77話 聖霊よ、我が剣技はこの為に。

 ユリの刀がファディの首元から心臓部までを切り裂いたが、その胸の付近で刀が急に止まってしまう。血を噴き出しながらもファディ自身は平然と、動きの止まったユリの首を掴み、締め上げていく。骨が潰れるような音が響くなかで、ペルンがファディの腕を修久利によって斬り飛ばして、ユリを奪い取る。


 しかし、間髪入れずにファディの蹴りがペルンの胴体をえぐっていくが、ペルンは抱き締めたユリを離すまいと力の限りを尽くしてファディから距離を取っていく。

 ファディから逃れ、ペルンはようやくユリの顔を間近で確認した。息は細いが赤く色付く頬が未だ生命が途切れていないことを伝えている。そのことに安堵したが、自身の抉られた胴からエーテルが漏れていた。ペルンはユリを優しく地面に横たえると、自らの胴を剣技で焼いて無理矢理にエーテルの放出を止める。


 と、頭上から爆発音が響いた。


 上空を見やると、ノインが連樹子を頭蓋に生やした黒魔術師たちを操って、ファディに攻撃の連弾を仕掛けさせていたのだった。


「黒魔術師を操ってんのか? そうか、間違いはねえべな、‥‥‥幾多の連樹子の亜種はあれど、本来の連樹子が目覚めたのは1万年ぶりか。ユングフラウ・ニーベルが封じた世界を再び―――」


 ペルンが遠き記憶を呼び覚まそうとした矢先に、耳をつんざくような叫び声が後方から突き刺さってきた。


「逃げるっスううううッ!! 黒魔術師に勝てるわけがないっス。聖霊は全部奴らの素材にされるのが落ちっスよおおおっ!!! オイラは逃げる。ひたすらに逃げるっスうううおおおりゃああああっ!」


 飛空艇の甲板からソラの悲鳴が慌ただしく聞こえ落ちている。地表すれすれにまで高度を落としている船にペルンは、ユリを抱えて飛び乗った。それを見てノインもまた生まれ変わった黒魔術師たちを引きれて甲板に立ち並ぶ。


「ぎょああああ!! 黒魔術師じゃねえっすかあああっ! 殺されるっス、素材にされちまうっス―――!」


 ソラは甲板に整然と並び立つ黒魔術師たちを見て、身の毛を逆立たせて一目散に操舵室に飛び込んで、内側から鍵をかけてしまった。自分だけ身の安全を確保したことに満足したソラは、操舵輪を両手でつかみ、逃げの一手を全力で表す。動力炉のリミッターを外して一気に飛空艇を高高度に上昇させていく。

 ペルンはソラの姿を横目で見ていたが、ノインに振り返り黒魔術師を指差す。


「ノイン、そいつらは大丈夫なんだな?」

「ペルン師匠、彼らは生まれ変わったのです。そして私たちの家族となったのです!」


 ノインは両手を広げて黒魔術師たちを歓迎する仕草で喜びを表している。傍から見ればノインの奇行に目を疑うばかりなのだが、ペルンは黒魔術師を見やってノインに言う。


「そいつらのことは、ネギ坊主、お前に任せたべ」

「ええ! もちろんです。彼らは僕たちと共に生きると誓い、自ら生まれ変わったのですから! だから、進んで善行をなすでしょう」


 ノインの感激を閉ざすように、ファディが飛空艇の船尾に降り立ちノインに矛先を向けた。


「悪霊よ。人間は貴方を喜ばせるために生きているのではありません。人間は悪霊の遊び道具ではないのですよ。しかし、連樹子を穿たれた彼らは今や魂すらも理の外に置かれてしまった」


 ファディは冷ややかに、だが怒気を強めてノインを目線で刺す。


「彼らの嘆きが聞こえぬか? 悪霊の手足とされた彼らの悲しみが私には痛いほど伝わってくる。なればこそ、悪霊の流す血をもって彼らと彼女らの苦しみを安らぎに変えよう。悪霊をこの世界から追放することで彼らの彷徨い惑う魂の道を輝かしく照らそう」


 ファディの言葉を遮り、ノインは一歩前に進み出て言い放った。


「貴方は彼らの仲間でしょう? 生まれ変わられた彼らの歓喜を受け入れられないなんて、あなたは不幸でとても悲しい人です」


 ファディは返答の代わりに漆黒の自在式を構築し始めた。

 すべての天異界の星々を闇に閉ざすほどの多重の漆黒の魔法陣が描かれていく。そのファディの魔法陣を守るように残された他の魔術師がファディの前に立ち並び、防御魔術を展開する。それは悪霊の連樹子によってファディの制御式が消失してしまうのを防ぐため。

 時間を待つことなく、ファディの魔法が完成し空間を埋め尽くしていく。


「聖術ノ慈悲『明光に満ちたる福音』」


 ファディの構築した魔法陣を見たユリは目を見開く。その黒魔術は防ぎようがない。彼女は痙攣する手足を無理矢理に動かしペルンの手を振りほどいた。そして、全身の力を振り絞って刀を握り締める。


「ファーーーディ!」


 ユリの体―――天憑きに宿る聖霊・麒麟に自身を食わせる。器を捧げ、最大の力を顕現させるために全てを使い切るのだ。ファディの黒魔術に宿る膨大なエーテル量を見れば、この浮島は塵すらも残らずに焼失してしまうだろう。それを防ぐ方法は一つしかない。だから、私は私が使えるもの全てを使い尽くす。もう二度と家族を殺させはしないと決めたのだ!


 ユリは痛む体に一度だけ膝をついてしまうが、心配するペルンを振り返り微笑する。


「大丈夫です、ペルン。それよりも黒魔術の発動を止めなくてはなりません。あれはこの浮島を含む周辺一帯を焼き尽くす黒魔術師の災呪の炎‥‥‥ッ!」


 ユリは血を吐きながらも、彼女を制止させるペルンの腕を振りどく。「ペルン。ノイン君とソラちゃんをエーベの街に送ってあげて下さい。黒魔術師から彼らを守って」と優しく微笑んだ。多分、これが貴方と話す最後だから。


「待てっ、ユリ! その体では何にも出来ねえべ。黒魔術師なら、災呪の穢れなら俺が何とかする。だから、ユリはこのままノイン達と帰るんだ」

「大丈夫。私が、必ずみんなを守ります」


 ユリの瞳は覚悟に固まっていて、ペルンの言葉は届かない。こんなにも彼女の近くにいるのに、どうしてこんなにもユリは遠くに離れていくのか。ペルンはユリを抱き締めようと両手を伸ばしたが、彼女は優しくペルンの頬を撫でて、それがペルンの動きを止めてしまった。そして、ユリは自らの体全てを供物として聖霊に与え終わった。


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