2 王城

 運河に架かる橋の長さは相当なものだった。しかし幅はそれほど広くはない。たっぷり時間をかけてそこを抜け、ようやく城の外門にたどり着く。その先は大きな庭園があり、中央に一直線の道が延びていた。


 ほぼ中央あたりに馬車の降車台が置かれており、その横には簡易な屋根付きの建物が用意されている。丁度バスの停留所のような雰囲気だ。そこで降りて城の正面玄関へは徒歩で行く。


 階段を登り、そこから緩やかなスロープが続く。外壁に沿って暫く進み、ようやく大きな玄関にたどり着いた。少し段差の大きな石段、そして凹凸の大きな石のはめ込まれたスロープは足への負担が大きい。橋の広さや降車場の位置、そしてこの階段、それらの全ては軍事的な理由で造られているのだろうと葵は推察する。


 すでに小さく息を切らせている莉央を横目に捉え、城門に立つ兵士と話をするヤンナの様子を伺った。ネルは無表情でそれを見つめている。まもなく入城の許可が下り、大きな城門は軋んだ音を立てて左右に開かれた。


 そこには小さな広間があり、外套などを脱げるようになっている。使用人らしき女性が何人も集まり、それぞれ客人の衣類を預かるのだが、ネルの指示で莉央と葵のところにはこなかった。預けられるものもないし、言葉が分からないのだから会話の必要がないのはありがたい。


 そこから更に奥に入り、もう一度扉を抜けた。すると玄関ホールらしき場所にたどり着く。


「うっわぁ……」


 莉央が思わずといった様子で声を漏らす。葵も圧倒されて周囲を見回した。弧を描く造りの天井は一面に幾何学模様が描かれており、大きな壁面には華やかな絵画がはめ込まれている。壁際にはベンチが備えらえており、反対側にはピアノのような楽器もおいてある。天井には大きなシャンデリアが吊られ、膨大な本数の蝋燭が揺れている。


「ここは四階になるの。登るの大変だったでしょう。でも客人向けの施設は全て三階にあるから、中の移動はそれほど辛くはないと思うわよ」


「この絵って、何か題材があるんですか」


 莉央の興味は壁画にのみ注がれているようだった。この世界に来て初めて、目を輝かせ満面の笑みを浮かべた幼なじみに葵もつられて口元を緩ませる。


「ええ、この国の物語よ。こちらから神の誕生、栄光と挫折、そして昇華」


「昇華?」


「ええ、神はこの地に生まれ落ち、皆に崇められる偉大な指導者となる。けれども魔物に唆された人々から迫害を受けるの。それでも挫けず最終的にはいくつもの国を統一してフォルスブルグエンドという国を造った。そしてその国を一人の青年に託し神の世界に還っていく。託された若者を祖とするのがこの国の王族っていう、そんなお話」


 壁画に触らんばかりに近づく莉央にネルは問う。


「絵は好き?」


「はい、描くのも見るのも」


「そう、アオイは?」


「いや、俺は興味ないです」


 振られた問いに葵はばつが悪そうに鼻の頭を掻いた。細かい作業が苦手な葵は絵を描くのは不得意だった。それよりも体を動かす方が性に合っている。


「そう」


 ネルはその答えに少し考え込むと「ヒカルは?」とここにはいない幼なじみのことを聞いた。


「あいつは壊滅的です」


「晃流くんは、子供の頃描いた猫の絵を猿?って聞かれたことがあって。それ以来描くのも見るのも嫌いなんです」


「それは確かに壊滅的ね」


 おかしそうに笑ったネルは、しかし表情を引き締める。そしてホールにいた者たちに指示を出し人払いをした。残ったのはヤンナと三人のみになる。


 何事かと周囲を見回す莉央と葵に視線を向けるとネルはゆっくりと服の襟元からネックレスを引き出した。ヘッドには親指の先ほどの大きさの真珠の粒が一つ付いているだけで他に装飾はなかった。


「ねぇあなたたち、この真珠何色に見える?」


「黒」


 葵は即答する。だが莉央は戸惑ったように間を空けた。


「私も、黒に見えます」


 見えるもなにも、黒い以外の何物でもない。ここではっきり言えないところが莉央の性格なのだろうとさほど気にもとめなかった葵だが、ネルはその答えに不満を持ったようだった。


「リオ、本当にそう見える? 別に正解も不正解もないのよ。アオイや他の人の意見に合わせる必要はないわ。現に私にはこれ真っ赤に見えるの。燃える火のように鮮やかな赤。時折黄色がかっても見える」


 ネルの真剣な眼差しに莉央は視線を外し考え込む仕草を見せる。葵はまじまじと真珠を見直したが、やはり黒い以外の色には見えない。


「あの」


 しばらく口を噤んだままだった莉央は意を決したように顔を上げた。そして一度葵を見ると再びネルに向く。


「私には普通の白真珠に見えます。光の加減によって虹色に輝いていて、でもその中に時たま何かが揺らめくんです」


「何かって?」


「何だろう、陽炎みたいなものが……。まるで真珠の中に何かが入っているみたいに」


 その言葉を受けたネルは深く息をついた。


「リオ、アオイ。一つ約束してほしいことがあるの」


「はい」


「リオは皆に決してフルネームを教えてはいけない。アオイ、あなたも絶対にリオの名を口に出してはいけない」


 莉央と葵は戸惑い顔を見合わせた。


「でも、ファーストネームは私たちが散々呼んでいるから同行した人たちは皆知っているわね。皆に口止めするのは難しいし……。そうね、ファミリーネームだけでも変えましょう。変に難しいものでは間違えてしまいそうだから、アオイと同じソネザキはどうかしら。リオ・ソネザキ」


「それは構わないけれど、理由は?」


 葵が口を挟む。莉央が曾根崎の名字を語ったところで特に不都合はないが、なぜそうしなければならないのかに純粋な興味がある。


「さっきの物語、覚えている?」


 繋がりのわからない話題に首を捻りながらも頷く二人にネルは簡単に言った。


「フォルスブルグエンドの王家は神の祝福を受けているの。神から国を託される人物が凡人であると思う?」


 しかし所詮物語の話だろう。そう思いながらも葵は相づちを打った。これまでのネルとの会話から傾向はわかってきている。同意するまできっと話は進まない。


「凡人ではない、特に王子は。あの方はもはやこの国でも過去の遺物となった魔法を自在に操る。先祖返りか、それとも突然変異か。こんなことを言っていることが知れたら、不敬罪で私の首は飛ぶけれど」


 こくりと莉央の喉が鳴る音が聞こえた。


(馬鹿馬鹿しい)


 まだ懐疑的な葵は内心笑いつつも表情だけは真剣にネルの話を聞いていた。


「あの方はね、名を奪い人を操る術を持つの。けれども万人にできるわけではない。だからアオイ、あなたは大丈夫よ。問題はリオの方」


 名を呼ばれた莉央はびくりと体を震わせた。葵だけではなくこちらも半信半疑ではあったが、名指して指摘されると途端に不安になる。


「リオには少し話したのだけれど、もう少し詳しいことを教えるわ。異世界から落ちてきた人達をバロックと呼ぶと言ったけれど、正確にはそうじゃない。異世界から来た人の中でも、他人とは違う色を見る人間のことをバロックと呼ぶの。この真珠の色が黒に見えるのはただの人」


「なんだそれ」


 思わぬ凡人扱いに明らかに落ち込む様子の葵のことなど目に入らぬ様子の莉央に微笑みかけ、ネルはベンチに腰掛けた。


「ある場所があってね、そこでとれる真珠には魔力の素が含まれているの。バロックはその魔力を使う力を持っているのだけど、感じ取る色によってそれぞれ使える分野は違ってくるのよ」


「火のような赤が見えるってことは、やっぱり火に関する魔法が使えるんですか」


 先ほどのネルの言葉を覚えていた葵が口を挟む。


「単純な思考だけれど悪くはないと思うわ。私の赤は光なの。暗闇を照らす照明程度のものね。たいしたものではない。他にもあるのよ。たとえば黄はものの存在を視界から隠したり、青だったら逆にものを視界に現すとかね」


 そこでネルは言葉を切った。何か遠いものを見るように目を細める。同じように目を細めた莉央の頭の中に、藍の絵の具から花びらを飛ばした蒔田の笑い顔が浮かぶ。


(まさかね)


 突然の行方不明だとか、色だとか、符合するものが多いことに一瞬の不安がよぎり、その言葉が不意に浮かぶ。


 ーー莉央ちゃんならきっと出来る。


「ただ、複数の色を濃く感じる者はいないのよ。七色(しちじき)を感じとる者に、バロック、つまりいびつとか不完全を表す名称は当てはまらない。それはインタージャーと呼ばれるの」


 以前の説明に出てきた呼び名に反応した莉央に葵は気づく。


「莉央がその、インタージャーってことですか」


「まだ確定ではないわ。可能性があるってこと。けれども王子はずっとインタージャーを捜していた。だからもしリオがそうだったとしたら、少し強引なことをされるかも知れない。だから一応の予防策。いい?」


「強引なことってなんですか」


「それは、そのときになってみないとね」


 葵の問いをはぐらかすように笑ったネルは、立ち上がるとヤンナに合図をし、再び使用人を呼んだ。


 莉央と葵の元で深々と頭を下げた女性は一言も発しないまま前を先導するように歩き出す。


「彼女があなた達の部屋付きになるわ。言葉がわからないままでは不便でしょうけれど、王子に会うまで我慢してね。部屋から出なければさほどの支障はないと思うから。こちらが落ち着いたら呼びに行きます。ゆっくり休んでちょうだい」


 兵舎にいたときと同じようにあっさりと去っていったネルの後ろ姿を見つめていた二人はカツカツと床を打ちならすような音に気づいた。


 言葉を発さなくてもわかる、前に立つ使用人の苛立ち。つま先で何度か床を蹴ってこちらの注意を引こうとしている。


「あ、ごめんなさい」


 莉央は律儀に謝ってそちらに歩を進めるが、葵は逆に鋭い瞳で使用人を睨みつける。


「なにあいつ。召使いっぽいくせに偉そう」


「葵くん、そんなこと言わないで」


 困ったように咎める莉央に気づいて葵は気まずく鼻の頭を掻いた。短気な自分を珍しく自覚する。けれども莉央の表情の中に、こちらを伺うような不安げな揺れを感じ、顔を歪めた。


(こいつ、まだ……)


「葵くん、いこう?」


「うん」


 素直に答えた葵にあからさまにほっとしたような笑みを浮かべた莉央だったが、その隣を歩きだした葵は複雑な思いに捕らわれていた。


 葵としてはこの世界での一週間で、だいぶ莉央と打ち解けたつもりでいた。今までと違い濃密な期間である。異常な環境で、元の世界とは違ういたわり合いが出来たのは確かだし、他愛ない言葉を交わし、成長した互いを知り直す機会にも恵まれた。だからこそ、莉央に対する苛立ちは薄れていた。


 結局理不尽な苛立ちは、遠くなってしまった幼なじみへの独占欲のようなものから来ていたのだ。幼い日からずっと、晃流と葵と莉央の三人だったのに、環境が変わり、考え方が変わり、徐々に生まれていくかみ合わなさ。


 それをもどかしく感じ、逆に突っぱね無関心を装った。けれども突き放しきれない感情は意図するところからはずれていき、結果莉央を何度も傷つけた。その結果がこれだ。


 しかし今の状況は考えようによってはその関係性を崩すチャンスになる。望んでのことではないにしろ、今まで取り巻いていた環境とは全く違い周囲に惑わされず一対一の関係を構築し直すことが出来る。


 カツカツと再び靴を鳴らす音がする。


「葵くん、怒ってるよ」


 上目遣いに訴えてくる莉央を見下ろし、頬を揺るめると少し低い位置にある頭に手を乗せる。


「え、何?」


 目を丸くして見上げる視線に途端に照れくさくなり目を逸らすと乱暴に髪をかき混ぜ手を離した。


「いくか」


 もうこちらを見ようともせず歩みを進める葵を呆気に取られて後ろ姿を眺めていた莉央は、再び床を鳴らす音に我に返り、慌ててその後を追いかけた。


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