※※※




 一週間、二週間と無駄に月日が過ぎていく。その事実に焦燥を感じながらもなにも出来ない現状に莉央は小さく息をついた。


「考えごとか」


「あ、ごめんなさい」


 対面に腰を下ろし読んでいた書物から目を上げちらりと一瞥を寄越したディノに小さく詫び、莉央もまた読みかけになっていた手元の書面に目を落とした。


 目には馴染まない横文字の羅列。知らない国の歴代の王の名など、徳川の将軍を覚えるより何倍も難しい。そんなことを覚える必要があるのだろうか。そう考えはするが、莉央の偽りの立場を考えれば仕方のないことであった。建国神話に登場するインタージャーである可能性を持つバロックであり、この国の王子の愛妾であると、少なくともこの城の誰もが認識している。実際にインタージャーであった場合、王子が妾から正式な后に迎える可能性も大きい。その為に莉央への教育については王家側としても手を抜くことは出来ない。


「まあ君の気持ちは分からないでもない。こんなもの覚えたところで知識を披露する場所などないのだからな。代々王家は女性を公の場には出さない。出るとしても口をつぐみ、ただ人形のように微笑ませ花を添える程度のものだ」


「そうなんですか」


「ああ、誠につまらないことだ。男には考えつかないような斬新な考え方をする者もいるというのに。この国の人間は女性の扱いがなっていない」


「……ディノ様はフェミニストなんですね」


 莉央の呟きにふんと鼻を鳴らしたディノは、不服そうに目を逸らす。


「そうではない。ただ妻がそういう女だっただけだ。所詮世界に存在するのは男と女。ならば特に人と人が絡む史学という分野において、男の視点だけで物事を見ても仕方がないだろう、と私は考えているのだが」


 一呼吸置き、そしてため息混じりの声が続く。


「意見を交わそうとする相手には伴侶たることを求めるべきではないな」


 ディノは夢中になると目の前の莉央の理解など意に介さず話し続けるような男だ。もしかしたら奥方も同じようなタイプだったのかもしれない。相手よりも、自分の主張。互いに意見を譲らなかったのであれば、確かに結婚生活は波乱に満ちたものであっただろう。


 そんなことを考えた莉央の頬が緩む。簡単に想像がついたそんな光景に、人間味を感じる。


「例えば君はこれをどう考える。九代王ヨダオイ時代の北方地域人民反乱。稀にみる女性先導のものだ。この時代、フォルスブルグエンドの北方にはセフォラスという先住民族による国家があった。現在は我が国に統一され、民族紛争を避けるための混血化を進めた為に人種差別もありはしない。ただ、当時は彼らを排除しようとする運動が激しさを増していた。ヨダオイは数度軍隊を派遣しセフォラス人を捕らえこの国の労働力としようとした。男だけでなく、女、そして幼い子等も、セフォラスにほど近い収容所に収監され、そこで強制労働を強いられたのだ。労働力が増す。近隣都市はその恩恵に預かることができる。だが、反乱を起こしたのは恩恵に預かることができるはずの近隣都市の女、特に主婦層の者達だった」


 莉央は少し考える。今求められているのは女性としての視点。家庭に収まる主婦にとって大切なもの。自分はその立場にないが、例えば自分の母親だったとしたらどう考えただろう。


「国境に、何か遮るようなものはあったのでしょうか。完全に国と国が隔離されるような壁や、関所だとか」


 ディノはくっと頬を上げる。莉央の問いが意に叶ったものだったのだ。


「いや、明確なものはない。国境には広い花畑があっただけだ。交流を遮る要素は皆無だった」


 広い花畑。色とりどりの絨毯の上ではしゃぐ母子の姿が頭に浮かぶ。そこにきっと民族の隔たりなどなかった。無邪気に遊び戯れる子供達を眺めながら話に花を咲かせる母親達。


 もし莉央の母が、葵と晃流に対する理不尽な扱いを目にしたらどんな行動に出るだろう。


「きっと立ち上がった女性は子供達を守りたかったんだと思います。交流があったのなら、知らない相手でなかったのならなおさら」


「ああ、そうだろう」


 満足げに頷いたディノは、しかし次の瞬間苦虫を潰したような顔をした。


「だが男共の見解は違う。兵を派遣する際、兵糧として近隣の小麦が大量に徴収された。これに不満を持ったのだと。なんというのか、女の底力を甘く見すぎだろう。実際のところ、大量の小麦は徴収されたものの、代替えの穀物については納付を免除されたのだから経済的な影響はなかったはずだ。それにも関わらず、王の政治に女達は反抗した。何の為に自分達の身を危険に晒したのか、そこには譲れない何かがあったはずだ。だが男共は感情論までには思い至らない。つまり、即物的で想像力に乏しいのだな」


 同意していいものか迷い曖昧に笑ってみせた莉央だったが、脳裏では即物的で想像力に乏しいという言葉に葵の姿が浮かんでいた。


 葵はよくも悪くも真っ直ぐだ。見たもの聞いたものをそのまま鵜呑みにし、実際そこに至った過程については深く考えない。そう思えば男らしい思考の持ち主だということだろう。姉を持つ晃流のほうが莉央を理解してくれている。


「だから私は君を気に入っている」


「え?」


 思わぬ言葉に莉央はディノを見つめた。


「ともすれば陥りがちな男ならではの思考に君は一石を投じてくれる。城内の女達と政治の話などできる気がしないだろう。あの者達はいかに美しく床を磨くかにしか関心がない」


「そんなことは……」


「もちろんそれはあの者達の罪ではない。そんな教育を良しとするこの国の罪だ。同じ質問を女達にしてみるがいい。すべてを聞く前に『私にはよく分かりません』と答えて終いだ。そもそも考える気もないのだ」


「はあ」


「まあ今の問いは誘導に近かったことも認めよう。君は今、女性らしい答えを求められていることを察して意識的に持ってきただろう。私の補足した情報を合わせて含みなく考えていたのならばまた違う言葉を導き出していたかもしれない」


「そうですね」


「その答えに至るとき、君は似た事象を思い浮かべはしないか」


 ぱっと浮かんだのは中学生の頃に習った富山の米騒動である。第一次世界大戦中、シベリア出兵を見込んだ商人の米の買い占めに対して、主婦等が起こした運動だ。「人食いはぐれて米騒動」なんてゴロ合わせで年号を暗記した。


「それがこの国の女と君の決定的な差だ。素地がなければ目新しい考えが浮かぶこともあろう。我らには想像のつかない発想もあるかもしれぬ。しかしそれが根拠のない荒唐無稽なものでは意味がない。だからこそ君の国の教育は優れていると私は評価する。政治、歴史、化学のみにあらず、身体構造や造形、倫理、……後はなんだ、とにかく幅広く、差別なく学習させるその姿勢は我が国としても是非とも取り入れたい要素であるのだ」


「ありがとうございます」


 思わぬ国家レベルでの賞賛に嬉しいを通り越して戸惑いが生まれる。自分が当たり前に過ごしていた毎日が、別の場所では羨望されるものであること。そこから生まれる期待が莉央には背負いきれるものではないことを感じる。


 ディノに他意はないだろう。彼は学者肌の人間で至極真面目な男である。ただ、真面目で、そして学者肌であるが故に自分の言葉が莉央に余計なプレッシャーを与えていることには全く気づかない。彼自身、本人がいうところの「即物的で想像力に乏しい」男の一人に違いないのだ。


「ところでリオ、この後の予定はどうなっている」


「お昼までは魔法省の方がいらっしゃいます。その後は今のところ特には……」


「ならば一緒に午後のティータイムと洒落込もう。昼食の後二刻の後に迎えをやる。今日はまた君の国の大衆風俗について聞かせてくれ」


「お好きなんですね」


「ああ、あのアニメというものの多様さには驚かされる。ネズミが口笛を吹いて船を操るなどどいう発想。かと思えば家庭の調理場に気づかれずに潜り込み盗みを働く意地汚い猫をはしたなくも素足で追いかける若き主婦の行動力。あるいは氷の魔法を操る姉姫とその魔法を身に受けた妹姫の愛の物語……。それを芝居ではなく動く絵で表現するのだろう? 私に絵心があれば是非作ってみたいものだが」


「どんなお話がお好きなんですか」


「もちろん歴史物だ。もう話も練ってある。時は第八代王が栄華を誇ったヴァルファス王朝。王位を狙う王の叔父キラギス候の悪巧みと、王を慕いキラギスを憎む親衛隊長が核となる。親衛隊長の愛人ザナールは腹黒く利権を狙い、その魅惑的な体を使って男共を翻弄し惑わせる。そんな王宮一大スペクタクルロマンを……。なんだ王子の愛妾ともあろう者がその反応は」


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