第2話 オレの名前は夢太

「――きろ。おい! 起きろ!」


 突如、夢太むうたの脚に衝撃が走る。柔らかい物と硬い物がぶつかった時の何とも言えない鈍い音がした。夢太は居眠りしてしまっていた。オフィスの丸い壁掛け時計は一五時三〇分を指している。


「五分か」

「五分か……じゃねーよ! サボってっと終わらねーだろうが。もう少しシャキッとしろよホントに」

「もう終わりましたよ」

「な!?  と、とりあえず寝るな! これだから派遣は」


 紺のスーツを着た上司の男が、溜息とともにブツブツと聞き取れない程の声量で離れていく。


 夢太は一〇階建てオフィスビル、五階の窓際に居た。机は寝るスペースを確保する為かの様に綺麗に整理されている。

 夢太は机に伏していた身体を起こし窓の外に視線を向ける。雪がチラつき、太陽が沈みかけていた。外は見るからに寒くコートを羽織った人が、白い息を吐きながら歩いていた。

 しかし、夢太の居るオフィスビル内はしっかりと暖房が効いている為、眠気を誘う暖かさだった。殆どの人間は上着を脱ぎ白いシャツの腕を捲っている、堅苦しい上司を除き。


「また十二月かぁ。アイツ等何してっかなぁ、後で電話してみるか」


 夢太は頬杖をつき、ぼんやりと外を眺めていた。今日も平凡な一日を終える。定職には就かず、頃合いを見ては職場を転々とするこの男。

 笹梁ささはり 夢太むうた 二九歳、独身・派遣社員。


「おい、まだ若いんだからな! 気持ちは……おっさんとか思った奴、でてこぃや!」


 夢太は右手拳を握り独り言を呟く。誰に向けた言葉であろうか……周りは気にしていない様子。自身の年齢を若干意気にしており、フラフラした生活も含め自問自答していた。


 髪はグレーアッシュ、短くもなく微妙に耳に掛かる長さ。トップから前方に髪の毛を下ろし、丸みのあるシルエットはマッシュルームの様。

 左耳には星形の白色と黒色のピアスが一つずつ。首には女性が掛ける細身で華奢な金色のチェーン、星型のトップは小振りである。

 奇抜だが自分なりに人生で一番輝ける、輝いて死にたいという願掛けを星に込めている為、彼なりの譲れないスタイルだった。


 身長は一七四センチと低くは無いが、体重六〇キロという軽さ。筋肉は通常生活を送る上での最低限のレベル、細身の身体は女性も羨むスタイルだが勿論夢太は男である。本人からしてみれば悩みだった。周りの男性は皆ガッチリとした筋肉、腹回りには肉の付いた者もいる。

 夢太は太れない体質なのかいくら食べても変わらなかった。しかし当の本人は、体格に関しては諦めてかけていた。


 夢太は上司に起こされたものの与えられた仕事は既に終えている為、する事が無くただぼんやりとしていた。

 そうこうしている内に終業のベルがオフィス内に鳴り響く。このベルは大半の人間が今から残業なのか、いつ帰れるのかなどと溜息を付くものだった。誰も席を立つ様子は無く、ひたすらにパソコンに向かう姿と未だに鳴り止まない社内電話。


「よし、今日も終わった! 久々に懐かしい面々に電話でもしてみよっと!」


 丁度スラックスの右ポケットに入っていたスマホがリズミカルに振動する。


「ん? あああ!!!!」


 画面に表示された名前は「くぼ 健人けんと」。すぐさまスマホの画面をスワイプし電話を取る。


「ひっさしぶりぃいい! 丁度電話かけようと思ってたんだよ! どうだい、最近の調子は!」


 まだ終業のベルが鳴ったばかりのオフィス内で、周りを気にする様子の無い声で会話を始める。痛い視線が周りから注がれている事に気づいてはいるが気にする様子は無い。しかし、一応少なからず良識ある行動を心掛けてか、場を改め廊下に出て会話を続ける。


「おう偶然だな! リ、じゃ無かった夢太! こっちは相変わらず大変よ! んでそっちはどうなのよ」

「んま、相変わらずかな」


 電話越しからは、なんとも歯切れのよいイケメンボイスが聞こえてくる。夢太は当然の様なやり取りに慣れた口調で返した。


「まぁそうなるわなー、ハハハ!」


 健人の高笑いが頭に響く。


「それはお互い様だろうが! なーなー、またみんなで集まろうや! 美味い飯でも食いながらさ! 健人、幹事頼むわ!」

「あーそれな。今年中は無理かもしれねぇなぁ」

「いつでもいいっていつでも」


 仕事をすると皆忙しい病にかかる、都合のいい言い訳だ。しかし、夢太は健人がそんな人間ではないと分かっている為、気にせずに話を続ける。


「また前みたいにみんなの顔見ながら美味い飯を食いたいぜ……」

「そうだなぁ……懐かしいな。いずれまた会えるさ! 会えない距離じゃないからな。っとすまん! 合間の電話だったから切るわ、忙しいもんで! またな! ヒッヒッヒ!」


 からかい半分の変な笑い声と共に、一方的に電話を切られてしまう。明るい声がプツリと途絶え、電話越しには空しい終話音。どこか寂しさが込み上げる思いの夢太だった。


 夢太は退屈な日々に嫌気が差してはいるものの働かなければ食っていけない、そんな現代では当たり前の事がジレンマだった。


「いっそオレが社長にでもなりゃ好き放題お金がっぽがっぽ! 女の子も寄ってたかってウヒョー! な人生が送れるのになぁ……」


 まあ無理であろう、努力もしていなければ起業する勇気も気力も無い。

 ただ、何故か稀にみる仕事が出来る人間。行く先々の会社では職種問わず難無くこなし、逆に指摘・助言もしてきていた。だが派遣社員だからと、上から目線でどうのこうのと怒鳴られ、そんな日々が鬱陶しく退屈に感じていた。

 自分の才能ってなんだろうかと、ふと思うが自分探しなどと旅するのは馬鹿らしい。ヤル気になればできるが面倒臭がりな性格の為、俗に言う宝の持ち腐れだった。


 しかし後に起きる出来事が、夢太の人生に大きく影響する事となる。

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