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※※※
小学校に入り学年が上がるに連れて幼なじみ二人との距離が少しずつ離れていくことには気がついていた。元々同性でもないし、仕方のない部分はあった。それは分かっている。けれどもその離れ方は全く違っていて莉央は戸惑うことが多かった。
まず距離が出来たのは晃流の方だった。彼女を作って、そちらを優先する。それは少し寂しくあったが、当たり前のことだと分かっていた。それでも登校時は一緒だし、マンションのロビーで鉢合わせば今まで通り話しもする。放課後一緒にいる時間が少なくなったとか、距離といってもその程度のものだ。
しかし葵は違っていた。
元々男兄弟の真ん中なせいか、莉央には粗雑で少々乱暴ではあったが面倒見は良かった。何かあるとグズグズと泣き出す莉央に、晃流は優しく語りかけ自主的に動き出すのをじっくり待ってくれるのに対し、葵は叱咤し強引に腕を引っ張る。だが、そこにある労りの気持ちを汲めるだけの察しの良さがあったので、莉央は苦に思ったことがない。
他にはないそんなところを男らしさだと理解するに従い、莉央は葵をさらに慕っていったのだが、それと同じだけ成長した葵は莉央との距離をとるようになっていた。
「なんかね、最近避けられてるような気がするの」
ため息とともに吐き出した言葉を、清水結衣は軽く笑い飛ばした。
五年生になって、自分から新しいクラスメイトに話しかけることが出来なかった莉央に最初に声を掛けてくれた、出席番号一番違いのこの少女は、莉央とは真逆の性格だった。
おおらかで、開けっぴろげ。気が強く、男子相手にもひるまない。快活なところに莉央は憧れたものだったが、それは結衣も同じだった。
「あたしも莉央くらいお淑やかだったら絶対倉見のことゲット出来てたのに」
意中の相手の名を出してそう嘆くことが一度や二度ではなかった。
性格が全く違う分、相性は良かったのだろう。結衣はクラスのムードメーカー的な存在だったが、それでも何か相手を必要とするときにはいつでもまず莉央を選んでくれた。
結衣には友達が多くて、自然に彼女を中心にしたグループのようなものが出来上がっていった。積極性に乏しい莉央にとって、大人数に紛れることは少々努力を必要としたが、それでも結衣がいるからとその輪に混じることが増えていった。しかし、なじみ切れてはいなかった気がする。
大勢の中では愛想笑いを浮かべるばかりで、会話にも入っているようないないようなという雰囲気だった。結衣もそれは分かっていて、下校時などは他を断り莉央と二人の時間を作るようにしてくれていた。
「あのね、最近葵くんが素っ気ないの」
「幼なじみの兄ちゃん?」
「うん」
いつも通りの下校途中、莉央は思い切って結衣に打ち明けた。どうして距離を置かれているのか、それに思い当たらなかったからだ。
「莉央、その兄ちゃん好きなの?」
問われて、少し考えたが素直に頷いた。ずっと三人だったが、晃流は物腰が優しすぎるせいか一緒にいても父や母と同じような感覚しか持っていない。優しい兄、それが一番しっくりくる表現だった。
しかし葵は違う。子供の頃から莉央を庇う時の堂々とした態度や言葉、そこに家族に対するものとは違う心強さを感じていた。それは幼いながらも感じ取れる、男らしさとでもいうものだったのだろう。
「あれじゃね? 誰か好きな女出来て、莉央の面倒みんの面倒になったんじゃね?」
「そ、うなのかな」
あからさまに落ち込む様子の莉央に結衣は大げさに笑いう。それで莉央は結衣が冗談を言ったのだと気づく。
「結衣ちゃん、ひどい」
「はは、莉央弱いわ。もっと自信持て。長年の付き合いは伊達じゃないって。あ、でももう一人の長年の付き合いは伊達だったんだよね。今じゃ彼女持ちでラブラブー」
「結衣ちゃぁん」
「冗談だって! でも莉央、なんかしなきゃ変わんないよ。とりあえずなんかしようよ」
「なんかって?」
「自分で考えろ」
しばらく一人思考を巡らしていた莉央に、結衣は声を掛けなかった。邪魔をしないように静かに隣を歩く。
「お守り」
やがて莉央が呟いた。
「ん?」
「葵くんね、今度テニスの試合があるの。それに勝てるようにお守りをあげたらどうかな」
小学校の頃から軟式テニスを始めていた葵は、生来の負けず嫌いな気質のおかげか、前年度末の大会でそこそこの成績を残していた。
丁度その月の終わり、夏休みに差し掛かった頃には小学生の全国選手権がある。もちろん葵も出ることを莉央は知っていた。
「まあ悪くないんじゃない。あ、それならさ、あたしのばあちゃん家の近くにちょっと有名な神社があるんだ。夏休みに入ってすぐ二、三日泊まりに行くからその時に買ってきてあげるよ」
「ほんと?」
「うん、お守りに弓と矢がくっついててちょっと格好いいから男子にあげるなら良いと思うし」
「結衣ちゃん、ありがとう」
提案はしてみたものの、勝運守りなどどこに行けば手に入るのか知らなかった莉央はその購入を結衣に任せることにした。けれども人に買ってきてもらったものをそのまま渡すのは味気ないので、お守り袋くらい作ろうかと考えた。元々手芸事は嫌いではなく、ティッシュケースなどをちまちまと作っている。小さな巾着袋なら、手縫いで簡単に出来るだろう。
それから数日経ち終業式を迎え、結衣は予定通り祖母の家へ遊びに行った。葵の試合は月末、二十八日からだ。結衣が帰ってくるのが二十六日の夕方とのことだったので、その日の夜に会う約束をとりつけた。
一日の予定の宿題を終え、絵画教室に通い、家では小さな布に刺繍をする。毎日僅かな時間の作業だったがお守り入れの袋は着々と出来上がっていく。これならば結衣の帰る日までに作り上がる。
葵に何と言って渡せばいいのだろう。ただ頑張ってと言うだけでは物足りない。色々な言葉を選び、それを聞いた葵がどんな反応を示すかを想像した。だが、考えれば考えるほどぴったりな言葉を見つけることは難しい。
『そんなの、シンプルでいいんだって。試合頑張ってね、それとこれからもよろしく、とか? そうじゃなければ、好きです! つき合ってくださいラブ! とか言ってみる?』
「……これからもよろしくって言う」
『ん、いいんじゃない?』
電話越しの結衣の声は明朗である。莉央は結衣のそういうところが好きだった。自分にはない積極性や楽観的なものの捉え方。
そんな結衣が莉央とつき合うようになった直接のきっかけは、五年生になって一番最初の図工の授業の後、教室の前の廊下の掲示板にクラス全員の写生画が張り出されたことだ。
「なにこの絵! 描いた奴絶対普通じゃないって!!」
莉央の絵を見ながら友人に騒ぎ立てていた結衣とその場に居合わせた莉央。結衣の周りにいるクラスメイトは莉央がいるのを見つけてクスクスと笑っている。
(ああ、馬鹿にされてる)
今までに何度もあったことだと既に泣き出しそうになりながら聞こえない振りをして後ろを通り過ぎようとした莉央に気づいた結衣は、悪びれることもなく騒ぎ立てる勢いそのままに莉央の背中を力一杯平手で打った。
「沢良宜さんスゴすぎ! どうやったらこんなの描けるの? あり得ないんだけど!」
興奮さめやらぬといった様子の結衣にあっけにとられたのは莉央だけではなかった。周囲のクラスメイトも反応に困ったように浮かべていた笑みを引っ込める。
「決めた、次の図工の時、あたし沢良宜さんの隣に座る。秘技を伝授してもらうから!」
莉央の返答も待たず結衣はそう言うと、そのまま教室にいる教師に席替えの交渉を始めた。
それ以降、結衣は何かと莉央に構うようになっていった。もっとも一見すればそれは結衣が一方的に絡んでいるようにしか見えなかったのだが。
「あんたってさぁ、何でもっと堂々としてないの」
そんな結衣の問いに、莉央は曖昧に笑ってやり過ごす。その反応に不満そうに尖らせる結衣は度々言った。
「あーあ、莉央はいっつもそれだ。だからあたしの苦労が増えるんだって」
それでも正反対同士、足りないものが噛み合ったのだろう。大ざっぱな結衣の言葉には遠慮がなさ過ぎて、それでクラス内のトラブルになることも少なくはなかったが、莉央は別段不快に感じなかった。あけすけな物言いの中に、苦手とする含みのようなものを感じなかったせいだろう。
一見主導権を握っているように振る舞う結衣だったが意外と気が小さいところがあり、よく莉央に頼った。
「今日の宿題、ドリルに書き込むのかノートにやるのかどっちだっけ」
「ノートにやるんだよ」
「そっかそっか。あ、それと月曜の体育だけどさ、体育館だっけ。あれ、校庭? 運動靴と体育館シューズ、どっちもってけばいいの?」
「校庭で縄跳びだから運動靴だよ」
「あんたよく覚えてるよね」
「結衣ちゃんが忘れすぎだよ」
「いいじゃん、あー莉央がいると助かるわー」
いつしか取り巻きのように群がっていたクラスメイトたちと離れ、二人で歩くようになった帰り道。お互い親友と呼べるほどに親しくなっていた。
そんな時間が過ぎ、互いに気を許し、だからこそ莉央はずっと気になっていた幼なじみの態度について勇気を出して結衣に聞いてみたのだ。
仲良くなっても、どこか一線を引いているかのような莉央の態度を結衣は少し物足りなく思っていた。
教室内で他のクラスメイトとはあまり口を利かない莉央を無理矢理自分の友人の輪の中に引っ張りだしたが、莉央はなにを言われても気弱そうに控えめな笑みを浮かべるばかりだ。
周囲に馴染む気がないわけでもなさそうだが、対人関係において深く考えることをしない結衣は、莉央がもっと積極的に周囲と関わるべきだと考えていた。
莉央が過去の経験のせいで人付き合いに臆病なことを今まで同じクラスになったことのない結衣は知らなかった。だから容赦なく世話を焼こうとしたが、どうやっても莉央は自分から人に関わっていこうとはしなかった。
「あたしさぁ、莉央のこと結構好きなんだけど」
「私も結衣ちゃんのこと好き」
ふふ、と口に手を当てて嬉しそうに笑う莉央を見ると結衣も嬉しくなった。自ら他人と接点を持とうとしない莉央が、結衣にはこうして好意をストレートに見せる。それは優越感を刺激する。特に、大人しい莉央が実は男子生徒の羨望を集めているのだということを感じ取っている聡い結衣にとっては尚更だ。
小さい頃に莉央をからかってばかりいたクラスメイトの男子が、今では莉央に眩しそうな視線を送る。当然本人は気づいていない。たまに視線に気づいたところで、再びからかわれるのではないかと怯えながら視線を逸らすのが常だ。だが、結衣はそんな視線の意味を知っている。莉央の価値を、莉央以上に分かっているのだ。だからこそもっと莉央に近づきたい。
そんな小さな不満は、莉央からの相談で吹き飛んだ。話す表情から見て取るに、莉央はその幼なじみに対して並々ならぬ感情を抱いているらしいとも考えた。そんなことを打ち明けてもらえる仲になったのだと思うと気合いも入る。莉央と幼なじみの仲を取り持ってやらなければならないという使命感まで芽生えてきた。
祖母の家に着いてまず最初に神社に行きたいと言うと、皆目を丸くした。結衣としては莉央の話を聞いたときから待ち望んでいたことで何らおかしな行動ではなかったのだが、盆休みよりも前の時期で縁日が出ている訳でもない神社への訪問をねだる孫に祖母は大いに戸惑ったらしかった。
だがそんなこと結衣には関係がない。行く道がてら祖母に理由を話すと「結衣も大人になったのねぇ」と感慨深げに言われたが意味がよく分からなかった。
結局滞在初日に手に入れたお守りのおかげで結衣は残りの期間気もそぞろに過ごすこととなった。子供向けのお守りは思っていたとおり男子の好みそうななかなか洒落たデザインであったし、電話で話をした莉央のお守り袋の作成も順調なようだった。
帰宅までの三日間、祖母には心ここにあらずといった様子をしょっちゅうグチられたが、親友の、結衣の想像するに初恋を叶える手助けになることが出来ると思えば年に何度も遊びに来ている在来線で一時間半程度の祖母の家の滞在にはさほどの価値もない。
あっと言う間に日が過ぎ帰宅した結衣は、すでに小学生にとっては少し遅い時間になってしまっていたが、それでも翌日に持ち越すことが出来ず、電話で莉央を呼び出した。
『絶対今日渡したいの! 莉央んちの下にいるからさ、ぱっと渡してぱっと帰るよ』
帰宅直後の結衣が疲れているだろうと渋る莉央に自分の逸る気持ちを押しつけ、マンションの前のひときわ大きな枝振りの街路樹の前に呼びつけた。
「結衣ちゃん、お帰り」
走ってマンションのロビーから飛び出してきた莉央は結衣の姿を認めると、彼女にしては珍しく顔いっぱいの笑顔を浮かべ走りよっていった。
「ほれ、お守り」
結衣が手渡した紙袋の中身を確認した莉央は礼をいうと「いくらだった?」と手にしていた財布の中から千円札を取り出した。
「別にいいよ。おばあちゃんが買ってくれたからあたし自分の金払ってないし」
「そういうわけにいかないよ。買いに行ってもらったうえにお金まで出さないなんて」
「いいじゃん。ラッキー、得したね!」
「結衣ちゃん、困るよ。お願いだからちゃんと貰って」
大ざっぱな結衣に対して莉央はきっちりとしている。ここで譲ることは出来ない。
「あー、わかったよ。でも千円もしてないんだ。お金貰うつもりなかったからお釣り持ってきてないし、また今度でいいよ」
「駄目、結衣ちゃんそう言ってなぁなぁにしちゃうもの。じゃあこれ渡しておくからお釣り後でくれる?」
「もー、真面目だなぁ。了解了解」
まだ手を出そうとしない結衣に莉央の表情は緩まない。苦笑しながら結衣が莉央の差し出す千円札を受け取ろうとした、その瞬間だった。
「何やってんだよ!」という怒号と同時に結衣の体が横へ弾きとばされたのは。
尻餅をついた結衣を助けることも忘れるほどに驚いた莉央は、ただ声の主を見つめるばかりだった。
「お前二度と莉央に近づくな!」
「はぁ?」
結衣はその声に飛び跳ねるように立ち上がった。
「何なのこいつ。訳わかんない!」
感情の起伏の激しい結衣は、謂われのない非難めいた言葉に即血流を沸き立たせた。そして目の前に立つ莉央のことも瞬時に意識から排除してしまったようだった。そのままきびすを返し、こちらを振り向くこともなく怒りに任せた力強い早足で去っていってしまった。
莉央はといえば、そんな結衣の姿を視界の端に捉えながらもまだ呆けたままだった。目の前に立つ男子、幼なじみである葵の意図が全くつかめなかったからである。
葵が結衣と莉央の関係を端から見て曲解していることなど、もちろん莉央の知るところではない。ただ手の中に握りしめているお守りは葵の為に用意したものであるし、用意に協力してくれた結衣が、礼を言われるのならばともかく、罵倒される理由など皆目思いつかない。その為にどうしていいか、何を言えばいいのか、思考がまとまらずにいた。
しかしその為に出来た間が興奮さめやらぬ葵の怒りに油を注いだようだった。
「莉央、お前マジで何やってんの?」
その時に事情を話せば葵の誤解はすぐに解けたのかもしれない。だが、考えもしなかった出来事にすぐに対応出来るほどの柔軟性が莉央にはなかった。
「お前みたいな奴ってイライラする」
ようやく考えることが出来るようになったとき、莉央はマンションの前に一人だった。いつの間にか手に力が入ってしまっていたのだろう。せっかく結衣が買ってきてくれたお守りは汗と負荷によりいびつによれてしまっていた。
「これじゃ渡せないな……」
呟いた途端足から力が抜けた。幸い街路樹の周囲にぐるりと置かれたベンチに腰を下ろすような格好になったので地面に座り込むようなことはなかったが、すぐには立ち上がることが出来なかった。
(葵くん、何か誤解しているみたいだったからちゃんと話さなくちゃ。それで結衣ちゃんにも謝って……)
再びお守りを握りしめる。
(……出来ないよ……)
素っ気なくなってしまった葵に再び近づきたいと思って用意した品物だったのだ。けれどもイライラするとまで言われているのだ。受け取ってはくれないだろう。
(取りあえず、結衣ちゃんに電話して、それから)
去っていった幼なじみから意図的に目を逸らし、莉央は親友への言葉をまだ先ほどの出来事のショックからか明瞭になりきれない頭で必死に考え始めた。
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