第17話 龍女


 龍女の本名はたおといった。龍女と呼ばれることを嫌っているらしく、明鳳が「龍女」と呟けば喜色ではなく、嫌悪を浮かべる。


「桃よ。桃って呼んで私の亜王様」


 桃という名は本名ではない。物心つく前に桃の木の根元に捨てられていたのを恩人が拾い、花の名前を付けてくれた。そのため桃はこの名が大層お気に入りで、明鳳にも呼んで欲しいと懇願してきた。


「私の、だと? 俺はお前のものではない」


 気色ばんで明鳳が言えば、桃は外套をまた目深く被り直す。


「だって、龍の半身は貴方の所有物だもの。柳貴妃様もそう、私も、世界に散らばっている柳家はみんな、貴方の物。貴方の道具よ。だから間違えてはいないの。貴方は私の亜王様。使えるべきお方。守るべき大切な人。……ね? 間違えていないでしょ?」


 拗ねたように俯きながら桃は歌うように滑らかに言葉を発すると明鳳の手に己の手を重ねた。


「こっちに来て。亜王様」


 外套により桃は表情は見えないが、甘い声音に微笑んでいるのだと気付く。明鳳が反論する前に桃は手を引いて、明鳳を立ち上がらせた。

 拍子に手にしていたサンザシ飴が全て地に落ちて視界の端を転がる。砂が纏わり、もう食べれないが咄嗟に明鳳は手を伸ばし拾い上げようとした。けれど、串に指先が触れる前に桃が腕を引っ張ったことよってそれは叶わなかった。


「どこに行くんだ! 答えろ!!」


 見た目に反して力が強く、ずるずると引きずられる。拘束する手を離させようともがくが力は桃の方が強かった。


「私を見せたいの。私の力。龍の力を。きっと、亜王様も気に入ってくれる。すごいって言ってくれる」


 そう言って桃は明鳳を天幕まで引きずっていった。




 ***




 往来からは見えないが天幕の裏にはいくつもの小さな天幕が張られていた。そのうちの一つ、赤い敷布で作られた天幕に案内された明鳳は促されるままに椅子に座ると腕を組み、地べたに座る桃を見下ろした。

 外套は入室と共に端に丸めて投げ捨てられたため、桃の素顔を隠すものは存在しない。

 桃は可愛らしいがどこにでもいるような普通の娘だった。

 利点を挙げるとすれば背中で波打つ黒髪は豊かで、滑らかで傷一つない象牙の肌だ。その他の顔と体の造形は欠点もなければ利点もない。

 しかし、桃は一眼見ただけで他者の関心を惹く娘だった。彼女を普通らしからぬ容貌にしているのははぶける睫毛で縁取られた二つの黄金と首元を覆う銀色の鱗。

 明鳳は「ああ、似ているな」ととても小さく呟いた。虹彩だけではなく瞳孔まで黄金色の瞳もそうだが、目と耳の形が玉鈴と似ている。否応なしに血の繋がりを感じさせた。

 じっと観察を続けていると桃は恥ずかしそうに頬に手を当てた。もじもじと膝頭を擦り合わせてはいるがどことなく嬉しそうだ。


「ここは私のお家。ゆっくりしてね」

「龍女、お前の目的はなんだ?」

「桃よ。桃って呼んでくれないと話さない」


 桃は頬を膨らませてそっぽを向く。本名で呼ばれるまで話しをする気はないらしい。


「おい、龍女」

「桃」

「……桃」


 試しに口にする。すると桃は嬉しそうに破顔はがんした。


「嬉しいわ。亜王様に桃って呼んで貰えた。嬉しい。とても、すごく」

「こんなことで嬉しがるな」


 子供のようにはしゃぐので明鳳は呆れた。しかし、女特有の権力者への媚びはないため意外と嫌悪感は抱かなかった。


「だって、ずっと夢を見ていたもの。亜王様が私を迎えに来て来てくれるのを。支えさせてくれるのを」


 うっとりと桃は頬を染めて、光悦の笑みを浮かべた。

 ……訂正。明鳳は桃に対して嫌悪感はないが代わりに抵抗感を覚えた。


「お前はここで何をしているんだ?」

「私を魅せているの」


 よく分からない回答だ。明鳳ははあ、と大きくため息をはく。


「お前は柳貴妃の親族か?」

「お父様はそう言っていたわ。私のこの両目とこの鱗がその証拠だって」


 桃は指先で金眼を指差し、首元まで指を滑らせた。指先では柔肌を覆う鱗が微かな光を集めて光沢を放っている。


「触れてもいいか?」


 純粋な好奇心だ。鱗持ちの人間なんて会ったこともないし、存在するとも思わなかった。その手触りを知りたいと思い、気付けば口に出していた。

 言葉の意味を反芻はんすうさせた明鳳は慌てて「やはり、いい」と告げる。

 その慌てように桃は不思議に思ったのか「なんで?」と首を傾げた。


「亜王様に触れて貰えるなんて、とても嬉しいわ」


 桃は邪魔にならないように髪を素早く後ろ手にくくると襟をはだけさせた。「そこまでする必要はない」と明鳳が命じても首を左右に振る。


「恥ずかしいとは思わないの。だって、私は貴方のもの。所有者に全てを見せるのは当たり前だもの」

「所有物と言うがお前達は道具ではない。どうしてお前達は道具扱いをされたがるんだ……」

「お前達って私と柳貴妃様のこと?」

「そうだ。あいつも俺の駒に、道具になりたがっていた」

「あら、おかしくはないわ。だって私も柳貴妃様も柳家の者ですもの。血がそうさせるのよ」

「……難儀だな。龍の血は」

「ふふっ。けど、嫌ではないの。私達は亜王様に仕えるために生まれてきたのだもの。生まれながらの運命を嫌だなんて思わないわ。……ほら、触って」


 桃は明鳳の手を取ると自らの首元に持っていく。

 年頃の娘の肌に触れる行為に、明鳳が抵抗を覚えて手を引っ込めようとするが力では叶わないためすぐに諦めた。桃が促すまま首筋に指を滑らせる。

 まず、驚いたのはその冷たさだ。鱗が覆う部分のみ地肌と比べ体温は低い。そして見た目は硬質だが、触れると思いの外、柔らかい。蛇の鱗と酷似している。

 感触を知ることができたのですぐさま肌から指を離すと桃は名残惜しそうに眉尻を下げた。


「お前の持つ力は?」

「私の力は動物とお話ができるというものよ。犬や猫、お馬さんともお喋りできるわ。……あとは少しだけ怪力なの。本当に少し、少しだけよ。けど、怪力は好きではないわ。だって、可愛くないもの」

「可愛いかは分からない。便利そうとしか思わないが」

「亜王様は便利だと思う? 女の子っぽくなくて私は嫌いだけど、亜王様が好きというなら私も好きになれそう。ううん、なるわ」

「好きではない。便利そうとしか思わない」

「……そう、残念。とても、すごく」


 なぜそこまで怪力を嫌がるのか理解できない。他者に勝る力なのだから、もっと誇らしいと思えばいいのに。桃の考えがいまいち理解できないし、しようとも思わず、明鳳は次の質問を聞くために唇を開いた。


「お前はさっき自分をといっていたな? つまり、お前はその力を使ってここで見世物をしているのか?」

「そうよ。動物を集めて、お話して、芸をしているの」

「なんでそんなことをするんだ?」

「お父様がね、亜王様が私を迎えに来てくれないのはではないからって言っていたの。だからね、ここでね、お偉い人達を集めて私を魅せて、亜王様にお話して貰おうと思ったの」


 桃は両眼を細めた。


「お父様の言うことは正しかったわ。だって、本当に亜王様が来てくれた。迎えに来てくれたもの」


 迎えに来たわけではない。ただの成り行きだ、と明鳳が否定の言葉を口にする前に天幕の外から潰れた男の声が桃の名を呼ぶ。


「お父様、どうかしたの?」


 赤い垂れ幕を持ち上げて入室したのは四十路よそじ近い男だった。


「もうすぐ開演だから迎えに——」


 男は明鳳の姿を捉えると言葉を失い、呆然とした面持ちで立ち尽くした。

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