97話 輪廻の寿ぎ。桜花は天異界を舞う。

 天異界の宙に六律に属する5門が開き、最後に天ノ門が開け放たれていく。

 ペルンの持つ刀が白き光に包まれて、それを鞘から抜き放つ。彼の手には大慧刀だいえとうが在り、天異界の全てのエーテルがその刀に凝縮され始める。だが、ペルンはその六律に向かって言う。


「女神には悪いが、真慧の技は奉納はしねえべよ。俺の為に使わせてもらう。まあ、ユリは怒るかもしんねえが。俺も、ユリの父様と同じなんだべさ」


 奉納を拒絶した途端に、5つ門が閉ざされ光が陰る。しかし、最後の天ノ門だけが開け放たれ続けていた。人形が六道真慧に背くことで全ての門が閉ざされるはずだった。『堕ちし纏われの崇忌すいき』となることを予期していたファディがその天ノ門に唾棄する。


「律龍がその法を捻じ曲げる。それほどまでに人間の真慧の技を奪おうと欲するか! 見るに堪えんぞ、邪霊よ」


 ファディが竜の能力の限界を引き出そうと、黒糸杭くろしえが竜の魂を浸食し、竜も封印鍵も悲鳴に音をかき鳴らし、体中の鱗が裂かれエーテルの血流を流し始めた。


「我らが聖女の御業を見よ。そして、弥覇竜ジダが使いし修久利の技で消え去れ」



 聖ノ詩『黒糸杭・原初ノ焔柱』



 天異界の空間を光の聖柱が貫き現れ、ファディはその聖なる御手を些末な人形に向かって打ち下ろした。天異界の狭間が鳴動し、巨大な渦が人形を中心に出現し悉くを切り裂き自壊させる魔術が発動した。


 修久利・大天慧即自則アマツマガチのコトワリ・『生実而羅ニルクジャ』」

 弥覇竜が放つ修久利。


 ペルンの残された体もその黒魔術・聖ノ詩によって砕かれ、流れ出していたエーテルも尽き果てていた。それでも、倒れることなく修久利の動作を続けている。

 体の形も既に無く生きていること自体が不思議であった人形は、その意思だけで剣舞をなしていた。


 そこは生も、死も、有形も無形すらも超えた境地。

 世界の存在を司る領域。ペルンの技は天ノ門に寿がれた。


大天慧即自則アマツマガチのコトワリ

 六道真慧・終ノ宴『形明樓索なるらか』」





 天異界の宙を無数の桜の花びらが舞っていた。

 幾多の命が輪廻に還っていく。淡く光る蛍火が天異界の宙に消えていくなかで、一太刀の風が舞った。それが輪廻に還る者たちの想いを桜花に変えて、ひらりひらりと無数の花びらは晩春のごとくに天異界の夜空を舞う。

 万象の終焉と開闢。存在の有無すらも一切に断ち切る六律輪廻の刀技―――『形明樓索なるらか』が黒魔術師を終わらせたのだ。





 天異界の全てに桜花が舞う。

 その桜花の下で、眩しそうに空を見上げていた少女がいた。


「おう! ユリ、どうした? 稽古の続きを始めようぞ」

「はい。でも、何か声が聞こえた気がしたから―――」


 そう言って少女はもう一度じっと空を見上げていた。ずっと続いていた雨が止んでいて、桜の花びらに溜まった雫がユリに鼻先にちょんと跳ねる。その雫の先にある大きな桜の木を見上げた。とても穏やかな春の暖かさを感じ、思わず微笑みがこぼれてしまう。その桜を見上げて、少女は訝し気に思いながらも、道場に先に行ってしまった父親を追いかける。


 と―――、


 一陣の風が吹いた。

 門前の桜の木陰に自分を見つめる人影があるのに気づいたのだ。


「あれ? もしかして、道場加入希望者なのかしら?」


 少女は門前にいた見知らぬ男に声を掛けるが、その男は膝を折って目線を少女に合わせ優しく微笑んだ。


「良い笑顔だべよ」


 そう言った男の笑顔に、なぜか不思議な安堵感を感じてしまう。なぜか男は影の中に留まったままで動こうとせず、いますぐにでも消えてしまいそうな儚さがあった。だから、少女は慌てて彼を引き留めなくてはと思い、道場を振り返って父を呼んだ。


「父様! 早く、早くこちらに来て下さいっ―――」


 その男の袖を引っ張ろうと、再び男がいる木陰に目を向けたが、その人影は消え去っていた。

 ただ、桜の花びらが風に舞い上がって、暖かな光を少女に残していくのだった。





 天異界を埋めすくしていた桜花が、輪廻の彼方に黄色の光となって溶けだしていく。その多くの光が向かって行く場所とは正反対の方向に、一つの闇に閉ざされ消え失せいく黒紫の光があった。


「伝えるものがあれば、聞きましょう」


 その黒紫の光に並ぶように、その光に声を掛ける者があった。理の狭間に立つ一人の老人が静かに言葉を掛けた。滅していく光の背後では、都市エーベがある浮島の底から一筋の蒼き光柱が現世界に向かって一直線に降りていくのが見えた。


「そうですか。分かりました」


 輪廻から除外され、世界からも除外されていく黒紫の光。その光から折れた刀を老人は受け取った。その老人が刀を受け取ったのを確認した光は完全に滅失し、世界から消え去った。



 天異界の宙には輪廻に溶けていく光が舞っている。

 折れた刀を手にした老人は、都市エーベから転移した蒼き光柱の行き先を見つめて、それから手にある刀を見やる。永き時を生きてきたなかで、この出来事は全ての始まりを意味する。狭間に在る老人もまた蒼き光柱の先に向かって行った。



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