7
「い、いえ」
莉央は火照った頬を隠すように両手で覆った。体を使って男を翻弄するなどという言葉に艶めかしい想像をしてしまったのはエルヴィラのせいに違いない。王子との会話にはそんな気配を匂わせる単語が随所に散りばめられていて、それにぴんとこないでとぼけた反応をすると逐一丁寧に解説をくれる。莉央が恥じらう姿を楽しむために。
「ふむ。君を見ていると王子との間に男女の行為があるとはとても思えぬな。本当にあの若者に抱かれているのか」
ぴくりと、顔を隠している莉央の肩が揺れたのをディノは見逃さなかった。莉央の方は話題が話題だけに答えることができない。インタージャーだと確証のもてない今の立場では、王子の寵を受けていると思わせている方がいいとエルヴィラ本人に聞かされている。
「わ、たしは、王子様と」
「盛んな年頃の若者に二晩と開けずに召されて女として仕えているのならば、この程度の話題に動揺するはずがなかろう。悪いが鎌を掛けた。周囲を騙すには君の反応は余りに初すぎる。どうにかしたまえ」
そう言うとさっきまで見ていた書物に目を落とし何事もなかったかのように読書に興じる。そんなディノの意図が莉央には理解できない。
「ディノ、様」
「なんだ」
素っ気ない返しに余計に混乱した。ディノは一つため息を付くと面倒くさそうに頭を掻く。
「いいか。私は君に関心がある。だが君個人というよりは、君の生きていた世界、国、環境、そういったものに対してだ。だから君が王子とどんな関係であろうがどうでもいい。今のは純粋に自分の疑問を解決したかっただけだ。周囲に言い触らすつもりはないし、君が王子に抱かれようが抱かれまいが、妾で終わろうが后になろうが、ましてやインタージャーであろうがバロックであろうが、そんなことは知ったことではない。が、知識欲を満たす素材として君を大切だとは思う。望むならば、その初な反応をどうにかしてやらなくもないぞ」
まくし立てられた言葉に「どうにかって……?」とそこだけ拾って聞き返すとディノは再び面倒くさそうにしながら立ち上がった。
「君に女性としてどう応じたらいいのかを教えてもかまわないと言っている」
「あの……?」
「つまり、王子の代わりに君を我が腕に抱いて、君に女の喜びというものを教えてやろうかと言っているのだ。それを知れば、そんな初な反応もできなくなろうが」
「え……、え!?」
回りくどかった言い回しが具体性を帯びたことでようやく意味を悟り、驚きのあまり口をパクパクとさせた莉央を三度面倒くさそうに見る。
「全く、このくらいのからかい上手く流せと言っているのだ。冗談に決まっているだろう。内実がどうであろうが、誰が好き好んで王子の愛妾に手出しをするものか。私の首が飛ぶ」
「ディノ様、こんな冗談はやめてください……」
「それだから駄目なのだ。偽ろうと思うならばきちんと演じきれ。女として王子を虜にしているとするなら魅惑的に微笑んで見せろ」
情けなく眉尻を下げてうなだれる莉央にとって、とうてい無理な要求である。
「なんだったら連れの少年がいただろう、彼に頼んだらどうだ」
もちろんディノとしては葵に女性として扱ってもらえと言っている訳だが、莉央はそこまでの理解をしなかった。ただ、不意打ちでその存在を突きつけられたことで動揺はした。動揺して、つい現状を打ち明ける。
「葵くんには、もうずっと会えていなくて……」
「なんだ、君は彼をどう思っているのだ。王子の話をしているときとは全く表情が違う」
そんな指摘に訳も分からずディノを見上げると、その骨ばった指が顎をくいと持ち上げた。
「王子の話をしていたときはただの恥じらいだったようだが、ふむ、少年に関してはそれがない。そんな対象だとは想像もしたことがないようだな。だが、その眼差しには憂いが見える。深い関係には違いないか」
「え、あの」
「私は即物的ではないし想像力に乏しいわけでもないぞ」
「なんでもお見通し、なんですね」
「ああ、だから遠慮はせずともよい。解決してやる気はないが、話くらいは聞ける。私には他人に吹聴して回るほどの社交性もなし、漏れる心配はなかろう。さ、そろそろ部屋に戻りたまえ。この後の魔法省の予定に遅れてしまえば、私とのティータイムも遅くなってしまう。打ち明けてしまえば、昨夜は君に何を聞こうかと浮かれてなかなか寝付くことが出来なかった。君の話が最近の私の一番の楽しみなのでな」
真顔というより無表情に近く、しかし見せる表情とは正反対の言葉を落とすディノに莉央の口からは遠慮のない笑いが漏れた。それを見て教師然たる姿勢を崩さない男は、真顔のまま頷く。
「ふむ、幼いな。だが君はそうしている方が良い。背負うことは大人の仕事と割り切りたまえ。周囲を窺いびくびくしているよりは開き直って君らしさを見せている方がまだ好感を持てる。少なくとも私に対しては含みも警戒も見せる必要はない。何度も言うが、私は君個人に対してさほどの関心もないのだから、君がどんな振る舞いをしようがどうでも良いのだ」
台詞だけを聞けば突き放しているようにも思えた。しかしその中に莉央はある種の優しさを感じていた。思えばそれは蒔田に与えられたのと同種のものであった。話は聞いても深入りはしない、だからこそため込む必要はない。それが自分より十数年多く生きている大人の抱擁力からくるものなのだと悟る。
「お気遣いありがとうございます、ディノ様。ではまた午後に」
心からの笑みが、しかし無意識のうちに溢れていた。頭を下げ、退室する。心なしか体が軽くなっているように感じた。同時に互いの距離がずいぶん縮まっていることを自覚した。
(ディノ様にだったら、葵くんやネルさんに言えないこともいつかきっと相談出来る気がする)
そして部屋に残されたディノもまた、幾分か晴れやかな面持ちでその後ろ姿を見送っていた。
(年嵩無い娘の思い悩む様は見ていても不快なばかりだ。実の娘であったならばこんな節介も嫌がられようが、リオならばまあ、そうは思わぬであろうし)
「……娘、か」
離縁した妻との間に子は無かったが、順調に結婚生活を送っていたならば莉央と同じ頃の娘がいてもおかしくはなかった。
(なんだ、いつになく感傷的だな)
ふ、と笑みを漏らしたが、次の瞬間には不愉快そうに顔を歪める。
「あの女の娘など、リオほど大人しくあるはずもない」
そもそも重ねようがない、利発で、しかし頑固な妻の面影を莉央に重ねた思考を否定しながら、ディノはまた手元に並べた書物に目を落としたのだった。
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