96話 六道真慧『形迦而明絶の儀』

 ソラの絶叫が大広間に反響する。ソラの腕から腕を伝って多量のエーテルが流れていく。「ソラちゃん! そのまま手を離さないで。離しちゃうと下天出来なくなっちゃう!」その言葉を聞くとソラは歯を食いしばって耐える!


「絶対に下天して、生き残ってやるっスうううううう!!」


 そう叫んでいた。



 近づく黒紫のゆらぎを吹き飛ばさんと弥覇竜が吐き出す火炎球の苛烈さが増す。

 その咆哮の先に一つの魔動人形が、その体を揮発させながら歩んできていた。既に魔動器の舟は焼き尽くされていたが、彼の体から流れ出るそれは、まるで分厚い瘴気が羽のごとくに陽炎に揺らぐ。その瘴気の隙間から垣間見える、その胸に脈動するのは黒紫色の連樹子。それがペルンの半身を喰らい尽くしていた。

 何度目かの火炎球が魔動人形を滅しようと撃ち出されていくが、その人形の持つ刀が左に右に振るわれる度に、竜の放つ火炎も同じく左や右にゆるりと軌道を変えて爆発霧散してしまう。

 ファディはその人形が持つ刀と、その剣技を見て、目を細めた。


「人形でありながら修久利の技を使う。そうか、お前はあの時の人形か」


 目前に迫るべくして歩くその人形は、弥覇竜の封印鍵を解くときに飛空艇に乗っていた人形であることを思い出す。そして、弥覇竜となっているファディは、自然と自らの胸に深く突き刺さっている黒糸杭に意識を注ぐ。封印鍵だった頃の姿も意識もなく、ただの魂と成り果てた少女が、竜の意識を閉ざす刻印として稼働している。


「実に興味深い。命のなき人形が人間存在の頂きである真慧の技を手にしている。ならば、その技をむざむざと邪霊に奉納させるわけにはいきませんね。人形は人間の道具である以上、邪霊を撃つべく人に従うのが道理ではありませんか?」


 ファディは小さき人形に向かって教え諭す。

 その人形は刀を鞘に収めて弥覇竜を見上げた。


「ユリ。迎えに来たべよ」

「娘の名を呼ぶ? やはり聖霊に属する者は情緒的過ぎる。その名を呼んでも娘が息を吹き返すこともなければ、弥覇竜が自我を取り戻すこともない。それは分かっているだろう?」


 ペルンはファディの言葉を無視して続ける。


「なあ、ユリの父様よ。ユリが泣いているべさ」


 ペルンは抜刀の構えを取り、ファディと一体化した竜を見据えた。

 そうユリはいつも泣いていた。ペルンが少女と出会った5千年前からずっと。笑顔の時も怒っていた時も、その表情の奥で悲しそうに泣いているのが観えていた。だから、ペルンは事あるごとにユリの傍にいて、その涙が花咲くような笑顔になるよう願っていたのだ。

 そして気付いた。

 ペルンが修久利の技を身に付けたときに、ユリがいつも見上げていた大樹の内に弥覇竜が眠っていることを。ユリがいつも見つめていたのは大樹ではなく、弥覇竜―――自らの父親を見ていたのだと知ったのだ。同時に、ユリ自身も弥覇竜と成り果てた父親の六道真慧によって紡がれた、人間本来の生き様からかけ離れた存在であるということも。

 それを知ったペルンは、ユリの頭ががしがしと撫でて抱き締めた。過去の辛さが、いつか未来に夢を描く笑顔に変わるように。



 ペルンの眼前にいる黒糸杭が胸を穿つ弥覇竜が、黒魔術の制御式を編んでいく。


「なるほど、人形の身に突き刺さるは連樹子。実存強度の低さを連樹子によって増強し、力を得ているのか。しかし、既にその体は滅失しているようだな」


 ファディが指摘する通りにペルンの体の半身は既になく、本源を削ることで創り出したエーテルの噴霧が有り合わせの手足を象っているに過ぎない。

 ペルンの背後にある浮島。その浮島の下部が蒼き光を放ち始めた。


「下天か」


 ファディは漆黒制御式を描き、狙いを都市エーベの浮島に定める。


「聖霊の愛子を下天させるつもりのようですが、アレは良き素材です。千年の結晶を凌ぐ、智慧の実の材料を私が見逃すはずもない。浮島に巣食う邪霊共々に砕け散りなさい」



 ファディは聖なる光を掲げた。その光から浮島に向かって数千万本の槍が形作られて、放射される。幾ら人形が修久利の技を使い防ごうとしても、捌ききれるものではない。

 人形は動く。

 幾度となく修久利の剣技を放ち、全てを捌ききった。


「こっから先には、行かせねえべ」


 その身はすでに擦り切れ、壊れかけの人形がますます消失し崩れていく。血が流れるように人形体からエーテルが止めどなく流れ落ち、もうエーテルを制御し得る力も失いかけていた。

 ペルンは自分の背後にある浮島にノインとココがいることを確かに感じていた。その温もりはとても優しく、彼の心を熱くさせる。その熱さがペルンに理解させた。6千年前に彼の主人であるユングフラウ・ニ―ベルが言った言葉の意味を。『ペルン。君にも分かる時が訪れるよ。君自身の未来とも呼べるかけがえのないものが、君を満たすだろう』

 ああ。確かに俺の未来であり、貴方の未来だべ。なら、俺はノインとココが未来に進むための土台として踏ん張らねえとな。なあ、そうだろ? ユリ。



形迦而明絶なりしだちの儀」



 ペルンは鞘に手を置き、儀を唱える。彼の体は泡ぶくのように溶け始めていく。そう、すでに修久利に耐え得る体ではないのだ。

 しかし、その一声が天異界の全てを鎮まらせ、その天異界に存在する遍くものがその刻が来たのを知った。


 六道真慧。その儀式が始まった。


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