ボクが奴隷でキミが王様で

千里香

奴隷市場の奴隷少年

第1話 僕は求める他に何も出来やしない

 人生とは行き先の見えない列車に乗るようなものだ。


 僕はそう言う風に人生を捉えている。



 では、人生というスタート地点を定めるとしたら、どこから開始するか。


 産声を上げた時? 胎内に宿ったとき? それとも、の時? それを定義するのはひとりひとりちがう。



 でも、そうしてスタート地点に立ったわけだ。


 僕たちは列車に乗って人生という道を進んでいく。



 停車駅もなく一本道をひたすら走り続ける列車である……と、僕は思う。



 人生には分かれ道だってあるって? 


 けどそれは自分で選んでいたつもりの事柄も、既にかに決められていて、が目の前に続いていただけだ。




 そして、何十年と乗り続け線路がなくなるまで列車は止まること無く走り続ける。


 行き先の見えない通路ってやつの長さは人によって違う。だいたいの人が同じくらいの線路だと思うけど、中には人よりも半分だったり、もっと短かったり……。


 スタートしても道がなくてそのまま線路から落ちていく列車もいる。


 そして、どういう結果にしろ走ることをやめた列車っていうのは終わりを意味している。


 これは絶対。たぶんわかってもらえると思う。



 死ぬってこと。人生が終わるってことだ。






 理不尽で残虐な世界を焼き付けた僕の両目はその後、黒一色に染まった――それに気が付いた瞬間、そこに僕はいた。

 今は目を閉じているのか開けているのかも定かではなく、腕や足、頭、全ての感覚が――体というものを認識できていない。ただ、ないとしてもあの最後に受けた頭を強く押さえつけられた感覚だけが無い頭の裏にじくじくと残っている。

 今の僕は立っているのか、それとも宙に浮いているのか。

 そもそも黒一色と言ったが、果たしてこれが僕の中で認識しているという色なのかもわからない。

 ただ一つ確かなことは、僕の意思だけがこの何処ともわからない場所に存在しているということであった。

 自分自身は存在しているのに、何も存在しない世界にいるみたいだ。


(……これが死ぬってことなのだろうか)


 死んだら天国とか地獄とか、そういう的な場所があるのか、なんてことは人並み程度には考えたことはあったけど、まさかこんなことになるとは……実は助かったのか? どうなんだろう。……助かったのかな。でも、いや、それはない……気がする。

 こうして僕と言う意志がにいることがあの死の塊から逃れた、もしくは一命を取り留めたことを否定している気がする。


(僕ははずなんだ……)


 でも、この場所は死とは遠く離れた場所の様な気がする。むしろ“生”に近い場所だと思う。そう感じる。

 どうしてそんな風に思ったり感じたりしたかは、不確かな安堵が僕の胸の中に存在しているのがその考えに至った理由だった。

 この場所にいていい。自分自身を肯定されているような……自分でもよくわからない。


(けれど、ここは、この場所は……)


 無い目を閉じ、無い唇を強く噛む。


(……いやだ。いやだよ。こんなところに、いたくない……)


 ……孤独だ。独りだ。誰もいない。

 震災に見舞われて、家族を失って、避難所で殻に籠った先でも、僕はひとりだった。

 でも、そこには人がいた。関わり合いがないとしても人がいた。関わることを拒んでも周りに人がいたんだ。

 だけど、あの時のひとりと今の独りは全然違うものだ。


 嘆いても変わらず時間だけが過ぎていく。

 いつまで経っても変わることのない現状。不自由な身体は別に何か固定されているわけじゃない。でも、身体と呼べるものを感じ取れない。

 意識だけがここにあるだけで、目を瞑って拒絶することもできず、目を開いて前を向くこともできない。


 このままここにいてもいいと思う僕が言う。何も考えずにここで休んでいようよ、と僕がささやく。

 この場所には誰もいないけど、誰も責める人はいないんだ。悩む理由になる人もいない。

 何も考えなければこの場所はとても居心地がいい。この黒一色の世界は僕と言う小さな存在すら喜んで受け入れてくる。考えるのをやめれば飲み込み同化してくれる。

 そうしたら、僕と言う存在を手放してもいい。

 そうしたら、もういいんだ。

 けど、自身を手放したくないと思っている自分もいる。だから今僕は嘆いて迷って寂しい気持ちになっている。


 ずっとこのままなのか。手放せないから不安になる。

 これから先、何日、何十日、何百日、何年、何十年、何百年、何千、何万、何億……独りでいないといけないのだろうか。

 頭を振ってその疑問を掻き消そうと足掻く。だが、消すことができない。

 頭を振って紛らわすってことはただのアクションだ。けれど、気を紛らわす程度のことでもその行動を行えるということがどれだけ有効だったのか今この時点でようやく思い知った。

 何もすることができないから思考に生まれた影を消すも紛らわすこともできない。別のことを考えようとしても影は次第にその足を広げていく。


 もう考えるな。逃げればいいんだ。逃げてこの場に染まりたい。

 辛いことはすべて消してくれる。黒が埋めてくれる。僕は頑張った。結末はどうあれ最後まで生きて死んだ。結局仕方なかったんだ。あの場で死ぬ運命だったんだ。だからもう自分を責めるな。僕はこんなに苦しんだ。もう終えていいんだよ。追い込むな。お前がそこまでする必要はない。

 

 辛い。手放そうよ。


 でも、やめようと思っても手放したくない僕の頭は思考を止めない。

 僕というこの意志がずっと、この場所にある。

 どうしたらいい。このままずっとこの意志は終わることなくここに存在し続けるのか。

 一生、いや、死んでいるのか生きてさえいるもかも定かではない。この意志がある限りはずっと独りであることを感じ続けるのだろうか。

 僕という意志はいずれ消えることができるのだろうか。

 僕は消えることができるのか。

 消えてその先に何があるのだ。


 考えれば考えるほど深く長い渦となり僕を否定し、そして肯定していく。

 この場所にいてもいいと僕が言う。でも、ここにはいたくないと否定する僕もいる。

 どちらの僕も僕であり、否定なんてできない。両者ともに僕が真摯に思っていることなんだ。


 悩むには時間はいくらでもあった。だが、悩むには時間は嫌になるほど多すぎた。

 悩んで嘆いて悩んで嘆いて悩んで嘆いて……どれだけ長い時間をかけて思いを走らせても、一向に答えなんてものは出なかったんだ。

 感覚の無い時間だけが過ぎていく……感覚すらつかめないほどの時間が過ぎた。


(いったい……)


 いったい、僕はもうこの場所にどれくらいいるんだ。わからない。

 いったい、もうどれだけの時間が過ぎた? わからない。

 あとどれだけ“待てばいい”? わからない。


 途方もないほどの“時”をこの場所で感じていた。

 何度も、掴みよせ、何度も、手放し、何度も、何度も、悩み悔やみ嘆く。

 次第にその迷いからくるものは、僕の中に別の感情を生み出し始めていた。


 奥底からひしひしと押し寄せてくる、怒り。

 そして、自分でも醜く顔を背けたくなる、憎しみ。


 なぜ自分がこんな場所にいなくてはならないのか。

 独りになった理由。どうして僕がこんな目に? 変わらない日々がそこにはあった。でも、それも全て瓦解した。


(……憎い。全てを奪われた気さえする。いや、奪われた!)


 今まで努力をしていたもの。暖かな両親。そして、芽生えたばかりの大事にしていきたかった想い。

 全ては手からこぼれていった。今の僕には何もない。僕には何が残ってる?

 身体すらもう感じられないというのに僕には今何が残っているんだ?

 何もない。今の僕には何もないんだ。


(……ざけるな)


 灯ってしまえば後は楽だった。


(……ふざけるな!)


 口のないままに口にする。

 この黒の世界へと僕は唯一の抵抗とばかりに言葉にする。思う。念じる。放つ。叫ぶ。


(ふざけるな! 返せ! 僕の世界を返せ!)


 黒の世界は何も語らない。何も現さない。何もない。

 無い手を振り回す。無い足を蹴り上げる。無い頭を叩きつける。

 無駄な抵抗だ。でも、無駄な抵抗じゃない。


(やめろ! もう、うんざりだ! 返せよ! さっさと返せ!)


 でも、わかってる。本当はわかっている。僕の意志じゃないとしても手放したものが返ってくることは無い。

 わかっているからこそ悔しい。手放された僕の全てはもう無いんだ。もう手に触れることすらできない!

 ……だったら!


(だったら、代わりのものをよこせ! それが僕の望んでいたものに満たないとしても、代わりをよこせ! よこせよこせよこせよ! もう前のものはいらない! だから僕に新しいものをよこせ!)


 そして。


 ――僕から何も奪うな!


 たまたま時期が来たのか、それともこの思いが引き金だったのかはわからない。

 僕が強く願ったとき、一色のこの世界に亀裂が入った。

 僕の思いに呼応するかのように、その世界はひび割れ、隙間から光が差し込んでくる。

 同時に今まで感じ取れなかった僕の身体を感じ取った。思うようには動かなかったが、僕は確かに自分の身体があることを実感した。


 僕はやっと手に入った喜びに子供みたいに泣き叫んでいた。

 うまく声が出ず、喉が枯れた時のような声を出す感じに近いものが口から出る。耳に届く自分の声もうまく聞きなれない。それでも、僕は精一杯自分が掴んだものを実感するために声を張り上げた。


 自分がここにいることを証明するために――それが僕がこの世界に生まれて初めてあげた産声だと知ったのはそれから先の話だ。


  





 僕が産声を上げて幾日か経った。


 最初は状況を理解するのに苦しんだが、どうやら僕は生まれ変わったようで現在は赤子らしい。信じられないが否応にも受け入れるしかなかった。

 そんな生まれたばかりの今の僕は蔓で編まれた籠の中にいた。言葉にし難い異臭を放つ小汚い布きれでしっかりと巻かれてだ。


(……窮屈だな)


 首が座ってないってこういうことなのかな。

 唯一自由に動かせる頭もちょっと動かすだけで一苦労。もぞもぞと腕や足を動かすのも身体に重りでもついてるのかと思うほどに辛い。気を抜くとよだれが口からこぼれるし、排泄行為は我慢できず垂れ流してしまう。

 動かせたとしても、今自分が入っている籠の中は随分と古く、ところどころで蔓のささくれが飛び出していて布越しでも体に突き刺さって痛いのに動けやしない。

 最初は自分の姿に戸惑いもしたが、時間も経って現状を受け入れた今はこうしてちょっとは冷静だ。


 まず、今の僕の状態だが……見ての通りって言うのも変だけど、まだ生まれたばかりの赤ん坊である。

 生後直ぐの未発達な体でハイハイもできない。赤ん坊がハイハイできるまで何日かかるのだろうか。それまでずっと体を捻るくらいの動作しかできないのはかなり辛い。


 次に今の僕がいる場所だ。

 首を動かせる範囲なのでよくはわからないが、どこかにある小さな灯りに照らされた薄暗くて埃臭い窓もない部屋だった。赤ん坊を育てる環境とは思えない。

 また、この部屋には僕の他にももう一つ籠があって、そこにも赤ん坊が一人いる。

 身体に巻かれた不衛生な布や、今入ってるボロ籠からして結構貧しい家庭に生まれてしまったのだろうか――当初はどこか異国で生まれたんだと思った。

 けれど、思いついた仮説はある人物たちのおかげですべて否定されたんだ。


 その人物たちと会ったのは僕が生まれた日のことだ。

 僕は産声を上げてすぐに泣き疲れて寝てしまったらしく、目覚めた後は誰もいない部屋……そして、今いる籠に包まれていた。

 その後、自分の身体に驚き、声を上げるも「あー」とか「うー」とかそういう母音的な発言しかできなくて、話すことを断念しつつ、今の状況に困惑して仕舞に自分でも信じられないくらいぎゃんぎゃんと泣き喚き出した途端、部屋の外でだんだん、と足音が響くのが聞こえた。


(……人!?)


 足音は次第に大きくなってきた。

 誰ともわからない存在であったが、あの暗闇の中で恋い焦がれた他人だ。

 その時の僕は嬉しさのあまりに泣き喚きながら漏らしてしまったほど、と言ってわかってもらえるだろうか。

 とにかく会いたい一心で僕はできる限りの声を上げて泣き続けた。

 声が届いたのか、僕のいる部屋の前で足音は止み、乱暴に扉を開いて足音の主が入って怒鳴り声を上げた。


「×××……××××! ×××ー!!」


 唖然とした。僕はその罵声と同時に声を上げることを止めていた。

 怒鳴る男の言葉は聞き取れず、何を話しているのかもさっぱりわからなかったが些細なことだった。

 何よりも一番はその言葉を話しているのが赤黒いたてがみを生やしたライオンの顔を乗せた男だったからだ。

 予想だにしていなかった不審者の登場に僕は今まで泣いていたことが嘘みたいに口を開けて彼(?)を見つめた。


(被り物でしょう……?)


 なんて疑うも、怒鳴るライオン男の大きく開いた口は唾を飛ばし、鋭くとがった牙をちらつかせる。

 きれいに生えそろった牙の奥は、てろりと唾液に濡れた舌が見えた。

 頭だけでなく体に目を向けると金色の体毛に覆われていてライオン男が動くのと同時に細身ながらも鍛え抜かれた筋肉が流動する。

 片目は一線切り傷があって閉じていたが、もう片方の目は獲物を狙う動物のようにぎょろりと動いて僕を睨みつける。

 細かに動く肌の質感は着ぐるみとも特殊メイクとも、思えなかった。

 ライオン男は僕の足を乱暴に掴むと宙吊りにして一歩部屋から出てまた怒鳴った。

 外は部屋と同じく薄暗い通路になっていて、隣の部屋から継ぎ接ぎだらけの汚れたローブを目深く頭に被った皺くちゃのじいさんがひょっこりと顔を覗かせ、僕とライオン男を見比べて笑っていた。


「××、××××××××! ××××××! ××××××××××××!」

「×××。×××、××××××××?」

「×××! ×××××××!!」


 ライオン男の凄みのある罵声を受けても涼しい顔をしてじいさんは何やら宥めているように見えた。

 ライオン男は赤子であることも構わず僕を投げ、一瞬の浮遊感にひやりと肝を冷やし、皺くちゃのじいさんに受け止められた。

 ライオン男はごおっと喉を鳴らして僕たちを威嚇するそぶりを見せた後、どんどんと足音を上げて通路を通って行った――と、これが僕が初めて遭遇したこの世界の人たちだった。


(……どう、いうことなの?)


 その後、混乱する頭で時間をかけながらも、作り話に登場するかのような別世界に生まれてしまったのだと、受け入れるしかなかった。

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