現人神対英雄Ⅲ

 ウェルキンゲトリクスは『背中』に刻まれた傷を確認する。それほど深くはない。ただ、今の流れで傷を負わされたこと自体が信じ難く、依然として嫌な汗が引く気配はなかった。今の自分に出せる最高速を、容易くいなされたのだ。

「……ウェルキン」

「……問題は、ない」

 聖女の零した声に呼応し、ウェルキンゲトリクスは立ち上がる。理解を超えた死角からの攻撃。正面衝突したはずなのにほとんど手応えがなく、代わりに背中へ傷を与えられた。完全に想定外である。何故、が全く分からない。

「まだ、だ!」

「そうだ。それでいい」

 ウェルキンゲトリクスは少し先ほどよりも速度を落としつつ、見ることに注力した。その潔い判断にシャウハウゼンは笑みを溢す。

「何を、したッ!」

「別に、大したことなどしていない」

 力を落としたとはいえ、速さも、力も、ウェルキンゲトリクスの方が上である。限界は超えている。普通なら絶対に追いつけない。

 受けを許さぬ力と捌きを許さぬ手数。

 それがあるのに――

「ッ⁉ そういう、ことか」

「そう。これが獣のあやし方、だ」

 シャウハウゼンは完全にウェルキンゲトリクスの攻撃を受け切る。いや、厳密には受けていない。相手の攻撃を受けた衝撃を、そのまま別方向に逃がしつつ、攻撃に繋げるという離れ業をやっていたのだ。先の攻防もそれ。ウェルキンの突進を受け流しつつ、槍を旋回させ背を向けたまま過ぎ去った相手の背中を切った。

 見切ってさえいればいい。力すら、要らない。

 相手の速さが、力が、そのままシャウハウゼンのモノとなる。相手が力めば力むほど、力を捨てて抜く。笑顔で、優雅に、獣をあやす。

「……化け物め」

 どれだけ己を、槍を、技を信じればこんな芸当が出来ると言うのか。ウェルキンの中に在った武の概念が歪む。自らの立つ場所とあの男との本当の距離、気付けば気付くほど、理解すればするほどに、離れていく。

「そういう輩が技をそのまま、と言うのは珍しい。大体が身の丈に合わぬ力を求め、何かしらの手段を以て限界を超えるものだが、薬も狂気もなく、当たり前のように踏み込むのは何かのギフトがあって、かな? どちらにせよそちら側ではつまらない。私も馬に乗っていれば、戦場であれば、後れを取る可能性もあるがね」

 ここは一騎打ちの場。誰の邪魔も入らない、純度一〇〇%の領域。

 武神は微笑む。ここはとても心地よい、と。

「ここならば私も、君も、ただ一本の槍に、ひと振りの剣に、注ぐことが出来る。素晴らしいだろう? 私は常々思っていたのだ」

 これが頂点。

「戦場には、不純物が多過ぎる、と」

 自分の土俵に引きずり込んだつもりが、そこが眼前の怪物にとっても心地よい領域であったと、ウェルキンは知る。

「さあ、存分に満喫しよう。純粋なる、武を!」

 澄み渡る空。今は夜であるのに、目の前の男からは蒼空を感じる。夜闇を裂き、世界を塗り潰すような青空。自分のそれとは深さが違う。

 そしてそれ以上に、質が違う。

「……これが、貴方の、色、か」

 集中の先、自分と世界の境界線が曖昧となる領域がある。それはウェルキンもまた経験済み。と言うか、今、シャウハウゼンに呼応し、引きずり込まれた。

「悪くない集中力だ。が、愛が足りぬよ。武への」

 ウェルキンのそれとは色が、違う。深さではない。単純に相手の方が深いが、本質はそこに無い。広く、澄み渡る彼の空。

 彼だけの、俺の、槍。

「来なさい」

 世界を塗り潰すほどのそれを前に、

「あああああああああ!」

 ウェルキンは自身の持てる全力を――最高の集中を以て蒼き領域へ。身体の保全を捨てた限界を超え紅き領域へ。同時に踏み込む。

 いや、踏み込まされた。

「素晴らしい」

 武神、微笑む。


     ○


 遥か東方、全てが寝静まる時間に一人の男が座禅を組んでいた。九龍の一員として卓越した腕を持ちながら、自らの技に今一つ確信が持てず、一人になるとこうして答えを探すように瞑想を続けていた。

 本当にこのままで良いのか。

 九龍の教えに疑いはない。だが、本当にそれだけが武なのか。

 未だ道半ば。先達からすれば迷う時間すら惜しい。功夫を積みなさい、と言われるのだろうが、果たしてそれのみで辿り着けるのだろうか。

 集中の先、世界に融けるほどの領域こそが至高。

 多くの武人が其処を目指し修行を積み、幾人かはそこに到達し、世界に融けて仙人と成った。もはや人の窺い知る領域ではない。画一なる究極、それを無価値とは思わない。到達者を素晴らしい武人であり、誇りにも思う。

 そこが究極なのだと、九龍の歴史も語っている。

 だけど、本当にそうなのか。

 人のままで究極を目指す道はないのだろうか。

 ずっと悩んでいる。

 ずっと答えを探している。

 されど、今の今まで見つからぬまま――

 その時であった。

「ッ⁉」

 空が、青く澄み渡って見えたのは。ただの錯覚と言えばそこまで。されど、確かにある。九龍が掲げる究極とは似ているが、全くもって別物の、人の到達点。

 男は遥か遠く、西の空を見つめる。

 深淵が横たわり、物理的な距離が全てを阻む。

 だけど、男の眼には見えた。

「……在るのか、そんな、道が」

 遠く西の果て、無間砂漠を越えた先に、武の神髄が、在る。

 夜空を塗り潰すほどの蒼空が其処に在るのだ。

 その日、男の人生は大きく変化した。そして彼が動かねば、その後に続く者たちも現れず、様々な歴史が異なっていたかもしれない。

 運命とは、ふとしたところで繋がっているものなのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る