1パート:ヨウコソ、ヨサコイ!

第1話

 夜の体育館、と聞いて連想するのは、学校の怪談みたいな怖い話かもしれない。

 だが、僕の目の前に建つ体育館からは明かりが漏れ、楽し気な声も聞こえる。

 四月最初の日曜日、僕はよさこいチームの練習の見学にやってきたのだ。



 「よかったら、いかがですか?」


 さくらまつりのパレードを見送る僕に声をかけてくれたのは、片手にビラを持ち、もう片手は小さな男の子とつないでいる女性だった。親子連れだろうか。


 「あ、ありがとうございます」


 受け取ったビラには『よさこいチーム花々重はなぶたえ、メンバー募集中!』と大きく記されていて、その下には練習場所とか日時とかが書かれているようだった。

 親子が着ているTシャツの胸のところには、さっき拾った楽器に刻印されていたのと同じロゴが入っていた。文字はここにも『花々重』とある。チーム名なのだろう。


 「すごく真剣に見てたから、興味あるかなと思って。気が向いたら遊びに来てね」


 そう言うと親子はパレードについて行った。ビラを読んでいた僕は父に肩を叩かれて、店番に戻ることになる。


 「何やってんだ、お客さん取られちまうぞ」

 「ごめん。……あのさ」

 「どうした」

 「おれ、ここ行ってみたい」


 そういってビラを見せると、父は一瞬驚いたようだったが、やがてニッと笑った。


 「よくわからんが、やりたいことがあるのはいいことだ。失礼のないようにな」

 「ありがと!」



 体育館の扉に手をかけると緊張に襲われた。この扉の先には、知らない人がたくさんいて、知らない世界が広がっている。新しい出会いは中学生になったときぶりだ。

 ふと練習に行きたいと言ったときの父の表情を思い出した。なぜか嬉しそうだった。ずっとダラダラしてた僕がやる気を見せたからかもしれない。

 そう、この扉の先は僕が見たいと思った世界なんだ。

 グッと力を込めて扉を開ける。光が僕の足元に広がる。


 最初に目に飛び込んできたのは、踊っている人、人、人。


 あれ、まだ練習時間じゃなかったよね? と思って体育館の時計とビラの練習時間を見比べた。まだだった。キョトンとしている僕をよそに踊りは続いている。とりあえず話しかけられそうな人を探す。

 壁際に沿ってフロアの端を歩いていくと、パタパタと足音を立てながら女の人が来てくれた。


 「こんばんは! 見学ですか?」

 「あの、これ見てきました……」


 持ってきたビラを見せると、本当に来る人いるんだ! と驚いていた。ハキハキとしている元気な人で、うたのお姉さんみたいだな、と思った。

 

 「はじめまして、橋口桃はしぐちももって言います。セーラっていうあだ名だから、君もそう呼んでね!」

 「……吉岡咲万よしおかさくまです。よろしくお願いします」


 不思議そうにしている僕を見て察したのか、セーラさんは僕が聞く前から付け足した。


 「あのね、チームではみんなにいろんなあだ名をつけてるの。だから私もセーラって呼ばれてるんだ。君にも何かあだ名をつけないとね」


 そういうシステムなのかと僕がとりあえず納得したところで、セーラさんは次の話を始めた。チームの説明係を任されてるようなので、空気を察するスキルが高いのかもしれない。


 「私たちは『花々重はなぶたえ』っていうよさこい踊りのチームで、いつもはこの白砂しらすな小学校の体育館で練習してるの。メンバーは鳴浜なるはま市の人が多くて、踊り子は小学四年生から五十代ぐらいまでいるよ。お手伝いしてくれるメンバーはもっといろんな年代の人がいるけどね」

 「そうなんですね。僕は三坂みさか市から来てるんですけど、そういう人は少ないんですか?」

 「三坂から来てる人はいまいなかったと思うな。でも最近は県外から踊りに来てる人もいるし、全然気にしなくても大丈夫」


 僕の地元は三坂市といって、練習場所の体育館がある鳴浜市の隣町だ。

 鳴浜市に県外から行くと電車で一時間はかかるはずだけど、それでも踊りに来る人がいるんだな。

 

 「練習時間は十九時からだったと思うんですけど、今日は練習時間が早まったんですか?」

 「あー、別にそんなことはないんだけど。みんな踊るの大好きだから、体育館が開いたらすぐ踊り始めちゃうんだ。ごめんね、びっくりしたよね?」

 「いえ、楽しそうでいいなって思います」


 そう、楽しそうなのだ。

 説明してもらってる横でもたくさんの人が踊っているが、みんな目が輝いていて、自分も中に入りたいと思わせるものがある。

 踊りを眺めていたところで、はたと気づく。


 「そういえば、あの楽器みたいなものは持って踊らないんですか?」

 「楽器……鳴子なるこかな? いま流れてる曲は『さがみはら』っていう鳴子なしでも踊れる曲なんだ。吉岡くんはよさこい踊りは知ってる?」

 「えっと、なんか聞いたことはあるなってかんじです」

 「ぜんぜん大丈夫! よさこい踊りにはいくつかルールがあるんだけど、そのひとつが鳴子を手に持って踊ることなの。花々重に入ったら、よさこい踊りのことも覚えていくと思うよ」


 踊り子さんが両手に持っていた楽器は鳴子というらしい。よさこい、鳴子、いろいろなものに名前があって、ルールがあるんだなあとしみじみしていると、セーラさんからも質問してきた。


 「吉岡くんは年いくつ? 未成年だとは思うんだけど」

 「十五です。もうすぐ高校の入学式です」

 「やっぱり! 三坂の子なら高校も三坂高校?」

 「いえ、鳴浜高校です」

 「えっ、めずらしい……ていうか、と同じだね! これはあの子も喜ぶぞ」


 そういうとセーラさんはいきなり「みんなー! 集合ー!」と叫んで、メンバーを集めだした。踊っているみんなが一斉にこちらを向き、曲が止まる。

 あたふたしている僕をよそに、手招きしているセーラさんのもとにみんなが集合した。

 ざっと五十人ぐらいはいるだろうか。お祭りでビラをくれた親子もいた。思い思いに話す人たちの中で、じっと僕に向けられている視線に気づく。


 僕を見ていたのは、さくらまつりで鳴子を渡した、あの女の子だった。


 お祭りのときとは違ってもちろん衣装じゃないし化粧もしていないが、そのぶんなんというか、同じ人間なんだという実感がわいた。

 髪はくくっていて、恰好はカジュアルな運動着。大きな瞳に惹きつけられるのは、きっと僕だけではないはず。

 バチッと視線が合ってしまって焦る僕に対し、彼女は事もなげに隣の人とお喋りを始めた。向こうからすれば、僕は観客のひとりにすぎないのだろう。

 

 今日は見学者さんがいます! とセーラさんが言うと、パチパチパチ、と拍手が起こった。とりあえず歓迎されているらしい。


 「じゃあ、自己紹介をおねがいします!」

 「三坂市から来ました、吉岡咲万です。春から鳴浜高校一年生です。よろしくお――」

 「えーっ! 鳴浜高校!?」


 叫びながら女の子が立ち上がった。あの子だ。目を丸くして驚く様子に、周囲から笑い声が起きる。


 「驚きすぎ~」「ほら、困ってるじゃん」「あんたも自己紹介しなよ」


 周りに促されてハッとしたあの子も名乗る。


 「あ、えっと、るいかです。南条涙花なんじょうるいか。春から鳴浜高校一年生です……へぇーっ、めっちゃうれしいー!」


 ものすごい喜びようのあの子、南条さんの様子に、また笑いが起きる。


 「うちのチームにはね、中高生が少ないの。だからはしゃいでるのかな」


 セーラさんがそっと教えてくれた。たしかに僕の中学でもよさこいを踊ってる人はいなかった。同年代の人がいない中で踊るのは、楽しいだけではないのかも。

 そんなことを思っていると、セーラさんがハイハーイと手を叩いて話を戻す。


 「じゃあ吉岡くんのあだ名を決めるよー。アイデアのある人!」

 「はいっ!!」


 ビシッという音が聞こえそうな勢いで南条さんが手を挙げた。

 ……いったいどんなあだ名をつけられるのだろうか?


 「ヨシオカくんの名前はサクマくんだから、よさお!」


 ズテッと転ぶ音が聞こえた気がした。

 周りのみんながあちゃーという顔をしている。


 「出た……」「るいかのセンス……」「ドンマイ……」

 「えっと、あだ名には拒否権もあるからね?」


 心配してくれるセーラさんに南条さんが食ってかかる。


 「なんで!? よさこい踊る男の人がよさおってあだ名なのすごい運命だと思うんだけど!!」

 「あっ、僕は大丈夫です……よさおで」

 「ほら!」


 セーラさんは正式加入するまでは変更オッケーだからね、と言ってくれたが、実際僕は南条さんがつけてくれたあだ名なら別に問題ないと思っている。

 ……よさおはちょっとダサい、かもだけど。


 「じゃあ吉岡くんがよさおになったところで、練習始めよっか! 今日の練習は総踊りだから、よさおはわたしの踊りを真似してねっ」


 南条さんの号令で集合していたみんなも散っていった。練習は南条さんが回しているようだ。ひとりだけ特別なポジションで踊っているだけのことはあるのだろう。

 総踊りは、お祭り会場でいろんなチームが一緒になって踊る曲のことだよ、とセーラさんが教えてくれた。振付が簡単な曲が多くて、会場のお客さんとも一緒になって踊ることもあるらしい。

 

 「最初は『うらじゃ』からいくよー!」


 スッチャラカチャンと、お祭りっぽいリズムの曲が流れてきた。さっきの曲は速めのテンポだったので、踊りやすい曲を選んでくれたのかもしれない。

 振付はどう動けばよいかが、メロディーに合わせて歌のようにわかるようになっていた。右に回って、左に回って、手を肩や腰に置いて。初めて踊ったはずなのに、南条さんと歌に合わせていたら自然と体が動いていく。


 すると南条さんは突然僕のほうを向いて、右手で僕の左手を握ってきた。


 「えっ!」

 「ここはみんなで手をつないで踊る振りなの。ほら、あっちで呼んでるよ?」


 顔が熱くなる僕に南条さんは笑顔で教えてくれた。指さすほうを見れば、小学生ぐらいの子が空いた手を僕に差し出してくれていた。

 そういうことかと恥ずかしくなったが、南条さんと手をつないでいるのも事実なわけで。さっき会ったばっかりなのに、なんか……すごいな、と。語彙力を失ってしまうのだった。

 最後は全員で輪になって踊って決めポーズ。はじける笑顔の南条さん。

 今日のこともきっと僕は、生涯忘れないだろう。

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