ヨサコイ・ハートビート
tsk
オープニング
『鳴子両手によう踊る――』
響く歌声を遠くに聞きながら、僕は満杯のビール樽をサーバーに繋いだ。
三月最後の日曜日、今年も開かれているさくらまつり。
僕が生まれる前から近所の桜並木の周りで続いているお祭りだが、最近ではすっかり有名になってしまい、カメラを手にした観光客でごった返している。
そんな観光客を目当てに立ち並ぶのが、あれやこれやの屋台たち。吉岡酒店こと我が家もご多分にもれず、酒とかジュースとかを売りに出しているのだ。
「人、多いな……」
ふと声が漏れた。ここ数年は部活の練習に行っていて手伝いには出ていなかったから、祭りの盛り上がりは想像以上だった。
今年は部活はない。それは僕が高校生になったばかりで、入学式もまだだということもあるが、来年も再来年もやっぱり部活はないだろう。
燃え尽き症候群――十五歳の分際でなんだと言われるかもしれないが、燃え尽きているのは僕だ。やる気がどうにも出ないんだ。
僕のあまりのダラダラぶりを見かねた両親に今日は駆り出されたわけだが、なるほど体を動かしていると気がまぎれる。
でも、祭りはたまにしかないから祭りなわけで。これから始まる高校生活という日常をどうやって生き延びていくのか……考えるたび、憂鬱になる。
『よっちょれよ、よっちょれよ!』
ひときわ大きな掛け声に思わず顔が上がる。ちょうど目の前をスピーカーとマイク片手のおじさんが載った軽トラが通り過ぎていくところだった。
さくらまつりでは通行規制をかけた道路でのパレードもやっている。桜並木を両脇に踊れるということで、こちらも最近は踊り子やカメラマンが県外からも集まるようになってきているらしい。うちの屋台にもカラフルな衣装やメイクの人がたくさん来ていた。
四月の初めとはいえ陽ざしは強く、この中で元気よく踊るのはそれなりに体力を使いそうである。実際、汗だくで財布を握りしめてやってくる人も多いが……だいたいみんな、楽しそうなのだ。
こんなに笑ったの、最近あったっけ……そんなことを考えながらお釣りを返そうとしたが、目の前のカメラマンとは目が合わなかった。カメラマンはパレードのやってくる方向に上体ごと視線を向けている。
あの……と声をかけそうになったところで気がついた。
静かだ。
さっきのパレードの音はまだ響いているし、人の話し声も聞こえる。ただ何というか、音が秩序だっている気がした。注目のベクトルが、カメラマンの視線の先に集まっている。たくさんの人たちが次のパレードを待っている。
瞬間、満月が桜並木を照らす中、ひらり飛び交う数多の蝶――
はっ、と辺りを見渡せばもちろん真昼間のお祭り会場、つまりは僕の錯覚だったのだけれど、本当はさっきの光景が現実だったんじゃないかと思えてしまうような踊りが繰り広げられている。
大人も子どもも、女の人も男の人も、背の高い人低い人、がっしりした人スレンダーな人、踊っている人の見た目はバラバラなのに、踊りのタイミングは滑らかに揃っていて、パレードの列全体が一つの生き物のように歩みを進めていく。
蝶を模しているのだろうひらひらとした衣装は、四列が薄桃から濃紺へとグラデーションしている。
ほぅ……というため息がそこかしこから漏れている。圧倒されているのだ。このお祭り会場すべてが、目の前のチームのものになっているかのように。
「お、お釣りです!」
いてもたってもいられなくなった僕は、相変わらず上体が九十度ねじれているカメラマンの手のひらにお釣りをねじ込むと、人並みをかき分けて、パレードと観衆を隔てている縁石の上のスペースを確保した。どんな人たちが踊っているのか、間近で見たくなったのだ。
そうしてパレードが目と鼻の先になったところで、さざめきのようにシャッター音が連続した。
隊列は大半が通り過ぎている。ここまでは四列だったが、最後尾、道路のセンターラインを踏みしめながら一人踊っている女の人がいる。一眼レフの長いレンズが、一斉に照準を合わせた。
この目で初めて彼女を捉えた衝撃を、僕は生涯忘れないだろう。
真紅の衣装を身に纏い、しなやかに舞い踊る。目の縁に引かれた朱が際立たせる表情は、幼いようにも、ずっと年上なようにも見える。
曲に合わせて踊っているのではなく、曲が彼女の体を動かしているよう――そう思わせているのは、両手に持っている楽器のようなものから響く音だった。曲と完全に一体になっているのだ。シンプルな打楽器に見えるのに、一打ちごとに異なる音色を奏でている。
見蕩れていた。彼女のあらゆる動きから目を離せない。
非日常の中の非日常。
春の霞も相まって、この世のものではないものを見ているような気持ちになっていく。
その時、ごう、と風が吹いた。
桜吹雪が舞い上がり、感嘆のため息は歓声に変わった。
カシャン、と足元で音がした。
見ると、三本のバチみたいな棒がついた、しゃもじのような楽器が落ちている。
拾い上げて見ると、しゃもじの裏は平面で、何やら文字入りのロゴが刻印されている。
「すみません、ありがとうございますっ」
はっと顔をあげると、さっきまで一身に注目を集めていた女の人が、僕から楽器を受け取ろうと手を差し伸べていた。
人を超えているとすら思えた彼女の表情は、なんということはない――屋台にジュースを買いに来たような、心の底からいまを楽しんでいる、僕と同年代の女の子の微笑み。
高校生活をどう生き延びようか。ほんの十数分前まで凍り付いていたはずの僕の心に、春一番が吹いている。
再び歩みを進める彼女の背中を見送りながら、僕は顔が熱くなっているのを自覚した。
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