浮島の日々

36話 湯煙に消えぬは、少女の過去


 ココの家が建つ浮島はとても小さい。その家の裏にわずかばかりの畑があったのだが、いまは露天掘りのエーテル温泉が自慢気にその湯気を立ち昇らせていた。


「んー、やはり温泉は格別じゃな!」

「そうですね。ココさんの怪我もようやく癒えましたし、本当に良かったです」

「いやあ、皆に心配かけちゃったなあ~」


 ぱしゃぱしゃと湯船の水面を両手で波立てながらココの声が響く。朝の空気の冷たさが少女の火照った顔にあたり、ココは両腕を高く上げて大きく伸びをした。先日の怪我から完全に回復したココはリヴィアとユリに笑顔を向ける。


「ははは!だが、無理は禁物じゃ。ココはゆっくりと湯治をするのが今は大事ぞ」


 リヴィアはココのほんのりと赤みを帯びた頬を指で優しく撫でる。リヴィアがいる露天風呂は彼女が魔術により開湯したもので、ココの療養のために必要なのだと彼女が主張したものだ。そのためには家の裏手にある畑を潰す必要があり、もちろんペルンは大反対をしたがリヴィアの圧倒的な力の前に彼の抵抗も空しく強引に作られてしまったのだ。


「うーん、ペルンの畑を潰しちゃったんだよね~」

「いえ、ココさん。ペルンさんもココさんの療養のためにと畑の場所を開けてくれたのです。反対の素振りは照れ隠しだと私は思います!」


「ふむ。だとすれば難儀な奴じゃな」

「難儀な奴・・・ふふ。リヴィア様、そうかもですね」


 現在、ペルンは新たな畑の開墾のためノインを伴って出掛けている。ノインは腕に簡易的な義手を付けているから、以前と同じような動作は出来ている。ただ、本格的な修理は未だできていなかった。

 ココがぶくぶくと鼻下までを湯船につけて何やら思案顔だ。そんなココのそばにリヴィアはくっつく。


「なんじゃ?何か悩みでもあるのかの?に言うてみるのじゃ」


 リヴィアはココを抱きしめる。その胸に抱きしめられながらココは思う。今回の魔動人形体の暴走はリヴィアやユリのおかげで事なきを得た。私は系譜原典であるのに何もできず最後には気を失ってしまっていた。「私って、ほんとまだまだ力が足んないなあ~」との呟きが湯船の泡ぶくを膨らませた。


「ココさん、悩みがあるなら言って下さい。みんなココさんの為に力になってくれます」

「んーとね。私もリヴィアちゃんみたいに強くなりたいなって」

「おお!そうか、そうじゃな。強くなりたいと願うココも可愛いのじゃ」


 そう言って、リヴィアはココの頬に唇を寄せてくる。されるがままのココは強く決意する。「系譜守護者として強くなるよ!」と。


「……ふむ。であれば、やはり強き従者を下天させることじゃな。現世界に下天させて、そこで器の強化を図る。そうして、再び天異界で戻ってその器にエーテルを注ぎ込む、この繰り返しが結果として系譜強化の最短となるはずじゃ。原典と従者は一体であるから、従者の強化が即ち原典の強化である。手始めに其処なユリでも系譜に入れれば良かろうよ」

「あらあら、指名されてしまいましたね。ココさん、そんなに急ぐことなくゆっくりで良いのです。土台をしっかり固めていけば、自ずと高みに到達できる!私はそう思っています」

「そうだよね!私の小さな力じゃ、ユリちゃんを系譜入りに迎えるのはまだ先になりそうだし」

「ふふ。分かりました。私はいつまでも待ってますので、必ず私をココちゃんのものにして下さいね」


 ユリが横からココを抱きしめる。リヴィアとユリの二人から挟まれて、ココは湯船の中でのぼせてしまいそう。「ぷはあ~」と両手を大きく上にかかげてココは立ち上がった。


 上半身を湯船から出したココは、リヴィアとユリの間に仁王立ちして山嶺から吹き下ろす冷涼に火照った体をさらす。湯船の湯気の間からココの肌が見えた。その少女の小さな背中を見てリヴィアは改めて息をのむ。リヴィアの領域魔法をもってしても消えない傷跡―――無作法に縫い合わされた縫合跡が、少女の白い体中を蛇のように縦横にのたうち回っていた。その痛々しい傷跡を見て、思わずリヴィアはココの傷を覆うように、ぐっと自分の胸に抱き寄せた。


「ココ、痛くはないのか?」

「ん、これのこと?これは、ずっと昔に出来たものだから全然痛くはないよ。ユリちゃんのとこに来てからは傷なんて増えてないです。だよね、ユリちゃん」


「はい。ココさんの敵は悉く屠ってきました。私の目が黒いうちはココさんの玉の肌に傷は付けさせません。ただ、先日の人形体の暴走はリヴィア様がいらっしゃらなかったらと思うと……。でも、ノイン様も彼なりに一生懸命に原始術法を抑え込もうと頑張っていましたよね」

「ふむ」


 ノインの原始術法の暴走があって以来、ノインの名前を出すとリヴィアは度々に押し黙ってしまう。リヴィアの中で葛藤があるのは傍から見ても分かった。ユリは、リヴィアとココを見つめて胸中で思う。ココは聖霊の愛子あやし。聖霊にとっての『愛子』は何物にも代えがたい存在であり、ありていに言えば母であり、そして娘のように愛しく守らねばならぬ存在。


「リヴィア様。ノインさんの件は―――」

「分かっておる。そのことについてはペルンからも言われておるよ」


 ばつが悪そうにリヴィアは湯船に鼻下までつけて、ココと同じようにぶくぶくと気泡を立てた。

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