第30話 監視に徹する
貴閃は困っていた。ものすごく困っていた。
なぜかというと今現在、自分は庶民の格好をしてこそ泥のように人目を避けつつ、物流の要である永安通りにてある人物の行動を監視しているからだ。
——なぜ……。
状況を把握するために貴閃は今朝の記憶を手繰り寄せる。
いつものように木蘭への朝礼を終え、回廊を歩いていると背後から主人の息子である明鳳が凄まじい表情で駆け寄ってきたのが全ての始まりだった。混乱する貴閃が理由を問いかけるが明鳳は無視して近くの物置きにまで引っ張っていき「これを着ろ」と衣服を押し付けてきた。
難色を示すと「じゃあいい。俺、一人で行く」と言い残し去っていこうとするのでと急いで着替えて後を追いかけた。誰かに声をかける時間もなく、あれよあれよという間に
「明鳳さまぁ。早く帰りましょうよ」
物陰に隠れて凄まじい表情で往来を——ある人物を睨みつける明鳳に情け無い声をかける。
しかし、反応は返ってこない。距離的に自分の声は聞こえているはずなのに聞こえてないフリをするので貴閃は肩を落とした。
「……鹿丞相に怒られますよぅ」
それどころかすぐさま木蘭の元にも通達がいき、二人揃って叱られるだろう。今までの経験から明鳳が「こいつが止めなかったせいだ」と自分に罪をなすりつけるのは容易に想像がつき、貴閃は顔を覆った。
——全然、成長していないじゃないですかっ!!
柳貴妃と出会ってから亜王として成長していると思っていた。
しかし、事実は微塵たりとも成長などしていないことを痛感した。
指の間からちらりと明鳳の姿を盗み見る。成長段階で未発達な体を包むのは灰色の
——まさか、さすがの明鳳様でも一人で市内は歩かないでしょう。
そのまさかなのだが貴閃は「大丈夫だ」と自分に言い聞かせた。袍の痛み具合から自然にできたものではなく、故意だと判断した。……決して現実逃避のためにそう思うことにしたわけではない。
貴閃の不安をよそに明鳳は悔しそうにぎりぎりと歯を食いしばっている。
「
それは亜王だから、という幼児でも分かる事実を喉奥へと仕舞い込み、貴閃は明鳳を真似て、往来を眺めることにした。
人がいない大通りに場違いな佳人が大柄な男となにやら親しげに話をしていた。
佳人が纏うのは毒々しいほど真っ赤な襦裙と肩幅を隠すために羽織る
「絶対に叱られますよぅ」
小さく呟くが玉鈴に目が釘付けの明鳳は気づかない。もっと大きな声で「もしかしたらご飯抜きかも」と食い意地が張る主人に向けて言い放つがまたもや無視された。
時が経つにつれ城内では明鳳がいなくなったことに誰かが気付くだろう。騒ぎになる前にどうやって帰城を促そうか悩んでいると明鳳が「あっ!」と声をあげた。
貴閃は慌てて周囲を見渡し、明鳳が何に対して驚いたのか原因を探る。自分は宦官で、肥えた体で、武の腕はからっきしだが今何かあれば明鳳を守れるのは自分しかいないのだ。尊敬する先王の忘れ形見を守るべく、貴閃は拳を強く握りしめた。
「あいつ、残るつもりだぞ!」
思わず、ずっこけそうになった。
明鳳が指差した方向を見ると玉鈴が遠く去っていく軒車に向かって手を振っていた。特に気にすることもない、別れ際によく行う動作なのに明鳳は大袈裟な反応をする。
「何をする気だ?!」
「他の
「いや、あいつがそんな高尚なたまか! 絶対になにかあるに違いない!」
信用度が低すぎる。貴閃は無意識のうちに玉鈴へ
「あっ!」
先程と同様、明鳳が驚きの声をあげた。
——今度はどんな理由で難癖をつけるのやら。
またもや憶測での言いがかりをつけられるであろう玉鈴に同情しつつ、貴閃は視線を送る。
滅多に表情を変えない玉鈴が仏頂面を作っていた。雰囲気も刺々しく、一見して怒っていると分かった。
何に対しての怒りなのかはすぐに理解した。
建物の物陰から漆黒の外套に身を包む人物が姿を現し、軽やかな足取りで玉鈴に近付いていくにつれ表情は険を増す。
——誰だ?
外套のせいで容姿は見えないが小柄な体躯だ。年端のいかぬ少年か少女のどちらかだろう、と予測を立てた。
「どなたでしょうか」
その外套に心当たりがあるらしく、肩唾を飲み込んでいた明鳳は小さな声で答えた。
「……龍女だ」
それには貴閃も驚きの声をあげてしまった。
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