にせもの
晴れ時々雨
第1話
「偽物ですね」
老いた鑑定士に言われて絶句した。
嘘、だってこれエンゲージよ?刻印だって入ってるし石の大きさだってかなりの物じゃない?というかあなた、老眼か節穴なんじゃないかしら。
脳内は、どうにかこの苦々しい現実から逃れるためにパニックを起こしていた。
「どうなさいます?」
どうって、どうにかなるものなの。
「石はダイヤではないものの、かなり質のいいジルコニアですし、石座とアームはプラチナに間違いはございません」
「刻印は?」
指輪の裏側には私の名前と筆記体の仏語で文字が入っていた。
嘘よまさか。ガンガンする頭を振り絞り、鑑定士から指輪を奪って店を出た。きっと手が震えていただろう。
嘘。そんな。まさか。何故。
4つの言葉がぐるぐると渦を巻いて身体中に巻きついた。それはびかびか光る金属の輪になり私を絞り上げる。苦しくて息ができない。サロンで塗り直してもらった爪を噛む。ジェルネイルはこんなことでは傷つかない。無駄な強靭さが憎らしかった。
この2カラットのダイヤのエンゲージリングを鑑定してもらおうと思い立ったのは、夫に女がいるとわかったからだ。気分はすっかり離婚に向いていた。夫にはなんの未練もないと言ったら嘘になるけどかなり生活に冷めていたし、そうなると愛を誓った印などバカバカしくて白々しい虚ろを実体化したものにしか感じられず、まずこれを売っぱらって気晴らしの資金に替えようと思ったのだった。
偽物だというのが腹立たしいのは、夫が決してケチったのではないのがわかるからだ。その証拠に、この指輪にはわざわざ刻印があり、一流の宝石店で購入したことも知っている。お店ぐるみで私を。初めから私を馬鹿にして、騙そうとした。他人を巻き込んでまで。それがショックで悔しくて、帰りのタクシーで泣いてしまった。
一瞬でも嬉しいと思った自分が恥ずかしい。贈られたとき言ったお礼は紛れもない本心だったのに。悔しすぎて乗車料金のお釣りを受け取るのを忘れた。
怒り勇んで家に帰り、これからどうすべきか考えた。叩きつければいいわけ?怒鳴りつけて、それとも冷静に。剥き出しのままバッグに捩じ込んだ指輪を取り出すと照明を反射してきらりと光り、目蓋の裏にあのときの光景がぼんやり浮かんだ。
これがあの店の物だというのは、貰ったあとしばらく経ってからサイズが合わなくなり、直しに行ったので間違いはない。対応する店員たちは夫に恭しく傅き、この指輪を購入したことの礼を述べた。おかしいところなど微塵も感じなかった。サイズ。サイズだ。ブライダルのためのダイエットで少し痩せて合わなくなった。少し大きくて、はめると失くしてしまいそうで不安がよぎった。
夫と私は結婚までにちゃんとした恋愛期間を経ていた。恋人同士が通り過ぎることは一通り経験してきたと思う。エンゲージリングを贈られることも知っていたし、デザインの希望も聞いてくれた。彼はいつも私を気にかけていてくれていると安心していた。
いつからなのだろう。
浮気をしているから偽ダイヤを誂えたわけじゃない。順序からすると逆だ。
夫がまったく知らない男になったようでゾッとした。
さっき噛んだネイルに隙間があいて、そこからゆっくり藤色の爪を剥がす。右手薬指の爪の抜け殻だった。
にせもの 晴れ時々雨 @rio11ruiagent
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