ーー彼らには災難であったな。君のせいで彼らは巻き込まれた。


 目頭が熱くなる。あのとき、自分たちの世界に立っていた最後の瞬間、増殖した光の粒は莉央の周りを取り巻き、晃流と葵は必死に光源を追った。その間、莉央自身は呆然と光を見つめるばかりでそこから逃げることすら思いつかなかった。


(あのとき、私がしっかりしていたら二人ともこんなところに来なくて済んだのかもしれない)


 忘れることは出来ない、左腕をつかんだ葵の手の力強さ。右手に触れた晃流の温もり。それから蒔田に貰った、お守りが発していた熱。それ等にもう一度触れることが出来るのだろうかと考え、こぼれ落ちそうな涙をこらえる。


(ネルさんに相談してみよう。王子様のこと批判的な感じだったし、きっと話くらい聞いてくれる)


 幸いなことに、食事の後ネルとヤンナが部屋を訪れると聞いていた。一晩を悶々と過ごすことにならずに済んだのは運が良かったのかもしれない。


 体を起こし、目をこする。涙の形跡を残しておきたくはない。そして間もなく来客を告げるシイナの声が扉の外から聞こえてきた。


「リオ、泣いていたの?」


 赤みの残る目に気づいたのだろう。開口一番そう問うと、シイナに退室を命じたネルは、部屋の主の許可も得ずさっさと椅子に腰を下ろす。後から入ってきたヤンナはネルの後ろに控えようとするので、莉央は慌ててもう一客の椅子を運んだ。


「彼のことは気にしなくていいのよ」


「でも、ごめんなさい。私が気になってしまうので、座って貰ってもいいですか」


 ネルの許可を得てヤンナを座らせる。来客に茶くらい出さなければと室内を物色しようとしたが、座っていたヤンナが立ち上がり戸棚の中をいじるリオの側に立つ。


「この部屋については私の方が分かっています。お気遣いは結構ですのでリオ様はおかけになってルイトカ様とお話をなさってください」


「ありがとうございます」


 要領の悪いことをしていても仕方がない。莉央は素直にヤンナに作業を任せネルの前の椅子を引いた。すると突然射すくめるような視線を感じる。ネルからは入室してきたときの柔らかな雰囲気は消えていた。


「葵の話をするつもりで来たのだけれど、状況が変わったようだわ。単刀直入に聞かせて貰います。あなたのその涙の理由、王子と関係があるんじゃない?」


「関係って言っても直接的なことではありません。あの、色々考えてしまっただけで。ちょっと不安になったっていうか」


 莉央の答えを聞くネルの表情は硬く強ばっている。それを怪訝に思いながらも莉央は当たり障りのない答えを返した。


「あなたから王子の気配がする。会ったんでしょう?」


 ヤンナが運んだ湯気の立つ茶をためらいもせず口に運んだネルはせっぱ詰まっているように見える。


「私たちを通さず直接あなたを呼んだ王子の意図を知りたいの。バロックとインタージャーに関しては私が一任されていたはずだわ。それにも関わらず、こちらには一切の連絡もない」


「えっと」


 ちょうど相談したいと思っていたが、ネルの様子がおかしい。狼狽した莉央に気づいて、目の前の女性は上がっていた肩の力を緩め一息ついた。


「ごめんなさい。驚かせてしまったかしら」


「いえ、大丈夫です。私も王子様のことでご相談したいことがあったのでちょうど良かったんです」


 ヤンナが席に着いたのを確認してから莉央は改めて口を開く。


「さっき葵くんと別れた後、シイナさんから突然謁見の予定を聞かされたんです。二十分後と言われて、だから着替えをしてすぐでした。そこでインタージャーについて説明を受けました」


「それだけ?」


「いえ」


 言ってもいいのだろうか。別段口止めをされたわけではないので問題はない気がする。だが、逆に人に言わないことを前提に話されていた可能性もある。


「言ってもいいのか、判断がつかないんです」


「内容があまり良くないものってことね」


 曖昧に頷く。心を操られそうになったこと、葵を楯にされたこと。衣装を替えなければならない状態にされたことも良くない内容の括りにはいるだろう。


「あの、王子様から私……」


 突然違和感を感じた。何かがつっかえたように喉の奥を圧迫する。しかし何度か咳込むと異常は収まった。


「ごめんなさい。風邪っぽいのかもしれません」


 ん、と喉を鳴らし、違和感が収まったのを確認してもう一度話し出そうとしたが、さらに強い圧迫感に、先ほどより激しい咳が起こり、莉央はたまらず体を丸めた。椅子から落ちそうになった体を素早い動きでヤンナが支える。


「話せないのですね」


 激しい喘鳴を立てて苦しさに涙を浮かべた莉央の背を撫でながら呟くヤンナの視線はネルにあった。


「最初に会ったときに名前を隠すように教えていなかった私の落ち度だわ。リオ、あなたは王子に名を奪われている。フルネームじゃなかったからあなたの意志を奪うまでに至らなかったけれど、ここまで影響が強いのはきっとインタージャーだからよ」


 側に寄り添っていたヤンナを莉央が涙ぐんだ目で見上げると、ふわりと体が宙に浮く。抱きあげられているのに気づき慌てて降りようとしたものの、その動きにまた激しく咳込んだ莉央は、背を丸め腹筋を襲う痛みに耐えるのが精一杯で、結局抱かれるがままになるしかなかった。激しく体を揺らす莉央を落とさないのはさすがに近衛師団長といったところか。


「無礼をお許しください。あなたをいつまでも床に座られたままには出来ませんので」


 肩で息をしながらも何とか落ち着きを取り戻した莉央を元の椅子に下ろすとヤンナは再び自分の椅子に戻った。


「王子のことについては私の方で何とか確認してみるわ。あなたたちに不利益が生じないように手は尽くすつもりよ。だから一人で泣かなくていいわ」


 聞けば優しげな言葉だが違和感がある。その違和感が王子のことを相談する気にさせたのだが、ここは確認すべきだろう。莉央はまだ痛む喉を気にしながら口を開く。


「ネルさんは王子様に仕えているんですよね。それなのにどうして……」


 まるでエルヴィラから莉央たちを守ろうとしているかのようだ。しかしそれでは主の意志に反するのではないか。いったいどちらが真意なのか、今の時点で莉央には判断がつかない。


「人には色々な考え方があるわ。たとえある人にとっては高潔に見える志でも、立場が違えば受け方も変わる。そういうことよ」


「具体的に話すことは出来ないってことですか」


「まだその段階ではないってこと。いずれ、ね」


 ネルは目の前の茶を飲み干すとそのまま後ろにいるヤンナに手渡す。心得たように受け取り、それを部屋の隅にある簡易なテーブルに運ぶ。食事を片づけるときなどに使う置き台だ。洗い物をそこに置けばシイナが来たときに下げてくれる。


「アオイはヤンナの元にいる限り大丈夫。心配しなくていいわ」


 一番の気がかりをさらりと消す。


「葵くんに会えますか」


「すぐには無理ね。一週間くらいかかるかしら。それでも構わなければ手配するわ」


「なるべく早くお願いします」


「……会っても相談も出来ないわよ」


 その言葉に誘われるように喉に手を当てる。今は全く問題がないが先ほどは息を継ぐことも出来なかった。


「それでも、いいです」


「わかりました。私たちはまた近いうちに来るようにするわ。あなたが口止めされているということは、私たちには秘密裏の謀があるのは間違いないわ。いい? これから王子と面会する機会も増えるでしょう。けれども優しくされたからといってほだされてはだめ。絶対に気を許さないで」


「わかりました」


 自分に対する行為や物言いから考えても、エルヴィラよりネルの方が信用できる気がする。そう考えた莉央は神妙な顔で頷いた。


 その後は他愛もない世間話をした。主にディノの話だ。


「あの方、随分あなたのことを気に入っているようね」


 エルヴィラから同じようなことを言われたことを思い出す。


「物珍しいでしょうから」


「確かに。あの方の好奇心は子供のようですもの。一つごとにすぐ夢中になってしまうから独り身なのよ。妻をそっちのけで他にかまけているような方では仕方ないわよね」


 妻という単語が出たところをみると、離婚歴があるのだろう。莉央はクスクスと笑った。簡単に想像がつく。莉央の前には一体何に夢中になっていたのだろうか。どちらにせよ、興味を持たれる対象となった人物は莉央と同じような設問責めに随分苦労したに違いない。


「今日は疲れているでしょうからゆっくり休んで。ああ、それと」


 一時間ほどもいただろうか。結局肝心なことは何一つ話せなかったがそれなりに和やかな雰囲気の中ネルとヤンナは席を立った。


「まず機会もないでしょうけれど、もし夜半、そうね、夕食後に城の中を歩く時には走ったり、大きな声を出したりしてはだめよ。暗くなってからは物騒だから警備が厳しくなっているの。皆がリオの顔を知っているわけではないから、うっかり衛兵にでも見つかったら何をされるかわからないわ。でもまあ普通に歩いている分には大丈夫でしょうけれど」


「わかりました」


 学校の規則のようだと思いながら笑って頷いてみせた。もっとも学校より随分と物騒なのだが、ネルのいうような夜半に一人で出歩くことはまずないだろうと思うからこそ笑う余裕もある。


「アオイには運動の素地があるようですね。体の使い方は違えど動きは大変滑らかで持久力がある。柔軟性にも優れています。何より飲み込みが早い。それに社交性が高いのも有利です。彼は師団の者たちとすでに打ち解けております。何かあったとしても師団の者たちが彼の力となるでしょう。心配はいりません」


「葵くんは昔からそうなんです。運動神経が良くて、テニスがすごく上手で。元気で明るいから友達も多いし、積極的でいつもみんなの真ん中にいて……」


 浮かんでいた笑みが自然と消えた。それを見てヤンナがもう一度「心配はいりませんよ」と言葉をかける。


 答えるように再び笑みを浮かべた莉央を確認して二人は退室していった。


 その背が見えなくなると同時に膝から力が抜けた。ふらふらと椅子に歩み寄り腰を下ろす。

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