完璧なる戦Ⅵ
ガリアス本国は異様な熱気に包まれていた。エスタード許すまじ、超大国に仕掛けてきたことを後悔させてやれ、海の雪辱を陸で晴らそう、など負けることなど一切考えていない言説ばかりで、超大国の驕りが垣間見えた。
ただ、現場はそこまで楽観的ではない。
「随分と飲み込みが早いな、ダルタニアン」
「ご指導の賜物です」
「口も上手くなった。よほど蛮族の相手が嫌と見える」
「そんなことは……」
「くっく、冗談だ」
現王の左右が一人、王の左腕である『辣腕』のカミーユは、自身の副将であるダルタニアンをからかう。
「それに、私からの学びより、影響を受けている相手がいるのもわかっている。だからこその伸びだ。その感覚は大事にしろ。才能だ」
今回の一戦、総指揮を務めるのはこのカミーユである。三十代半ば、今ガリアスで最も脂が乗っている将である、ともっぱらの噂。サンバルトとの同盟関係をまとめたのはこの男の仕事で、周辺諸国の平定をもってほぼ属国となる条件を飲ませた力業が、彼の二つ名となった。ちなみに経歴は少し複雑で、当初はサロモンに師事していたが、ジャン・ポールが黄金騎士団に引っこ抜き、自分の弟子とした。
当然、サロモンとジャン・ポールはカミーユを挟んで対立し、間に挟まれた男はどちらも尊敬しているため何も出来ずにうずくまっていたらしい。
最終的にはジャン・ポールが争奪戦を征した、かに見えたが『辣腕』の名が広まったところでサロモンが当時の左腕を無理やり引き摺り下ろし、その席にカミーユを突っ込んだ。結果的にはサロモン勝利で幕を引く。
ちなみにこの件から、老人二人、しばらく顔も合わせていない。
こういう時にウジェーヌが陸にいたらなぁ、と革新王が思ったとか思わなかったとか。ちなみにのちの時代、革新王直筆で『銅将』あての手紙が発見されたという。それを捨てきれなかった王の気持ちを慮ると、何とも言えぬ心地となってしまう。
「お前たちが負けたストラクレスを追い詰め、敗れはすれどその右腕を断ち切った男だ。この国にはな、そんなことできる奴はいない」
「ガリアスの至宝であるお二人に鍛えられた閣下ならば――」
「それが出来たらな、ガリアスはとっくにこの大陸の覇権を握っている。どれだけ大きくなってもな、超大国の領土は巨星を避けた形でしか、広がっていない」
カミーユは苦い笑みを浮かべるしかなかった。今、大森林に力を入れているのも、ある意味で自分がサンバルト周りを平定したのもそう。そこしか広がる余地がなかったのだ。北はストラクレスに、中央はウェルキンゲトリクスに、完全に押さえ込まれていたから。彼らと勝負せずに膨れ上がったのが、今のガリアス。
人は超大国と言う。国民は皆、自分たちこそが最高の国家の一員だと思っている。カミーユとて素晴らしい国だと思うし、最先端ではあると確信がある。だが、自分たちは強いと胸を張って言えるか、と問われたならば――
「私から、サロモン様から、ジャン・ポール様から、学べることは土台でしかない。そして、その土台はな、巨星相手には通じないことを、心にとめておけ。まあ、言わずともその身で体験したのだ。嫌でも理解させられただろうがな」
その顔は、超大国のそれではなかった。
彼らもまた、西へと歩を進める。
○
男は槍を担ぎ、身軽な格好でとある街にやって来た。
目的地は、墓地。
無数に並ぶ墓を順番に眺めていき、男は墓地の隅っこの小さな墓に眼を向け、足を止める。郷土の英雄にしては随分と質素な墓であろう。
まあ、あの人らしい気もするが――たぶん今、世情的にこれが限界であったのだろう。派手な葬儀などできない。何しろ、まるでガリアスの顔に泥を塗った戦犯のような扱いなのだから。きっとこの墓を築いた者は、世情に反してでも彼を讃えようとしてくれたのだろう。労おうと思ってくれたのだろう。
男は、その気持ちだけを汲むことにした。
国民が身勝手なのは今、始まったことではないのだから。
「久しぶりですね、閣下」
男は皮袋を取り出し、口を開けて墓に向ける。鮮やかな朱色の液体がとくとくと零れ出す。それは、『閣下』が好きだと言っていた銘柄のぶどう酒である。
この下に死体は眠っていないが、それでも垂らす。
「まさか再会が出来ないとは思ってなかったですよ。暇になったらいつでも会いに来ていい。歓迎する。自分は余生を海で過ごしているだとか言っていたくせに、戦死なんて斜め上ですよ。まだ、俺は何も返せてないんですよ。ひでーじゃないですか」
男は凡人であった。もうこれ以上ないほどに平凡。実技も並、兵法もまあ普通、自分自身も兵士でメシが喰えればいいな、ぐらいの志で、よく周りからやる気がないと怒られていた。そんなどうしようもない自分を、彼が鍛えてくれた。
彼は出来ないことを怒らなかった。やらないことに関してはいつも怒られたが。出来ないことは発見だと、出来ない理由を考える始まりだと、彼は笑いながら教えてくれた。出来ないことを一緒に精査してくれて、出来ない理由が見つかったら潰していく。丁寧で根気よく、不真面目な自分でも気づけば真面目に取り組んでいた。
出来ないことが出来るようになるのは楽しかった。
理解を重ねていき、繋がっていく知識が心地よかった。
何よりも――
『よくできたな』
あの老人に褒められるのが、嬉しかった。
「仕方ないことなんですけどね。でも、俺は悔しくて仕方がない。そもそも『銅将』って名がずっとムカついています。ガリアス軍の基盤は王の頭脳、金冠、そして閣下の三人で作ったんだ。学んで、深めて、振り返れば三人の顔が浮かぶ、それがガリアスでしょ。一人でも、二人でもダメだった。三人、何て言ったら、くく、もう一人いたし、皆で作ったガリアスだ、と閣下は言うんでしょうね」
男は震えていた。歯を食いしばり、零れ出しそうな涙をぐっとこらえる。
「少なくとも、俺を育ててくれたのは閣下だ。閣下以外に、盆暗でしかなかった凡人の俺を育てられた人なんていない。これも、俺はガリアスの強さだと思っています。いや、これこそがガリアスの強さだと、信じています」
自分だけではない。大勢が彼の指導を受け、いっぱしに育っていった。もちろん全員が大成したわけではない。どれだけ丁寧に育てても全ての作物が実るとは限らない。教える側のマンパワーにも限界はある。
それでも、凡人の育成に関しては彼が一番だったと男は胸を張って言い切る。この世情でも気にしない。一度の敗北で揺らぐほど、彼の生涯は安くない。
「閣下はおっしゃった。上に立つべきは才人だが、群れの強度を決めるのはその足腰である凡人である、と。まあ、今は人材不足なんで、俺なんかがこんなところにいるんですけど……いつかは俺も、その足腰としてこの国を支えたいです」
男は涙をこぼしながら、誓う。
「閣下に負けじと、盆暗共をバシバシ鍛えてやりますよ」
平凡で、盆暗で、どうしようもなかった自分を鍛えてくれた恩人に、
「だから、見ていてください」
今度は自分が貴方の役割を果たして見せる、と。
空の墓、下には何も埋まっていない。軍人なのだ、そういう終わりも当然ある。彼もまた覚悟はしていただろう。自分もベッドで死ねるとは思っていない。
だが、それと感情は別。
「とりあえず、行ってきます。今度はもうちょい良い酒持ってきますね。安酒好きの閣下を唸らせるような、良い感じのやつを」
胸の奥で渦巻くそれが、男の顔を歪ませる。
「とにかく、ご苦労様でした、閣下」
それは、怒り。胸を焼く感情、それを抑え込み男は頭を冷やす。彼と、おそらくは彼の最高傑作になるはずだった男を討ち取った相手である。一筋縄ではいかないだろう。巨星クラス、そう思って臨む必要がある。勝てないかもしれない。
出来ないかもしれない。
だが、それはやらない理由にはならないのだ。
「あとはお任せください」
出来ない、届かない理由を探るのもまた自分の仕事。そして、理由を探り当て、最後に出来ればいいのだ。勝てば、いいのだ。
結果として『銅将』ウジェーヌの最高傑作となった男、王の左右が右足、『疾風』のランベール・ド・リリューもまた戦場へ向かう。
熱き想いを胸に秘め――
○
「はっはっは、こりゃあ壮観だな。ガリアスも本気じゃねえか」
エスタードの若き俊英、ディノは眼前に広がる超大国の本気に大笑いする。
数も莫大だが、はためく旗の紋章を見れば、質の面でもガリアスの本気がうかがえる。相手にとって不足なし、こちらも本気の陣容である。
何よりも、エスタードを率いるのはこの男なのだ。
「さあ、乱世を始めよう」
『烈鉄』ラロ・シド・カンペアドール率いるエスタード軍対ガリアス、開戦。
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