天狗の娘 霧晴れる

「うそっ!そんなのうそっ!だって…わたし…でも…だって…」

 怜悧は胸にけだまを抱きしめた。

 クウン。

 けだまが鳴いた。

「間違いない。林斎天様の面影と匂いがする。それに、あらゆる事柄が、完全に混じり合っている。あなた様は、天狗の一族の血を引いている」

「それって…ああ…でも…やっぱり…」

 怜悧は何か思い当たるのだろうか。

 顔を上げて、霧の中、家があるであろう方向を見つめた。

「羽野島」

 霧の中から声がして、音もなく膳棚と月寒が現れた。

「おお。どうであった?」

 羽野島の問に、膳棚が甘い声で答えた。

「うん。駄目だね。黒蓑は皆殺られてる。この霧じゃ無理もない。存分に舞えもしなかっただろうによく戦ったよ。古閑太達は、人里との境界で折り重なる様に死んでいた。そこは守り抜いたらしい。河童共は退いた様だ。おそらく六千坊のものらしき大きな足跡もあったが、途中で退き返している

「そうか…では、人は攫われていないのだな」

 羽野島の問に、今度は月寒が答えた。

「それはどうかな?そこの女の親かどうかは分からねえが、人の血はあったぜ?2人、ってところかな。死体はないから、大方やつらに持ってかれたんだろう」

「迷い込んだか…」

「ああ。この霧の濃さじゃ人間も迷いこむさ」

 ん?

 人が死んだ?

 2人って…信之おじさんと泰子おばさんかもしれないし、家の親や、岩舘と赤坂、茉優とその友達かも知れない。

 ボクは事も無げに言う天狗達を、呆然と見た。

 早く帰りたい。

 今日初めてそう思った。

「ねえ。帰り方を教えて」

 以心伝心。

 怜悧が言った。

 クウン。

 けだまが鼻を鳴らした。

 ワオーン。

 遠くで犬が鳴いた。

 天狗達は空を見上げ、視線を怜悧に移した。

「怜悧殿」

 天狗は怜悧の問にすぐには答えなかった。

「…何?」

 怜悧が冷たく返事をした。

「あなた様も、もうお分かりのはず。あなたが人の子では、いや、只の人の子ではないと。どうか、このままお山に来ていただけませんか?」

 3人の天狗は、示し合わせたように地面に膝を着いた。

 生意気そうな月寒までも。

「いや」

 なんの間もおかず、怜悧は答えた。

「しかし…」

「やめて。わたしは…お父さんとお母さんの娘。羽陽怜悧。お願い、もう家に帰して」

 きっぱりと言い切る怜悧の口調の強さに、天狗達は顔を見合わせた。

 ワオーン。

 再び遠吠えが聞こえた。

「おまえなあ!」

 立ち上がって怜悧に詰め寄る月寒を、羽野島が片手で制した。

「分かりました」

「羽野島!」

 膳棚と月寒が同時に叫んだ。

「いいから言う事を聞け。林斎天様の血を引くならば、我らが主。その言を聞かぬことは有り得ぬ。また、そうでなくては我らがお探しする方でもない」

 膳棚と月寒は、顔を見合って引き下がった。

「怜悧殿」

「はい?」

「もうすぐ霧が晴れ、我らは御山に帰らねばならぬ。一度この姿になると、人界へは出られぬのです。それゆえ今日は下がります。しかし、我らにはあなた様が必要です。これは、人の世にも関わること。因果を含めに再び参ります」

 怜悧が首を傾げる。

 ボクも、羽野島が何を言っているのか、全く分からなかった。

 羽野島はボクらの表情などどこ吹く風で、懐から何かを取り出した。

 それは、鈍く輝く銀色の細長い筒だった。

「これは、神楽の笛。霧の中でも良く響きます。これから先、水神の眷属に襲われたらこれを吹いて下さい。相手によってはそれだけで退くでしょうし、そうでなくても我らが眷属が、笛の音を頼りに参ります。どうかお納めください」

 羽野島が差し出した笛を、怜悧は右手で受け取り、一度眺めると、こくり、と頷いた。

 怜悧が頷くのを見て、羽野島も大きく頷くと、今日初めて、ボクに向かって話しかけた。

「人界においては、我らが主の子を頼む」

 ボクはなんだか胸が熱くなって、衝動に任せて2度頷いた。

「行くぞ!」

 羽野島は高下駄で地面を蹴りつけると、霧の中に向かって飛んだ。

「それではまた」

「あばよ」

 膳棚と月寒が後を追って霧に消える。

 ワオーン。

 犬の鳴き声がはっきり聞こえ、風と共に霧が動くのが分かった。

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