完璧なる戦Ⅸ

 『辣腕』のカミーユと言う将は情報を貴ぶ。ありとあらゆる情報をかき集め、最善手を見出すことを得手としていた。ストラチェスの名手であり、ダルタニアンにイロハを教えた男でもあった。最善手を突き詰めること、それが彼の戦いである。

 この一戦の間でも、わざわざ兵力を割いて各地点の情報を集めていた。例えば珍しく『烈海』が陸戦に参加していること、敵軍の主要な戦力が若手に偏っていること、そういう雑多で細かな情報を収集し、次の手に生かす。

「……グレヴィリウス、か」

「恐ろしい男です。まさか、自らも参戦した戦で滅ぼした国の、忠臣たちを身の内に入れ込むとは……凄まじい胆力、信じられません」

 ダルタニアンの部下からもたらされた情報にカミーユらは眉をひそめる。確かに普通は出来ない。人の心とは非常に難しいもの。何の軋轢もない相手でさえ、長き信頼なくば側近になど出来ない。同じ国に、同じ文化に浸った者でさえ、そうなるのだ。

 そこが外部の者、しかも恨み骨髄に徹した相手ともなれば――

「恐ろしいのは、人を見る眼なのだろうな」

 そこを見極め、策に運用する。この時点で並ではない。

 並ではないのだが――

「……奇妙ではある。これだけ指せる手合いが、何故若手主体などにこだわる? 傭兵団をいくつか投入し、グレヴィリウスまで引っ張り出してきたのだ。この時点で体面も何もあったものではない。功名、と言うのも考え難いな。カンペアドールに名を連ね、ここまでの絵図を描き、実践して見せた以上、相応の裁量は与えられているはず。カンペアドールにおいてすら最上位の存在、出世を追う必要もない」

 ラロという男が怪物だとするならば、この陣容自体がおかしなものになってしまうのだ。確かに彼の策は大いに効果的だった。ランベールを弾き返し、こちらの奇襲の芽を潰した。これで早期決着は不可能となった。

 だが、それだけなのだ。未だに右翼、左翼共にガリアス優勢、中央も徐々に押しつつある。将は互角に近くとも、兵の数や質はガリアスが勝るのだ。

 このまま押し合いが続けば、必然天秤はガリアスに傾く。

「エル・シドに動きは無いのだな?」

「はっ。そこは念入りに確認させております。他にも主だった将軍も確認済み、カンペアドールに動きなし、と『蛇』から報告が上がっております」

「サンバルト方面の海上封鎖は?」

「そちらも滞りなく。海軍も面目躍如のため、血眼になっておりますし、そもそも『烈海』がこの地にいる以上、海からの援軍は考え難いかと」

「その通りだな。戦場の索敵はどうなっている?」

「あちら側も相当人員を割いておるため、本陣周辺及び後背に関しては確認し切れておりません。ですが、当然こちら側に関しては広く視界は取れておりますし、海岸線にも目を放っておりますので伏兵を仕込むのは難しいでしょう」

「残すは、後ろ、だな」

「確認し切れてはおりませんが、大規模な仕込みは考え難いかと。いたとしても小規模な伏兵程度でしょうし、大勢に影響があるとも思えませんが」

「負け筋、無し、か」

 だからこそ怖い、とカミーユは思う。ストラチェスにしてもそうだが、相手に勝ち筋が見えない状況で指し続けられるのが一番怖いのだ。相手が劣る者であれば見えていないだけではあるが、相手が優秀であれば勝ち筋があると言うこと。自分に負け筋が見えていない、と言うことになってしまう。

 もちろん、平然を装い相手に深く考えさせ、悪手を誘発する者もいる。勝負師という人種はそう言うことを平然とやってくるが、そんな手に乗るほどカミーユは若くない。歴戦の将ほど王道の強さを、邪道の脆さを知るのだから。

「私に見逃しがあるのか? それとも、ここ止まりの将なのか?」

 かき集めた情報を精査し、弾き出した勝ち筋をまい進する。負け筋が見えれば対策できるのだが、それすら見えぬのであれば進むしかない。

 一抹の不安はある。カミーユ自体負け筋を徹底的に潰して勝利をもぎ取る将なのだ。だからこそ事前に準備も調査も徹底的に行う。そこを徹するからこそ高い勝率を誇り、ガリアスにおける将の頂、王の左腕なのだ。

 それでも情報とは別の部分で、カミーユは嫌な予感を拭いきれない。

 あの若き将が時折遠く――見える。


     ○


 両翼、中央、すべてがガリアスに傾く。じわじわと、地力の差が盤面に現れ始めていた。この平均値の高さこそがガリアスの持ち味であり、統率された彼らを喰い破るのは戦士の国エスタードとて楽ではない。

 攻めて良し、守って良し、真正面からぶつかって勝利するのは、それこそ巨星のような力業を押し通す個があってこそ。そして、ラロという男はそこに戦士の美学を感じつつも、将としてはエレガントではないと常々考えていた。

 対面するガリアスが誇る王の左腕、さすがの広さであった。ラロの想定通り開戦前から本国含めあらゆるところを偵察し、情報収集に余念がなかった。戦う前から戦は始まっている。否、戦う前から勝敗は決まっている。

 彼は素晴らしい将であった。ラロが戦ってきた中で最も『労力』を強いられた相手であっただろう。慎重であり、丁寧であり、王道を征く。

 緩みは期待できない。現場でのペテンが通じる相手でもない。だから、用意したのだ。常識では絶対に見えない勝ち筋を。優秀な将の強みを利用し、『誤認』を仕込み、その上で予想の上を行く。それが今回の戦争、その全てを描いた男のシナリオである。敗色濃厚、この局面を作れた時点で、ラロの『勝ち』である。

「……怪物め」

 コーバスは嗤う。知れば知るほどに、この男は遠い。古き時代の戦しか知らぬ自分たちにとっては、ある意味でエル・シドよりも理解できぬ存在である。

 どこまで見ているのだろうか。

 隣り合う男の本当の現在地が、見えない。


     ○


 ガリアス全体が押していた。特にガリアス側の右翼は敵の傭兵たちの奮戦はあれど、そもそもタレント不足のため瓦解の兆しが見えていた。押し切るまでさほど時間はかからない。傭兵たちも劣勢を感じると途端に退け腰になってくる。

「あらあら」

 エウリュディケは勝利を確信し、笑みを浮かべていた。戦力不足を補うために放たれた傭兵たちも、結局のところ時間稼ぎ程度にしかならなかったのだ。戦の趨勢を分けるのは正規兵の習熟であり、ガリアスの正しさが証明されたと彼女は思う。

「油断するなよ、エウリュディケ! 敵はウジェーヌ様をハメた奴だ。必ず、何か用意している。敵将の首を取る瞬間まで、緩みを見せるな!」

「はいはい。本当につまらない男ね」

 ランベールとエウリュディケ、拍子は合うが、性格が合わない二人は視線を合わせず、それでも自分たちの仕事には手を抜かない。相手が瓦解すれば一気に押し潰す。今度は『迅雷』も含めて本陣を急襲し、討ち果たして見せる。

 如何に精強な部隊であっても、遠間相手では何も出来ないだろう。エウリュディケらの射程にさえ入れば、この戦は勝てる。

「とは言え、どこも優勢ですね。もう、両翼中央どこが崩れてもおかしくないですよ。この戦、我らの勝利です、ランベール様」

「……ああ、そうだな。誰もがそう思う。だがな、そこまで見積もりが甘いってことはねえだろ。連中の後ろに、何かいるのか?」

 ラロの後ろ、その先に関しては遠目でしか確認できていない。索敵に出した兵士が何人も討たれ、簡単には視界をやらぬぞという意思は感じ取れた、とカミーユから報告を受けている。ただ、それでも視界はゼロではない。

 少なくとも見える範囲に仕掛けはなかった。あったとしても大規模なものはありえないとの見立てである。カミーユという男はそういう見立てを絶谷外さない男である。厳密には外しようがないほど準備する男、であるが。

 だから、後ろには――


     ○


 ガリアス左翼、歩兵中心で組まれた彼らもまた突破まであと一歩というところまで迫っていた。ありとあらゆる条件がガリアスの勝利を確信させてくれる。

「俺たちの勝利だな、エスタードの猛将!」

「ハッ! 勝負は大将首が離れるまでわからねえってな!」

 長々と打ち合っているバンジャマンとデシデリオ。彼ら自身に優劣は生まれていないが、組織力でデシデリオは後退を余儀なくされていた。それでも彼の顔に悲痛な色はない。まだまだ勝つ気満々である。バンジャマンはそれを勇猛さと捉え、相手に敬意を浮かべながら戦い続ける。

「思ったよりずっと粘るな、エスタードの槍使い」

「なんの。先の戦いで戦死した彼らに比べれば、まだまだ序の口よ」

 ジャン・マリーもテオとの一騎打ちを心行くまで楽しんでいた。ほんの少し自分の方が年齢は上なため、現状の実力では勝るものの、粘り強く戦う彼からは強い輝きが見て取れた。おそらく到達点で言えば、テオの方が上なのだろう。

「今殺しておくのが正解なんだろうな」

「殺せるのであればな」

「違いねえ」

 この戦場には、特にエスタード側に若き将が大勢いた。どれも現状は横一線、それほど大きな差はない。少し、中央の二人が抜けている程度か。だが、おそらく伸びしろに関しては全員異なるだろう、とはジャン・マリーの見立て。

 少なくとも眼前の槍使いは。いずれ伸びる。手が付けられないほどに。

「まあいいさ。存分にやろうぜ。どうやら、大勢は決まったみたいだしな」

「ああ、そうだな」

「何で笑っている? そっちが負けるんだぜ?」

「それはない」

「は?」

 ジャン・マリーは一瞬、この男は武に傾き過ぎて戦況を見ることすら出来ないのか、と思ったが、眼の色を見てそうではないと気づく。

 絶対的な確信があった。この期に及んで、負ける気など微塵も感じさせない。

「それは、ない」

 テオは断言する。この戦で負けるのは、お前たちなのだと。

 それを遠巻きに、アルセーヌは嗤う。

「おや、何を嗤っているのかな?」

 打ち合いながらピノが問う。

「この戦、どう考えても我らの勝利でしょう。それを彼は、何も理解していない。多少武勇に優れようとも、将にしてはならぬ者もいるようだ」

「ふふ、テオはそれほど愚かではないよ。そもそもこの苦戦、端から私たちの勘定に入っている。ここまで全てが、あの男の掌だ」

「馬鹿な。自ら敗北に向かうなど、戦術の上でありえない」

 ピノは先ほどアルセーヌが浮かべていた笑みと同じものを浮かべる。

「ありえない、そこで止まれば君は二流のままだ。考え方を変えると良い。どうやったらこの局面からエスタードが勝利できるか、相手の立場で考える」

「不可能だ」

「そう思ったから、君たちは負ける」

「戯言を! ならば勝利して見せろ! 我らに、ガリアスに、勝って見せろ!」

「ああ……もう、嫌でもそうなるよ」

 ピノが哀しげに顔を歪めると同時に――

「後ろや!」

 どこからともなく、叫び声があがった。前ばかり見ていたガリアスの兵が、後ろに視線を向ける。ありえないことが、起きようとしていた。

 アルセーヌは呆然と、自分の中の『ありえない』が崩れ去るのを感じていた。

 自分たちの背後、本陣よりも遥か遠くから、一本の狼煙が上がっていたのだ。それはこれからの戦を進めるに当たって重要な補給拠点がある方角で、そこから火の手が上がった以上、いるのだ。自分たちの背後に、敵が。

「負けるで、ガリアス」

 蛇のような男は顔を歪めていた。全てがあの男の謀であったのだ。こんな怪物がいるのか、と男は世界の広さを痛感していた。そして知る。あの男が言っていたことの真意を。綺羅星を望む、彼らの願いの意図を。

 いるのだ、世界には。ただ一人で世界を塗り替えるような怪物が。

「負けないよ」

「僕らのガリアスはね」

 双子もまた、先ほどまでの気の抜けた顔つきから、彼ら本来の顔に戻っていた。感情なく、任務を遂行する暗部のそれに。

「届かんで、自分ら」

「蛇の道は――」

「――蛇ってね」

 揺らがぬ勝利から一変、敗色濃厚となった戦場。彼らは兵士としてではなく、『蛇』としてガリアスのために動き出す。舞台を、引っ繰り返すために。


     ○


 カミーユは背後から迫る土煙を見て、自身の見逃しに至る。やられた、という感情はない。そこまでやるのか、という畏怖の方が、強い。

 心が軋む。最先端のガリアス、その自負が崩れ去る。

「ありえない。こんなこと、ありえない」

「目の前で起こっていることが全てだ。最初から、本当に最初から、私は負けていた。得意の情報戦で、毒を仕込まれていたのだ。何と滑稽か、『辣腕』とやら。こうまで上回られてしまえば、もはや……笑うしかないではないか」

 あの男がここにいる。この時点で事前に収集していた情報とは異なる。

「影武者、か。エル・シド相手ならば見誤ることもなかろうが、他のカンペアドールともなれば絵などを頼りとするしかない。しかも相手はいつものオストベルグや隣接した国ではないのだ。情報の確度は、落ちる」

 問題は影武者を立てられたと言うこと。こちらが調べるであろうことを見越し、初めからすり替えていたのだ。エスタードは、ラロは、あえて彼の情報をガリアスに流させた。そしてカミーユに、ガリアスに誤認させたのだ。

 あの男がまだ、本国にいると。

 カミーユならば必ず情報を取りに来る。そこに毒を仕込む。情報を鵜呑みにしたガリアスはもう、敵の本筋に気付くことはない。

 見えないはずである。最初の時点で、開戦に至る前の時点で、謀られていたのだ。

「しかも、よりにもよって、我らだからこそ考えないルートを用いた。周到だ。よく我らを、ガリアスを、理解している」

「閣下、奴らは、どこから?」

「人域との境、巨大な霊峰連なるかの地を、越えて来たのだろう。それしかありえぬのだ。それ以外は、潰していたからな!」

「……あ、ありえません! 山越えでさえありえないのに、かの地には、我らが難儀する蛮族と同じような輩が蠢いていると聞きます」

「ああ、ありえない。私では、いや、誰であってもそんな無茶、しようとさえ考えない。だから盲点になるのだ。ゆえに我らは今……」

 負ける、その言葉をカミーユは飲み込む。それだけは言えぬ。

 エスタードは海を使って軍を運んだ。ただし、彼らを下ろした先は未開の土地、蛮族蔓延る魔境の領域である。ただでさえ凶暴極まる人喰いの民がうろつく世界で、彼らは山越えを果たした。それが如何ほどのことか、地域は異なるとはいえ蛮族を知るガリアスにとっては痛いほど理解できる。見て、理解してなお、信じ難いのだ。

 だが、眼前には現実が押し寄せてきていた。血まみれの騎馬隊である。装備はボロボロ、おそらくは人数も行程の中で大きく減らしたのだろう。それでも士気は満ち足り、獲物である自分たちを視界に収めた瞬間、熱気が跳ね上がる。

 たなびく血濡れの旗、そこには燦然と輝くⅣの文字。

「蹂躙じゃア!」

「カンペアドールの名のもとに!」

 チェ・シド・カンペアドール率いる軍勢が、ガリアス本陣に迫る。

「ラロォォォオオ!」

 カミーユは叫びを押さえることが出来なかった。全ては掌の上、シナリオライターは微笑をたたえながら、静かに全てを睥睨する。

 ここからが、答え合わせの時間である。

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