現人神対英雄Ⅳ
それはもう、誰にとっても見たことのない戦いであった。尋常ならざる身体能力と共にネーデルクスや様々な人物などの武芸を取り込み、それを巧みに操るウェルキンゲトリクス。それに応じるは完全に後手を踏んでいるにもかかわらず、誰がどう見ても相手を圧倒し、制圧し続けるシャウハウゼン。
力が迸る。技が冴える。
「いいぞ。あるじゃないか。かなりの技が!」
「牙ァ!」
「ふはっ!」
下段からの切り上げ、から手の内を返し切り落とす、虎の牙。ティグレから喰らった技を、身体能力が限界を超えた状態でこなす。
シャウハウゼンは笑いながら一段目に槍の穂先を当て、その勢を利用し旋回、上段からの切り落としに応じた。
元はウェルキンの攻撃である。当然、威力は拮抗する。
「ぐっ⁉」
「御師様なら――」
「おお!」
「ああ、そう繋げる」
そこからの攻防もまた珠玉。すでに聖ローレンス勢はレベルの高さに振り落とされてしまったが、ネーデルクス勢は何とか練達の者たちに限るが、その戦いを見つめることが出来ていた。超速の中に在る絶技の数々。
ウェルキンゲトリクス自体が凄まじいのだ。力はもちろん、あれだけの速度域で正確無比の技を繰り出し続けるのは達人のそれ。だが、もっと恐ろしいのは身体能力では全てに劣るはずのシャウハウゼンが、彼の猛攻を全て捌いているところ。捌くだけではなく、彼の攻撃を利用し、自らの攻撃に転化しているのだ。
労せず、悠々と、神の槍は獣の速度域で躍動する。
「……私たちすら、知らぬ閣下の、槍」
「遠いとは思っていた。だが、ここまで遠いのか、我々と閣下は」
「言葉が、無い」
ネーデルクスではいなかった。今のシャウハウゼンを引き出す者など。戦場にもいなかった。神の本領を引き出す者など。
今ここに至るまで、彼は本気を出せなかったのだ。
相手が、未熟過ぎたから。
「く、そッ⁉」
「まだわからないか? 極限の集中力、確かに深まれば深まるほどに技は冴える。だが、そもそも技を持たねば意味が無いのだ。引き出すモノがない引き出しに意味が無いのと同じように。そして多彩な技を持とうとも、その繋がりが美しくなければ技としては不完全。強さにも結び付かない」
「ほざ、けェ!」
速さが、力が、呑まれ、利用される。遠く、果てしない。その槍を前に全てが飲み込まれてしまう。まるで人が空に向かって足掻くような徒労感。
そんなわけがない。相手は人間である。
同じ人間。物理法則の中で生きる以上、絶対などありえない。限界がないこともまたありえない。如何なる工夫にも限界はある。
それなのに、
「君にはどちらも欠けている。技の数も、繋がりも、つまるところ、武への愛が欠けている。勿体無い。実に、勿体無い」
この男には底が、見えない。
「なら、流すのではなく受けてみろ! ご自慢の技とやらで!」
軋む身体、虚勢にもならぬ挑発を吐くしかない己の未熟さに、ウェルキンは顔を歪めた。我ながらくだらないことを言っていると思う。
これは真剣勝負。殺し合いなのだ。
こんな挑発、通るわけが――
「面白い。ならば、技の神髄をお見せしよう!」
「……な?」
「御望み通り、正面で受ける。どうした、来ないのか?」
「……優しいんだな、シャウハウゼン!」
「いや、私が試してみたいと思っただけだ。君相手でなければ試せないことが沢山ある。私もまた、私の底が知りたいのだよ」
槍のネーデルクスに生まれた突然変異の怪物。誰一人、師すらも及ばずにただ一人前進し続ける男は寂しげに笑う。本気で言っているのだ。
心の底から、今この瞬間だけは、ネーデルクスを背負う『白神』ではなく、ただ一人の武人シャウハウゼンとして戦う、と。
だから、試させろ、と。
「泣いても、知らんぞ!」
「泣かせてみろ」
十二分に距離を取り、大きく力を溜め、全身全霊、今までで最大の出力を解放する。目じりから、口の端から血が零れ、強く握り過ぎた手の内も血まみれ。
そこまで追い込んでこそ、出せる最大速力。
最大の力で繰り出すは――突き。
「……人の身で、よくぞ」
それに応じるは武神。彼もまた槍を携え駆け出す。感じるは人成らざる気配。こんな感覚は久方ぶりであった。どれだけの武人が、眼に見える絶対的な力の前に屈してきただろうか。足掻けども、足掻けども、生まれ持ったサイズの差、力の差を前に屈するしかなかった。弱き者のための武など誤魔化しでしかない。
それが現実。それが限界。
しかして――
「感謝する!」
武神はそれを否定する。言葉ではなく、行動で。
踏み出す足、大地の絶対的なまでの強度、広さ、利用せぬ手などない。ずっと考えていた。これをもっと上手く利用出来ぬか、と。
ずっと、ずっと、考え続けた。
そして今、必要を前に、
「君のおかげでまた一つ、技が積み上がった!」
結実。
地面を蹴った力、重心移動、力の流れを制御し、力を返すという発想。返し、より大きな力を引き出す。地面が、くぼむ。
この動きの名を武神は知らない。
知らずとも、これが最善であると導き出した。
「ふは」
されどまだ、足りない。武神は笑みを深める。ならば、足せば良いだけ。
足を使った。さすがに手を使うわけにはいかない。他に大地を使える物は、などと迷うことすらなかった。男には手足の如く操ることの出来る、もう一つの腕であり、足があったから。使うは当然、俺の槍。
己が足。槍の石突。同時二連。
この技を、東方では震脚、それに伴って生まれる力を発勁と呼ぶ。
しかし、東方で同時二連と言う発想はない。本場ですら誰も出来ない。そもそも誰もやろうとすら思わない。必要がないから、生まれない。
「こう、だ!」
必殺の突きが交錯する。
「おおおおッ!」
凄まじい威力同士の衝突。誰もこれが人間同士の放つ音には、聞こえない。目の前で見ていてもなお、信じられない。
とんでもない巨漢の怪物同士ではないのだ。
この場だけでも彼らより大きな武人はいる。だが、彼らのような力など間違っても出せない。あの場だけが異常なのだ。
彼ら二人だけが、今の時代に置いて突き抜け過ぎている。
「……く、そったれ」
打ち勝つは、武神。英雄の血統を、多くの経験を、彼らから全てを喰らい続けた飽食の獣を、武神のひと突きが吹き飛ばした。
絶対的な力が、至高の技を前に屈する。
「化け物、が」
この戦いでウェルキンは何度これを口にするのだろうか。今までで最強の相手だと覚悟はしてきた。これまでの相手も弱かったとは思わない。自分なりに多くを経験して、それを一切無駄にせず成長に使ったつもりだった。
それでも、笑えるほどにこの男は違い過ぎる。
「ぷ、ははは」
実際にウェルキンは笑った。一番重要なのは勝ち負け、そこがブレることはない。よく覚えていないが父の仇でもあるのだろう。しばらく育ててくれた男の仇でもある。だけど、やはり憎むよりも敬意が勝る。
人間、ここまで極められるものか、と。
「いてて。何度か繰り返せば、手の痺れで私も違えそうだが、どうする?」
「……違えない。お前はシャウハウゼンだからな」
「ふはは、敵の君が言うかね、それを」
ウェルキンは立ち上がる。今持てる全てを注ぎ、全てが飲み込まれた。今の自分では勝てないのだろう。勝ち目すらない。
だから、
「悪いがここからは、俺の持ち味を生かさせてもらう」
ウェルキンは『今』勝つことを諦めた。
「持ち味?」
シャウハウゼンの問いに、ウェルキンは笑みを浮かべた。
「体力だ」
紅き気配は鳴りをひそめ、蒼き気配だけが残る。シャウハウゼンは相手の力をも飲み込み、利用してしまう。ならば、今の状況で力は要らない。
一旦それをウェルキンは捨てる。
「また逃げるか?」
「ああ。この場で、な」
ウェルキンが見せる逃げの姿勢。先ほどまで攻め続けてきた男が、受けの姿勢を取った。身体もまた引けている。あれでは攻められない。
「面白い」
だが、眼だけは爛々とシャウハウゼンを見ていた。
「私を学ぶ気か。この戦いの中で。不敬だが、ふふ、嫌いではないよ、その眼は」
限界まで引き出させ、なお折れぬ心を前にしてシャウハウゼンは心の底からの笑みを浮かべる。いつもならずっと手前で折れているだろう。
ここまで力を示されてなお、折れぬ心に武神もまた敬意を持つ。
「学べるものなら学んでみろ。私は、手抜きせぬよ」
思い出すは子どもの頃。師に引き取られ、毎日ボロ雑巾のようにコテンパンにされながら、挑戦し続けた日々。全部喰らってやろうとする貪欲な眼は、その日の己を想起させた。その眼を向けられて初めて、武神は知る。
浮かべるは自分を転がす度に大笑いしていた虎の姿。生意気に悔しがる自分を見て、虎は千年早いといつも言っていた。笑いながら、嬉しそうに。
そんな師の想いが少しだけ――
(……貴方が笑っていた理由、今ならば少し、わかります)
折れぬ眼の、砕けぬ心の、なんと気持ち良いことか、と。
自然と、笑みが零れてしまう。
あの日の師と、同じものを。
その貌を見てキュクレインは愕然としていた。シャウハウゼンのあの顔を、キュクレインは初めて見た。ずっと見てきたのだ。隙あらば、隙無くとも、ずっと目で追ってきたのに、あの顔はない。あんな笑みは、なかった。
ネーデルクスでも、戦場でも、いつも彼の笑みには少しだけ陰があった。それが彼の笑みなのだと、キュクレインは思っていた。
だが、違ったのだ。
自分たちが彼の笑みを曇らせていたのだと、知る。ずっと彼は待っていたのだ。挑戦者の存在を。様々な試行錯誤をしながら、いつか誰かが追いついてくれることを、自分に喰らいつき、挑戦し続ける相手を、待ち望んでいた。
それがわかったから、わかってしまったから――
「……っ」
超大国ネーデルクス。名人ティグレに代わり柱と成ったシャウハウゼン。彼自身に将器がないわけではないが、彼本来の強みとは全く別のところで創り上げられた『白神』というブランド。野戦の勝率十割、凄まじい戦績である。
だが、そこに国家の意図が介在しなかったわけではない。国の柱となってからの彼に国は勝てる戦力を供給し続けた。中には不測の戦もあり、そこを器量で乗り越えたからこそのブランドではあるが、それでもそこには超大国の影がちらつく。
ネーデルクスだからこそのシャウハウゼン。超大国ゆえの神。端から勝てるわけがないと白旗を振る者がどれだけいたことか。超大国の戦力を率いる神相手、戦いにすらならなかったことなど腐るほどある。まあ、その辺りはまだ、シャウハウゼンも理解していただろう。飲み込めていたのかもしれない。
だけど、神を絶対視し、崇めるだけで追おうとも思わぬ国内の者たち相手には、失望が、絶望が、少なからずあったはずなのだ。神自身が隠していたところはあれど、兆しはあった。その理由に気づけなかったのは自分たちの失態。
彼の虚ろを満たせなかったのは、
「……わ、私、は」
信奉者でしかなかった自分たちの、姿勢の問題であった。
強い弱いではない。今の実力がどうこうではない。ただ、神はずっと待っていた。挑戦してくれることを。シャウハウゼンなど何するものぞ、そんな気骨ある者も求めていた。崇め奉られることなど、求めていなかった。
「俺はしつこいぞ!」
「ふふ、私もだ」
恥も外聞も捨て、ただ喰らいつく。あの眼を彼はずっと待ち望んでいた。皮肉なのは、それが国内ではなく国外の、しかも戦場とも呼べぬこんな場で、出会ってしまったと言うこと。それでも彼は笑みを溢す。
その笑みは、端から折れている者には、絶対に向けられぬものであった。
信奉者では絶対に本物には届かないのだから。
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