第二条 第一項

 目を開けると、いつの間にか照明がもとに戻っている。朝、という事なんだろうか。部屋に窓の一つもない事は、一応ここが、監禁場所、であることを実感させる。そしてそんな場所で、例の彼女は、おそらく俺より早くに起きて、一人オセロをしていた。声をかけようかと思ったが、うんうんと唸っていて、どうやら今いい所のようだから、放って置くことにした。そうすると、することがない。ただ呆けて過ごすのは嫌だし、考えると腹が空いている。何か食べ物がないのかと、部屋を探してみる。入ってきた扉の前を調べてみると、ここにも横にカードの読み取り機械のような、ややこしい電子機械が取り付けられている。ボタンやらもいろいろついているが、ひょっとすると、これでどこかに通信できるのかもしれない。押すかどうか逡巡していると、勝手に扉が開いた。涙目の一人の女の子が部屋に入ってきた。脇に居た俺には気が付かなかったようで、二、三歩先で立ち止まると、首をかしげている。彼女がゆっくりと振り返る。俺と目が合った瞬間、彼女の体がビクッと跳ねる。そして、そのまま凍結してしまった。純朴そうな顔立ちをしていて、栗色の髪に大きな瞳が愛らしい印象を受ける。動かないが、その目だけがみるみると潤んでいく。なぜ泣きそうになっているのか分からないが、もっとよく分からないのは、なぜか和風な給仕服を着ていた。

「あ……あぁああ…ぁの…」

 よく聞き取れないが、何か喋ろうとしている。彼女はギュッと目を瞑り、大きく深呼吸をすると、喋るのをあきらめて、部屋から出ていこうとする。

「おい、ちゃんと言えよ。」

「ちょっと、ハチをいじめないでくれる?」

 はっきりと聞こえる、大きな声だった。声の主はベッドの上から降りて、こちらに詰め寄ってくる。

「この子に変な事を吹き込まないで。」

「いや、何も変な事は言ってねーだろ。」

「言葉遣いに気を付けて。あと睨んだり、怖がらせたりもしないで。」

「だから、そんな事はなんにもしてねーんだよ。そっちこそ、急にでかい声で喋るな。びっくりしただろうが。」

「ハチ、こっちおいで。」

 俺の言った事は聞き流して、手招きしている。ハチ、と呼ばれた少女は、おずおずとこちらを警戒しながら近づいてきた。臆病な小型犬みたいな奴だな。彼女は背伸びして、ハチの頭をよしよしと撫でると、どうだ、という顔をこっちに向けている。

「こいつはなんか芸とかできるのか?」

 冗談半分嫌味半分で言ったのだが、

「できるよ、人には真似できないすごいヤツ。」

 と、真顔で切り返してきた。

「ハチ、自己紹介。」

「自己紹介…『私の名前はミュウ、じゃなかった、ハチといいます。これから私の身のまわりの事を色々と世話してくれます。必要ないと思うけど、名前を付けたのは私だし、遊び相手は欲しかったから、ちょうどいいのかな。あれ?ええっと、私はこれまでに見たり聞いたりしたことを全て記憶しているらしいです。でも、自分で考えたり、喋ったりするのは少し苦手です。好きな事は、好きな事は?ん、じゃあ、ミュウちゃんと遊ぶ事です。嫌いなのは、騒がしい人、乱暴な人です。だからできるだけ優しく話しかけて、余計な事は話さないで下さい。叩いたり、打ったりしないで下さい。これからもよろしくお願いします。』」

「どう、すごいでしょう?」

「いや、なにがすごいのかよく分かんねーけど。」

 ミュウ、という少女とのいつかの会話を暗唱したことは容易に想像できた。なぜなら、さっきまで泣きそうになっていたのに、喋っている間は人を物のように見る目をしていたからだ。まるで別人のように、表情や所作、抑揚まで似せようとしているのだろう。ハチはハッと『思い出した』ように頭を下げた。顔を上げると、フッと役者魂が抜けて、また涙目になっていた。

「なんでいちいち泣きそうになってるんだよ。」

「睨まないでって言ってるでしょ。」

 本当にそんなつもりはないのだが、要するに俺の目つきが気に入らないってことか?

「おい、なんか文句があるんなら、自分ではっきり言えよ。」

「う…あの……ぉん…ミュウちゃん、に…いぅ…です。」

「何言ってんのか、分かんねーよ。」

 ハチの表情から、サッと血の気が引くのが分かった。小さく嗚咽を上げると、ポロポロと泣き出した。これくらいの事で泣くなよ、とは思えなかった。女の子を泣かせたなんて、初めての事だから、自分にとってこんなに威力がある事とは知らなかったのだ。いや、仮に隣の包帯女が泣いても、自分はなんとも思わないだろう、多分。いや、どうだろう、自分で思うよりはフェミニストかもしれない、自分は。いや、この場合、相手が自分より弱い立場だからだろうか?いつも上の立場に逆らうようにしてたから、いざ、自分が上に立つと従わせるのが可哀想みたいな感じ?ともかく、ハチが両手で顔を覆った瞬間、俺は激しく動揺していた。つい助けを求めるように、飼い主の方を見る。口をポカンと開けて、どうやら彼女にとっても、予想外の出来事らしい。役に立たない。

「あ、俺は元々こういう目つきでだな、別に睨んでる訳じゃないんだ。その、思った事をつい言っただけで、怒ってる訳でもないって。ゆっくり話してくれればいい。」

 泣き止まない。

「ああ、そうだ、自己紹介、すごかった。そうそう、えっと、こちらこそよろしくお願いします。」

 嗚咽が止まった。一応、泣き止んだのか?だが、動かない。何か、返事を待つ。ふさぎ込む女の子を、阿保面で黙って眺める役立たず二人。なんだ、これは。ものの十分程、変な空気が流れてから、やっと落ち着いたのか、深呼吸して、話し出す。

「あぅ…おめ…でと…ぅ。」

「おめでとう?」

 うなずく。

「OK、めでたいな、うん、ありがとう。」

 ハチの顔色に血の気が戻る。多少警戒を解いたのか、今度は少しだけはっきりと喋る。

「あの、命令…ぁります。」

「命令?」

 そういえば、自分が小間使いであるような事を言っていた。何か指示を与えれば、それをしてくれるのかもしれない。

「腹が空いてるんだけど、飯はないのか?」

「めし?」

「ハチ、来客の食事。」

「来客の食事…『かしこまりました。ご案内します。』」

 ハチがついてくるように、俺に促す。一旦、部屋の外に出るらしい。といっても、隣の最初に連れてこられた部屋までである。いつの間にか片づけられていて、テーブルや椅子がある、居間のような空間になっている。一晩で誰かがやったのだろう。テーブルの上には、すでに料理が用意してある。とりあえず、席に着き食べる。当然、こんな施しのような食べ物は食べたくないのだが、恨むべくは食べなければ飢えて死ぬ我が身ばかり、である。遠慮なくガツガツやっていると、ハチが物珍しげな視線を送っているのに気づく。

「お前は食わないのか?」

「え?」

「人が飯を食ってるところが、そんなに珍しいかよ。」

「…い、いいえ。」

 ハチはうつむいて逃げるように、部屋の方へと戻っていった。

 一人取り残されて、パンを齧りながら、これからどうしようかと考える。

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