神様の値段
Bluetoothで流した3曲目が、サビに差し掛かった瞬間であった。
それまで初対面の人を車に乗せているということで、いつもより気を引き締め──気取ってハンドルを握ってはいたのだが、渋滞に捕まり閉鎖された空間で、しかもカラオケの十八番が流れ出した。
「OMOIDE IN MY HEAD♪」
俺は軽く頭を上下に振りながら歌を喉から飛び出させる。
やっぱり反響する閉鎖空間は最高だz──。
「──随分気持ちよさそうですね」
「OMぉ!?」
その時、見計らったかのようにむくりとルームミラーに映る『ペルセポネ』に、俺はハンドルを取られて車が滑る。
そこそこ新しい車が街路樹に擦るところだった。
「……あ、あの。騒がしくしてすみません」
彼の存在感は希薄で、呼び掛けた言葉がちゃんと届いているのか──一瞬後にはもういなくなってしまうかのようで不安になった。
完全な無音室で叫んだような、あるべき反響が見当たらない感覚。
「こちらこそ。迷惑をおかけしました」
「えっと。大丈夫でしたか?」
車には確かに2人いるはずなのだけれど──ルームミラーには映っているのだけれど、なんとなくぽつり虚空に喋っている気がして、僕は彼の存在を確かめるべく後ろを目視した。
いつものことなので。と彼は曖昧にそして無愛想に頷く。
「……それで。何があったのか訊いても?」
フードを被った奥の表情はルームミラー越しに伺えない。
しかしそのパーカーの汚れと鼻をつく悪臭は、窓ガラスを全開にして時速60キロメートルで走っても気になるほど。
平均的な少年はどぶ遊びでもしなければそんな汚れはつかない。
「何がですか?」
そう言って彼は首を傾げた。
とぼけているようには見えず、本当に自分の異常性が解っていない感じ。
『Persephone』の人間性どころか個人情報も、1つとして知らないけれど俺はなんとなく彼がそうだと臆見した。
「……いえ。なんでもないです」
「そうですか」
このまま宙ぶらりんの質問を投げていても、期待したような答えを得られないと思い、俺は前をじっと見据え運転に集中する。
「このまま、どこに行くつもりですか?」
幹線道路をあてもなくまっすぐ、大体我が家方面に向けて走らせていくと『ペルセポネ』はそう問うた。
俺もそれを訊きたかったところなので助かった。
「いえ。……どこか希望はあります?」
「だったら。マックに寄ってくれませんか?」
確かに、そろそろ飯時だ。
頬杖をついて外を見やる彼の提案に刺激された胃袋が、くぅと小さな音を鳴らし俺をその気にさせる。
「ええ。いいですよ」
大事なクライアント相手だ。普段より何倍も体裁よく、快く了承した時──。
「──助かります。ボク、もう2週間食べていないので」
お昼抜いて来ちゃったんですよ~。くらいのノリで彼は言った。
「……は?」
もうにしゅうかんたべていない?
意味が分からずブレーキペダルを踏みしめていると、後ろのトラックからクラクションを鳴らされ正気を取り戻す。
それでさっきまで気絶していたのかー。
ストーリーとしての辻褄は合うなー。
──いやいやおかしいでしょ。
ベランダでの一服さえ我慢できない俺にとって、2週間も生命維持に必要な食を断つという行為は、とてもじゃないが無謀だと感じた。
「あ、ハサミあります? ゴミ箱も欲しいです」
前後不覚、蛇行運転気味になっている俺に対して、『ペルセポネ』は何事もなかったかのように話題を変えた。
「ハサミですか? ……えっと」
信号待ちを見計らって助手席前のグローブボックスを漁る。
予備のライターに予備の煙草、雑多なビニール袋に高校まで使っていた筆箱。
果たしてその筆箱の中にハサミが入っていた。
「どうぞ」
刃の方を持って彼に渡す。
して、彼は何に使うのだろうか。
パーカーのほつれでも気になったのだろうか。
「どうもです」
恭しく受け取った彼は検品するように目と鼻の先でそれを眺め。
──ジョキンッ!
それから迷いなく横一文字に断ち切った。
「……っ」
彼の目にかかっていた長めの前髪を。
皮脂でべたついた黒い糸がゴミ箱へ落ちていき、俺はその様子を唖然として見ていた。またも後ろのワンボックスカーのホーンがけたたましく鳴り響く。
「すっきりしました。ありがとうございます」
急発進した車は常識さえも置き去りにしたのだろうか。
俺は黙って頷くのみで、何か感想を言う気分にはならなかった。
**********
幹線道路をひた走り、郊外に抜けるまで俺たちは何も語らなかった。
彼がまた口を開いたのは、マックのドライブスルーで注文を終えた時。
大量の注文に嫌な顔をされながら店員は品物を持ってきた。
「ところで『透明少年』さん」
「……なんでしょう」
これ以上ヒヤヒヤさせないでくれと思ったとて、『Persephone』は社会の常識くらい軽く超えてくるだろう。俺は身構えて対応する。
「そのビックバーガーを食べてしまう前に、ボクはお話しなければならない──」
テンションの浮き沈みさえも感じられない、平坦な口調で彼は言う。
「──今回の報酬について」
拍子抜けをした。
夕食くらい気にせずに奢られてくれればいいのに。
あんな非常識な行動に出ておいて、急に数千円のチンケなこと──ビックバーガー3個、ポテトLサイズ2つ、ナゲット4つ、炭酸ジュース、スムージー程度にまで気を配るとは。
……しかし大した出費じゃないけど食い過ぎだ。
そんな小さな体に入り切るとは到底思えない。
「当然、いくらでも払うつもりではいます。それに夕食くらいこっちが持ちますよ」
……流石に見栄を張りすぎたか。
200万などと言われたらかなりしんどい。
しかし……彼の”魔法”を間近で見たいという感情はプライスレスで。
損を割り切った諦観と、できるだけ損失を抑えたい欲望が入り混じった、なんとも微妙な表情をした俺に彼は告げる。
「いえ。──お代はいらないのです」
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