれおり、その側には自分の黒縁メガネもあった。カバンから財布を取り出し、中身を確認する。


「……うん、貴重品もきちんとある。入院費に関してはある程度貯蓄があるし、保険にも入ってるから大丈夫なはず」


 持ち物の確認を済ますとメガネを掛け、改めて部屋を見渡した。

 一般の病室に比べて、かなり広い。というよりも、テレビの医療ドラマとかで観るVIP専用室さながらの広さだ。床もカーペットが敷かれており、全体的な内装がかなりオシャレだ。


「……やっぱり、お金心配になってきた」


 そんなことを考えながら上着をたくし上げ、包帯で巻かれた傷を見る。


 不意に、病室の入り口がガラリと開いた。

 女性看護師が3人入ってきて、目が合う。


「あ、どうも。先ほど目が覚めました」


 秀介が挨拶をする。

 しかし、女性看護師たちは口をパクパクさせ硬直している。何をしているのだろうか、と秀介は首を傾げる。

 

 「……せッ、先生〜〜!!お、おお、起きました〜〜!!」

 女性看護師たちは全員顔を真っ赤にし、声を荒げながら病室を後にして行った。


 な、なんだったんだ今の。



 この時、秀介は思ってもいなかった。

 この世界が男少女多。男がかなり希少な世界だということを。

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