神々の悪戯
半パンと薄手のパーカーを羽織り前を行くペルさんは、後ろから見ればやはり中性的な中学生にしか見えない。
彼女の希望によりコンビニで大人買いしたカリカリ君を、食べたり溶かしたりそれを飲んだりしながら、俺たちは昨日の公園へ向かっていく。
夜の肌寒さからは考えられない程、まだ暑さが残っているのだ。
とっくに青葉は消え去って地面を踏めば枯れ葉が鳴る、そんな歩道も先の方を見ればアスファルトが陽炎でぼやけていた。
公園についたら少し休もう。……もうすぐそばだ、がんばれ27歳。
「うへー。今頃”スマシス”やってる予定だったのに」
小石を蹴っ飛ばしてぼやいているのはペルさん。
沢山の妹たちがスキルを駆使して戦い、狭いステージから落とし合って”真の妹”を決める、老若男女問わず大人気な格闘ゲームが”スマッシュシスターズ”である。
「そもそも家にスウィッチないっての」
「それを買ってくるのがお兄ちゃんの役目でしょ」
確かにそういう条件での依頼だ。
「けど今スウィッチ品薄らしいな」
「らしいね。気合が足りないんじゃない?」
「足りないのは部品なんだよなぁ」
「いやい──あ」
ペルさんは何か反論しかけたのをやめた。
「おい、どうした」
「しっ。ついてきて」
俺が訝しげに問うと、彼女が人差し指を唇に当てて真剣な顔で俺を諫めたのだ。
……一体どうしたんだ?
公園の中には黒ずくめの男が散歩しているだけで、特にこれと言って不審な点はない。男が怪しい取引をしてるようには見えないし、近くに高校生探偵が息をひそめ探りを入れているわけでも、それを後ろから鈍器で狙うスーツ男がいるわけでもない。至って通常運行な公園の情景だ。
だから急に腰をかがめて身を隠すペルさんの方が、どちらかと言えば不審者。
「もう23だろ? 恥ずかしく──」
「──静かにって言ってるよね? 死にたいの?」
アメリカンに制すペルさんの視線は真剣そのもので、茶化そうとした俺は気圧されて二の句が継げない。
茂みからチラりと顔を出して彼女は云う。
「ボクは見たんだ──あの男がiPadを鞄に入れた瞬間を」
**********
「……それがどうして、こうなったんだ」
ベンチに置きっぱなしになっていたiPadが黒ずくめによって回収された。
なら事情を訊いて終わる簡単な話のハズだったのだけれど。
──謎の尾行がかれこれもう20分も展開されていた。
「お兄ちゃん? いつでもブツは抜けるようにしておいてよ」
「はいはい」
ノリノリで黒ずくめの男の後をついていくペルさんの足取りは、訓練されたかのようにしなやかに静かに一歩一歩運んでいく。
昔はこういうのも好きだったんだけどな。
理想の探偵にも、理想の警察にもなれない現実との乖離から、いつしか俺が馬鹿にする側に回っていた。本当になんでだろうな。
「……なあ、ペルさん。アンタこの街詳しいのか?」
「どうして?」
「あの人がどこに向かっているのか、大体わかるんじゃないかって」
公園から街の繁華街へと進み、男は時たまに立ち止まって周りをキョロキョロ見回す。もしかしたら俺たちの気配が悟られたのかもしれないし、単純に怪しい人なのかもしれない。
例えばこの街に踏み込んではいけない裏の領域、なんてものがあったら俺はペルさんを引きずってでも帰るつもりだ。いくらいつ死んでもいいと思える人生でも、楽に死ねたらラッキーな世界には入りたくない。
「……残念だけど、ボクがこの街に来たのが2週間前。しかも公園にしかいなかったからね。でも未知の地で探検&追跡って燃えるでしょ?」
言われてみれば心なしか身体が熱い。何か忘れていた感覚がポッと燃え上がってきたのだ──これはきっと羞恥心だ。本当に穴があったら入りたいもん。
そろそろアラサーの男がマジで何やってるんだ。
「……やれやれ」
「動いたっ。行くよ?」
人差し指と親指でピストルのポーズをして電信棒に隠れていたペルさんは、肩越しに男が歩き出したのを確認して、俺にハンドサインで『GO』を出す。
「はいよ──あ、なんかあの人買うぞ」
如何にも怪しい黒ずくめはタピオカミルクティーの屋台の前で立ち止まると、財布を取り出してそれを一つ購入した。
不健康そうなナリからは想像できない可愛らしい趣味に少し顔が緩む。
「怪しいね」
「はぁ」
しかしペルさんは険しい表情を変えることなく、何かに勘づいた風に男の動向を見張る。
「まさか。あのタピオカに何か秘密が隠されているのかもしれない」
「……秘密って例えば?」
問うと隣の名探偵は一度目を瞬かせた後、澄ました顔で言う。
「え、っと。無粋な詮索はよしたまえよ、お兄ちゃん。……とにかく重要なのはボクがあの妙な液体をチェックしなければ──」
「──買えばいいんだな?」
──コクコク。ペルさんはシリアスな雰囲気を崩さずに何度も頷く。
素直に飲みたいと言えばいいものを──別に回りくどい手法を取らずとも元々そういう条件で契約してるんだし。
それでも尾行というロールプレイングの中で、彼女は何とかキャラを保とうとしているのだ。またハンドサインで『GO』を出してくる。
しゃーねーな。付き合ってやるか。黒づくめの人には悪いけれど。
「すいません、2つください」
話しかけながら”俺たちは周りからどう見られるのだろうか”なんて思った。年が離れた仲のいい兄弟に見えるだろうか、恋人なんかにはみえないだろうし、クライアントの関係であると勘付く人は当然いない。
「いらっしゃいませ。えーっと、どの商品っすか」
髪を明るい色に染めた女子高校生らしき子がアンニュイに、不愛想で懐疑的な視線をもって接客する。
「どうするよ、ペルさん」
「……ペルさん?」
オウム返しで呟く店員の顔が引きつった。まあ弟にしろ妹にしろ怪しい。
タピオカミルクティーを購入するだけでこんなに肩身の狭い思いをしなければならないのか。嫌な世の中だ。
「さっきの人が頼んでたやつでお願い、お兄ちゃん」
「お兄ちゃん?」
「え、いや、あのー。それ。……ください」
消え入る声でタピオカ抹茶ミルクティーを指さしオーダーした。
俺は何も悪いことしてないのに、とんでもない犯罪に手を染めているような気がしてならない。10年前なら俺だって──それでも高校生か。
「ホシが逃げるよ。早く行こっ」
作り慣れているのか手際よくサーブされたカップをペルさんに渡し、後ろ指をさされた気分でタピオカの屋台を後にする。
タピオカまで嫌いになりそうになったわ。タピオカは悪くないけど。
しかも店員も別に悪くないってのが──世間一般の考え方をしてるってのが本当にタチが悪い。じゃあ悪いのは小さい子を連れた俺みたいじゃないか。客観的に見たらそうか。まだ一回りか二回り若いと勘違いしていた自分を律した。
太いストローからドリンクを流し込むと、小さな屋台にしてはかなり口に合い、それが何故か腹立しい。残暑に晒された体に染みる。
「いやー、尾行が無ければタピオカ全種類コンプリートも乙なアイデアだったね。しかし流石に現場はそんな甘くないってか? ──ミルクティーだけに」
──ニヤリ。
甘々のタピオカネタをかまし、ペルさんは上機嫌でそれを飲み込む。
「別に甘いことはミルクティーの必要条件じゃないぞ」
「……それもまた人生だよ、お兄ちゃん」
「人間の言葉を話してくれ、神様」
餃子屋の『営業中』と書かれた看板は詰めて屈めば、前を歩く黒づくめからは何とか身を隠せる。ただし、黒づくめ以外からは格好の的になっていた。
しかし意にも介さずぺったんこな胸元からペルさんは、拳銃を取り出すジェスチャーをして照準を黒ずくめに合わせる。そして、発砲。
「ばん」
容疑者に発砲するとはどこの法治国家だと思ったが、なんとその黒ずくめは俺たちに背中を向けたまま──右に一歩ずれた。
「避けられたっ?」
「……失礼すぎるだろ」
見ず知らずの人に背後から指鉄砲とか、いくら中学生でも怒られるよ。
「ホシは中々のやり手だね、骨が折れるヤマだ」
「そうかい。さっさと行くぞ」
「……待て、今出たらマズい。それに──」
「今度はなんだ」
黒ずくめの行脚は気が遠くなるほど遅く、時折周りをキョロキョロと見渡す。普通に看板から出て追いかければすぐに追い越してしまうだろう。
普通に「iPadを知りませんか」と聞けば済む話なのだが。
「──この餃子屋、何か怪しくないか?」
何も怪しくねえよ。そう思いながらも、俺は店員に「餃子10個、持ち帰りで」と言った。また店員は俺に訝しげな顔をした。
強いて言えば、俺が怪しいんだよな。
**********
果たしてグダグダな追跡はグダグダな結末を迎える。
タピオカ、餃子、台湾カステラetc…。尾行をしながらデートをしているのか、デートのついでに尾行をしているのか、途中から俺は目的さえ忘れていた。まあ、楽しかったよ。
「……マジかよ」
紆余曲折を挟みながら男の最終地点はなんと──交番だったのだ。
男がiPadを鞄に入れたのは事実で、しかしただ拾得物を警察に提出したというだけのオチであったのだ。いや、尾行までして本当に申し訳ないと思ってます。
反省顔の俺に対してペルさんはにんまりとしていた。
「『真実は小説よりも奇なり』ってね。作家なら覚えておいた方がいいよ」
「いや知ってるが」
そもそも物語をややこしくしたのがペルさんだろうが。
最初から話し掛けておけばよかったものを。
「なあペルさん。本当はハナからiPadとかどうでもよかったんじゃないか?」
分かり切った答え合わせ。
「うん、まあそうだね。失くしても、お兄ちゃんに頼めば買ってもらえるし。ほら、スウィッチみたいに品薄じゃないでしょ?」
「やっぱりな」
「バレちゃったか」
アハハ。と照れくさそうにペルさんは笑う。
だから俺らが公園についた頃にはもう、スマホとiPadが消失していたとしても、彼女は「これは事件の香りがする」などと言い出して、結局探偵ごっこが始まっていたのだろう。
アハハ、これにて一見落着。と車へ引き返そうとした時だった。
「──坊主。もしかして俺の顔に何かついてたか?」
音もなく、後ろから低く冷たい男の声が俺を呼んだ。
死線を潜り抜けて来たような、何度も地獄の底を見てきたような、冷徹で底冷えした地鳴りのような音質が、しかしはっきりと俺に呼び掛けている。
ロボットの挙動のように首を回し、隣のペルさんを見ると彼女も頬をピクつかせて怯えていた。
「あ、なたは?」
「質問に質問で返すのは、命の儚さを知らない馬鹿のやることだ。坊主」
やはりというか、振り向くとそこには”親切な黒ずくめ”が立っていた。
彼が交番から出た後は目を離していたと言え、たかが数分だ。
……その間に気配を悟らせず俺らの後ろに回るなど常軌を逸している。
「あの、実は……」
「なんだ」
男は凄んですらいないのに、言葉は覇気に気圧されて中々飛び出てこない。
武器も持っていない、ペルさんを合わせれば2v1、交番だってすぐ近くにあるのに、どうしても勝てるイメージが湧かない。喧嘩をする気など更々ないが。
俺は一度呼吸を深くとってから、重役にプレゼンをする気持ちで声帯を震わせる。
「……あのiPad、実は僕達のものでして」
「うん。うん」
ペルさんは俺の主張に追随して頷く。
頼むから余計なことは喋らないでくれとペルさんに祈った。
少しでも返事を間違えたら東京湾の住人になるかもしれないのだ。
「……なんだ、そうか。それはすまないことをしたな」
しかし黒ずくめはすんなりと非を認め、殺気にも似た空間魔法を解く。
いやいや100%俺らが悪いんですけどね。
──とは言えなかった。
「あは、あはは」
代わりに乾いた笑いを返すと、あっさりと男は後ろを向いた。
「この街には踏み込んじゃいけねぇ領域ってもんがある。……二度目は、ないぞ」
肩越しに切れる目で僕らを制し去っていく黒ずくめが、交差点を曲がって見えなくなるまで、俺らは一言も発することができなかった。
ただ氷漬けにされたように、顔を見合わせて目をぱちくりとさせていた。
めでたし。
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