完璧なる戦Ⅺ
「くっ⁉」
この戦場で初めてピノらは顔を歪めた。ここまで全てが想定通り、ここからの対応もシミュレート済み。だが、彼らの動きはその中に無かった。これほど早い突破は想定を上回っている。あのラロがここにきて初めて外したのだ。
「おい、不味いぞ!」
デシデリオが叫ぶ。そんなこと聞くまでもない。おそらく、この動き自体は急ごしらえなのだろう。連動出来た部隊はそれほど多くない。
だが、だからこそ厄介なのだ。
「どうする、ピノ⁉」
反応出来た部隊とそうでない部隊、この差によって味方だけではなく取り残された敵もまた壁となる。彼ら全てを対応して、抜け出た敵を追うなど不可能。
思考を張り巡らせ、ピノは歯噛みしながらも――
「……予定通りでいきましょう!」
それでも当初の目論見を優先させた。
「あん?」
「遅れた者たちを力で押し込み、戦術を完成させます」
「ラロは⁉」
「彼なら何とかするでしょう。それが出来る男です。薄皮ですが、仕掛けもありますし、突破されること自体は、『想定』通りです」
「この速さは想定してねえと思うけどな。まあいい。了解だ! 野郎ども、置いて行かれた哀れな連中をぶっ潰すぞォ!」
「応!」
エスタード右翼は当初の目論見を果たすため、力業での押し込みを敢行する。ここばかりは戦術もクソもない。
「ここやろ!」
突如、蛇のような男が剣を片手にピノの前に立ち塞がる。
「小賢しいッ!」
刃を合わせた瞬間、ピノは自分の方が勝っている感覚を得た。だが、圧倒できるほどではない。しかもこの男、この状況で一番やられたくないことを理解していた。時間潰し、である。この男、今まで目立って動きをしていなかったにも拘らず、ここぞと言うところで牙を見せてきたのだ。
「悪くないやんけ、ガリアスの盆暗共も!」
「退けェ!」
「退くわけないやろ、阿呆か自分」
期せずして生まれた勝機。部隊規模で成すには練度不足で、敗色をひっくり返すための賭け、のような局面になるまで使えなかったのだが、想像以上に上手くハマった。まあ、それも事前に備えていたからこその勝機である。
敗戦が、そこから得た悔しさが、ガリアスという群れを一段引き上げる。
蛇のような男、今はまだ百将ですらない、野盗上がりのディエースがエスタードの急所を穿つ。ここで停滞させることこそ、この場こそが勝負の綾。
○
中央を率いていたディノ、セルフィモはあまりにも早く抜かれたことに驚くも、彼らは微塵も迷うことなく自分の務めを果たさんとピノらと同じ行動を取る。考えないというのも使われる者の強さではあるのだ。考えないから迷わない。迷わなければ嫌でも早くなる。そして、その判断の早さは戦場において強さともなる。
ガリアスの群れとは対極の考え方。これもまた一つの答えである。
「押し込むぞ!」
「承知!」
「叩き潰せェ!」
「ウォォォオオ!」
やるべきことは、シンプルな力押し。
○
幾度も妄想した。可能な限り麒麟児の戦、その情報を集めさせて考えていた。自分ならばどう指すか、を。彼は部下を駒として扱う。腹心である『戦槍』でさえ、決め駒の一つとしてしか考えていなかった。そのソリッドな思考が好きだった。
互いにとって群れとは自身の延長線。思惑通り動く群れさえあればそれでいい。あとは知略の、戦場という盤面での読み合い、捌き合い。
これがしたかった。これをするために――
「感謝する、ダルタニアン。素晴らしい速攻だ。中央、両翼、抜け出た彼らもまた素晴らしい。精鋭中の精鋭なのだろう。ヤンという男が全体への浸透を諦め、一部だけに運用を絞った戦術を、これだけの規模で行えるとは」
ラロはガリアスを、ダルタニアンを、それに続く次世代の彼らを見誤っていた。自分が戦い、充足に至る可能性はここにもあったのだ。
彼らはきっとこの戦術を基本に組み込むだろう。そして、その対策で戦自体の模様も変わる。密集陣形よりも空間を使った陣形が組まれるようになるかもしれない。そうなれば、また其処を突いた戦術が生まれ、巡る。
この循環の中で戦は洗練されていくのだ。
「認めよう、ガリアス。だが、偶然では必然に届かぬものだ」
ラロはグレヴィリウスの兵士たちに眼を向ける。さすが地獄を潜り抜けてきた者たち、この状況でも動じていない。そして、元々捨てるつもりであった左翼以外は揺らがずに初志を貫徹している。これは、偶然と必然の差。
「君たちは少し、抜け過ぎた」
ラロは馬にまたがり、
「本陣を移動する」
「承知」
当初の予定通り、後退した。
「……退くか」
ダルタニアンは敵本陣の動きを見て目を細める。
「こちらの方が馬の質は良い。その差で、詰められる!」
各種兵装、鉄なども含めガリアスはガイウス指揮の下、底上げを幾度となく行ってきた。勝てぬ所に手を伸ばすより、勝てる部分を引き上げ差をつける。馬の足もその一つ、その分力強さを幾分か捨てることにはなったが、こういう追いかけっこでは速さが生きる。詰め切れるとボルトースは判断した。
ダルタニアンもそれに同意する。
戦力も、思ったよりも抜け出せた。これだけあれば精強なグレヴィリウス兵であっても、ラロの首を仕損じることはないだろう。
敵軍も置き去りにした味方が功を奏したのか、蹂躙されている者の足止めには成功している。勝った、戦況を見極められる者は皆そう思った。
ダルタニアンからすればラロを討っても引き分けでしかないが、ラロを討ち踵を返したのち、多くの若手を、チェまで討ち果たすことが出来れば、さすがに勝利と言っても良いだろう。その算段を立てながら――
彼らは緩やかな坂を上り、ラロが本陣として構えていたところに到達する。逃がしはしない。必ず首を取る、その硬い決意と共に。
そして――
「……え?」
その先に広がる光景に、ダルタニアンの思考が、停止する。
少し先に用意されていた伏兵、おそらく草木や大地にカモフラージュしていたのだろう。所詮は小細工、百人程度の集団でしかない。木で作られた柵も同様、騎兵に対する返しも付いているため多少厄介ではあるが、数の差を埋めるほどではない。
そこにラロたちは悠々と歩を進めていた。
陣地の規模は大したことがない。グレヴィリウスの兵士たちが加わったとて、あの程度の安普請、吹けば飛ぶのだ。ボルトースなどは考えることもせず、飛び出そうとする。あんな陣地、陣地とも呼べぬ薄皮一枚、一蹴してくれる、と。
だが――
「止まれ! ボルトース!」
ダルタニアンはボルトースを、抜け出してきた者たちを、止める。
歯噛みしながら、背後を見て敵の動き、その意図を解し、顔を歪めた。
「どうした、ダルタニアン! あんなもの――」
「グレヴィリウス兵が弓を持った。騎兵に対する最低限の備えもある」
「だからどうした! そんなもの吹けば飛ぶ!」
「容易いさ、あんな陣地の攻略など、普段であれば取るに足らない! 普段であれば!」
ストラチェスで言えば最弱の駒、兵士一枚の壁越しにラロが入ったようなもの。手数さえあれば絶対に詰む。薄皮一枚の壁しかそこにはない。
だが、だが、その薄皮が、越えられないかもしれないのだ。
隠しきれる最低限の陣地、その中央でラロは笑みを浮かべていた。殺意に満ちたそれは、本来彼らではなく、模倣した先のオリジナルに向けられるはずだったもの。考えていたのだ。ヤンという麒麟児の速攻に対し、どう切り返すかを。
そのアンサーが、これ。
「エスタードは全軍、おそらく取り決め通り策の遂行に動いている。包囲を完成させ、我々をせん滅するつもりだ。私たちはその時間を与えずに、ラロを討ち取れるはずだった。ラロに何の備えもなければ。ラロがもっと逃げていれば、そもそも包囲も果たされない。これしかないんだ、この手だけが、この状況における最適解。兵士の駒一つ、隠匿していたのはただそれだけ。ただそれだけの備えと――」
この局面で一歩、後退する。
最低限の備えによって抜け出した自分たちを受け止め、包囲完成まで底として機能する。被害は甚大ではあるだろう。皮一枚、もしかすれば勝機もあるかもしれない。包囲完成前に、ラロの首を取れる可能性も――
その希望的観測がダルタニアンを苛む。
「どうした? 何故足を止めている?」
歩兵であるアルセーヌたちも追いついてきた。彼らからすれば敵本陣の場所を得た途端立ち止まっている珍妙な光景に映っただろう。だが、その先の光景を見れば嫌でも絶句してしまう。あってもおかしくない仕掛けであった。
あったところで普段ならどうとでもなる仕掛けであった。
しかし、この盤面に置いてあの陣地は、ラロの備えは――
「ダルタニアン! ここまで来たのだぞ! 今すぐ攻め寄せれば届く! こちらはカミーユ様を討たれているのだ。ウジェーヌ様も、セヴランも!」
断固攻める、ボルトースは意思表示をする。容易い状況ではなくなったのは理解している。それでもあれが破れないとは思えない。ラロの首に届かないとも思えない。虎口に飛び込まねば虎児を得ることなど叶わない。
もう、攻め切るしか道はないのだと、ボルトースの眼が言う。
「おい、勝手なことを言ってんじゃねえよ、ボルトース。判断するのはお前じゃねえだろ。この場の指揮権はダルタニアンに移ってんだ」
ジャン・マリーがたしなめるも、
「この時間が無駄だ。時間が無いのであればなおのこと、即座に攻略すべきだ」
バンジャマンが弱気を切り捨てる。彼はカミーユと同郷であり、随分と可愛がってもらっていた。彼を奪われた怒りは、容易く我慢できるものではない。
意見が割れる。真っ二つに。
そして、その判断は今のダルタニアンでは難しいものであった。今まで感覚だよりで戦ってきた。それでは届かぬと理合いを学び、取り入れた。他国の戦術も取り入れ、ここまで成長したのだ。だが、まだそれら全てが彼の地力と成ったわけではない。模倣は出来ても、この先が浮かばないのだ。詰み切れるのか、相手の寄せが間に合ってしまうのか、何も見えない。自分の薄っぺらさに、口の端から血が滲むほど彼は悔しがっていた。自分と近い世代であろうヤン、ラロ、彼らの見ている世界がわからない。ヤンならば、本物ならば、ここを捌けるのか、否か――
「ダルタニアン!」
「……私は、まだ――」
届くと思ったその背中が、気づけば遥か彼方へと遠ざかる。
○
「何故足を止める?」
コーバスの問いに、ラロは哀しげに微笑んだ。
「まだ模倣だからです。だが、俺は彼を模倣し、偶然とはいえ誰よりも俺の喉元に迫ったこと。そして、そこで足を止めるに至った時点で、君を尊敬しよう。君は優秀だ。まだまだ伸びる。今はまだ、自分のものに出来ていないだけ」
ラロは両手を広げる。
「さあ、選択の時だ。進むか、退くか。死ぬか、生きるか。選びたまえ!」
賞賛と共に彼の顔は確信に彩られていた。
この勝負、自分の勝利は決まっているとばかりに。
○
「……ディエース」
アダン、アドンはサロモンに任されていた男がズタボロになって地面に横たわっているのを見つけた。剣での傷だけではない。槍に突かれた痕や、近くには手斧も落ちている。満身創痍の彼に近づくと――
「もうちょい、阿呆が多かったら、勝てとったかもな」
傷だらけの彼は何とか生きていた。厳密には粘ろうとする彼をエスタードの俊英たちはあえて捨て置き、全体を押し切ることに徹したのだ。
「どういう、こと?」
「知るか、ボケ」
「……くそ、僕らの、せいか」
アドンは気づいていないが、アダンはディエースの言葉の真意に気付く。優秀な者全てが咄嗟にダルタニアンの戦術に従い、抜け出した。そもそも速攻で相手の急所を穿つ策である。それ自体に何ら間違えはない。
だが、もし、仮にもう少しここに残っていれば、足止め要因が残っていれば、包囲完成を遅らせることが出来たかもしれない。何が起きているのかわからないが、あそこでダルタニアンらが立ち往生するする必要も、なくなっていたかもしれない。
「ちゃうわ。そもそもが負けとったんや。偶然、勝機がその辺に転がっとっただけで。全部が上手くいけば勝てたなんてのはな、戯言や。運良く肉薄できただけ、阿呆程遠いで、あの男と僕らの距離は」
勝機はあった。掴める可能性もあった。ディエースは貌を歪める。自分にもっと力があれば、動かせる手駒があれば、ここを抑え込むことだって出来たはずなのだ。ピノ、テオ、デシデリオを押さえて、時間を稼ぐことさえ出来れば――
○
「何故、止まっていますの⁉」
誰一人死を厭わぬチェの軍勢を前に、満身創痍ながら抑え込んでいたエウリュディケが叫ぶ。これ以上ない好機、想像以上に策がハマったのだ。
ここで攻めずに、いつ攻めると言うのだ。
あんなところで立ち止まるなど、ここで捨て石と成った自分の、犠牲と成った部下たちの、命を愚弄することと同義。
だが、ランベールは窮地にあっても冷静であった。あのダルタニアンが迷っている。もうその時点で、良くない状況なのだろう。
「何をした、エスタード」
「小僧共の奸計なぞ、わしが知るかァ!」
「ああ、そうかい」
あそこでダルタニアンが立ち止まったことにも、そもそも兵が抜かれたことにすら無関心だったのだ、眼前の怪物は。最初はそういう生き物なのかと思っていたが、ここにきて確信に変わる。ラロはこれに近い局面を想定していた。
そして、それに対する策を講じていたのだ。
チェはそれを知っている。だから動じない。エスタードの将も知っている。だから揺らがずに自分の職務を全うできる。
「……エウリュディケ!」
「なんですの⁉ 今、わたくしは苛立って――」
「こっちの右翼、エスタード左翼の反応が鈍い。あそこをけん制しつつ退路を確保してやれ。ここは俺が抑える」
「ハァ⁉ 何阿呆なことを言って――」
「撤退の合図を出せ! ガリアス王国百将序列五位ランベール・ド・リリューの名のもとに、全軍を撤退させろ!」
「馬鹿なことを……正気で言っていますの⁉」
「早くしろ! 包囲が完成しちまえば、逃げようにも逃げられなくなるぞ!」
ランベールの一言で、熱くなっていた彼女の思考がサッと冷え込む。ダルタニアンらが抜き去ったのは突然のことであったはずなのに、エスタード軍は当たり前のような顔で包囲を完成させるため、ガリアスを押し込み戦場をも絞り込んでいた。
「あなたの名前で、いいのですね?」
「それが一番、ガリアスのためだ。それに、序列は俺が一番上だろ。決まりごとはさておき、な。……被るのは、俺だけで良い」
「わかりましたわ」
エウリュディケはランベールの覚悟をくみ取ると、すぐさま馬を回頭させ指示通りに動き出す。彼女の部下たちもそれに付き従う。
「あいつの動きを咎めないとは……随分優しいんだな、チェさんよォ」
「腹をくくった貴様は、少しは食いでのある獲物に見えたのでな」
「そりゃあ光栄だ。だがよ、俺も今、死ねねえ理由が出来た。ここは抑え込むし、生き残らせても貰う。全力で、足掻くぜ!」
「それは贅沢じゃろうがァ!」
「絶対に勝ちたかった一戦を譲ってやるんだ、これぐらいはァ!」
戦場に、角笛が鳴り響く。
それと同時に『疾風』と『豪烈』は死闘を再開した。
○
ダルタニアンらの耳に『疾風』からの撤退合図が飛び込んできた。誰もが呆然と、背後を見つめる。傾斜のおかげで敵味方入り乱れる戦場の後ろ、彼らの死闘が見て取れた。方角からしても、間違いなくランベールの指示である。
「俺は、認めんぞ!」
「ボルトースさん、ランベールさんは王の左右です。序列もカミーユ様亡き後、この戦場で一番高い。確かに、カミーユ様の代理としてダルタニアンが選ばれていました。通常であればダルタニアンに従うべきです。ですが――」
ボルトースを諭すようにアルセーヌが、
「そのダルタニアンが判断に迷っている今、従うべきは次点の指示。ガリアスの将兵であれば……ここは迷うところではありません」
彼の怒りを、憎しみを、やるせなさを、切り捨てる。
「カミーユさんが死んでんだ。ここで撤退の指示を出すってことがだ、あの男のキャリアにとってどういう傷を残すか、誰でもわかることだろうが。あいつが全部ケツ拭くって言ってんだ。汲み取ってやるのが男だろうがよ!」
ジャン・マリーもまた一喝して、場の迷いを吹き飛ばす。あそこから、何も見えずに立ち止まっている自分たちを見て、困っている仲間たちを見て、迷わず自分が傷つく選択を取ったのだ。おそらくこの戦、誰よりも勝ちたかった男が、である。
「……撤退する!」
「……りょう、かい!」
苦渋の決断。ガリアスは選んだ。今ここで一か八かに賭けるのではなく、身を引いて次に繋げる道を。あと一歩まで、王の左腕をもぎ取った男を追い詰めながら、その眼前で彼らは踵を返すしかなかった自分たちの弱さを憎みながら。
○
ラロは角笛の音、そしてガリアスが退いたのを見て哀しげに微笑む。さすがは彼の、ウジェーヌの意志を継ぐ者。迷う彼らにこれ以上ない助け舟を出した。
この判断だけでも称賛に価する。
なればこそ――
「すまない。君は俺を、恨んでいい」
ラロは静かに目を瞑った。ここからの流れは見た目こそ美しいが、やり口としては極めて醜悪なるものとなる。そして、それによって最も傷を負うのは、彼になることだろう。生き延びることが出来たら、だが。
どちらにせよ、これより行われるのはガリアスの軍を最大限傷つける方法である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます