第16話 花蒼淳


 蒼淳は端に並ぶ店には脇目を振らず、確かな足取りで前を進んでいく。まるで龍女にしか興味がない様子に後ろから追跡する明鳳は眉を寄せた。

 明鳳が知っている蒼淳という男は常に飄々ひょうひょうとして地位や他者に固執するような性格の持ち主ではない。今の地位に上り詰めたのも本人が望んで得たものではなく、花家の本家筋だから選ばれたに過ぎない。

 若くして兵部侍郎になっても蒼淳は常日頃と同じ態度で明鳳の呼び出しに応じて遊びに付き合った。明鳳は大人という生き物は地位を得ると自分を過大評価して横柄な態度をとると認識していたのでいつまで経っても態度が変わらない蒼淳がとても不思議で、昔一度だけ「お前は本当に兵部侍郎になりたかったのか?」と問いかけたことがある。

 蒼淳は腕を組み、


「別にそこまでしてなりたいとは思いませんでしたね。まあ、なれば金も入るしいいかなって思ったので最終的にはなりました。親が用意した道をそのまま進むのは気が楽でいいですよ」


 と笑いながら答えた。


 ——龍女がそれほど魅力的なのか。


 蒼淳は流れる水のように周囲に身を任せて生きていた。そんな彼が龍女に心酔して、頻繁に永安通りに通うなんて何度考えても予想がつかない。

 考えは、蒼淳が足を止めたことで途切れた。

 蒼淳は黒い面紗めんしゃを取り出すとおもむろに頭から被り、ここで初めて周囲の目を気にする素振りをみせる。

 跡を尾けているのがバレたのだろうか。明鳳は近くの店の影に身を潜めた。

 蒼淳は二度、三度と周囲を見渡すと先程とは違い早足で人混みを避けて、進み、ある店の前で足を止めた。




 ***




 その店は他とは違い空き地に天幕を張って作られていた。天幕とは木や金属などの骨組みと織布から作られる簡易住居のことである。

 四十人は入れそうな大型の天幕の入り口には槍を手にした衛兵が二人。その前には帷帽いぼうで顔を隠した女や蒼淳と同じく面紗で顔を隠した男が幾人か集まり、列をなしていた。

 一目で彼らが飴屋の親父がいう「お貴族様」だと予想がついた。彼らが着ているのは庶民にしては上質な衣服だ。シミも、汚れも、皺もひとつもない新品同様の格好に、真珠の飾りを腕輪や髪飾りとして身につけていた。

 列の最後に並んだ蒼淳も他の者と同じように帯の真珠を衛兵に見えやすい位置に移動させた。


 ——なるほどな。真珠飾りが客人としての証か。


 海に面していない亜国において貿易でしか入手できない真珠はもっとも高価な宝石と言われている。小さなものならば庶民でも購入することはできるが龍女の客が身につけているのは親指の第一関節はある大粒の真珠。庶民には手を出すことはおろか触れることもできない代物だ。

 金持ちかそうでないかを判断するのにはうってつけの方法と言える。

 明鳳は蒼淳から視線を外さずに自分の所持品を思い浮かべた。銭が入った巾着にサンザシ飴が四つ。あとは父の遺品である翡翠の首飾りのみ。真珠を持っていればそれを証として見せることができたのだが無いため諦める。次に真珠を購入しようと考えたが相場は分からずとも今の所持金では金額が足りないことは試す前から分かっているのでこれも却下だ。

 身ひとつで向かっても衛兵によって跳ね除けられるだろう。最悪、蒼淳の名を利用しようと画策していると蒼淳の順番が来たようだ。慣れた手付きで真珠を衛士に見せて、短く言葉を交わすと中に入った。

 明鳳は慌てて立ち上がり、自分も列の最後に並ぶ。真珠を持っていないので入れるとは思っていないが試して見なければ分からない。一か八かだ。

 自分の番がきた。衛兵は上下を一瞥した。


「許可証がない者を入れることはできません」


 お引き取りを、と言われ明鳳は「やっぱりか」と肩を落とす。けれど、ここで諦めて「はい。分かりました」と帰る考えは明鳳の中には微塵もない。


「知人が中にいるんだ。金ならきちんと払う」


 金銭を人差し指と中指で挟み見せつけて「俺は貴族だ」と暗に伝えるが衛兵は首を左右に振る。


「お客様の中にご友人と逸れた方はいません。言付けもありません。ですから早くお帰りを」


 なんて失礼なやつだ。亜王に向かっての言動に明鳳が腹を立てる。しかし、ここでいつものように切れて騒ぎを起こすのは得策ではない。明鳳は怒りの感情を心の奥へ押しとどめるとしおしおと項垂れた。


「俺だって帰りたいさ……。けど、知人が中にいるのは本当だ」

「ですからそのような言伝は預かっておりません」

「花蒼淳という男を連れてこい」


 二人の衛兵は顔を見合わせた。花の家名に反応したようだ。


「もう一度、言う。花蒼淳を連れてこい」

「……申し訳ございません。承りかねます。お引き取りを」

「なぜだ? 呼べば俺が貴族だとわかるんだぞ?」

「お引き取りを」

「金は定価の倍だそう。これでどうだ?」

「お引き取りを」

「ならば三倍はどうだ?」


 何を言っても「お引き取りを」と馬鹿の一つ覚えのように返される。それでもしつこく粘っていたら痺れを切らした衛兵の一人が明鳳の腕を鷲掴んだ。


「おい! ふざけんな!! 俺を誰だと思っている?! その首、刎ね飛ばすぞ!!」


 ずるずる引きずられながら明鳳は呪詛の如き、暴言を吐く。今まで柄にもなく我慢して大人しくしていた分、口から出る言葉は普段より汚い。ここに玉鈴がいれば「亜王なのに……」と眉間を抑えるぐらい汚く罵った。

 天幕からある程度、離れた場所に着くと衛兵は拘束を解き、尻もちをついた明鳳を見下ろす。


「お客様の個人情報を口外することは規定違反です」


 衛兵は早口で「お引き取りください」と述べ、持ち場へ戻るために踵を返す。

 その背に向けて明鳳は右目の下瞼を引き下げ、舌を突き出した。


 ——糞が。顔は覚えた。絶対に後悔させてやる。


 蓄積された怒りのままに地面を殴ろうと腕を持ち上げ、やめた。その手の握られたサンザシ飴の存在を思い出した。せっかく買ったのにこんなことで駄目にするなんて食い意地が張った明鳳にはできない。

 ぶつくさと衛兵に向かって暴言を吐きながら明鳳は店の影に隠れるように身を潜ませた。蒼淳が出てきたら即捕まえるためだ。

 自分用に購入したサンザシ飴にかじりつきながら天幕を睨んでいた時、背後から覆い被さるように影が落ちてきた。

 急に視界が真っ暗になり、明鳳は驚きに振り返る。


「誰だ?!」


 背後にいたのは黒い外套がいとうに身を包む小柄な人物だった。


「ごめんなさい。何をしているのか気になったの」


 柔らかな声と共に外套の目元が持ち上げられ、そこから覗く双眸に明鳳は口を大きく開いた。


「初めまして。私の亜王様」


 覗いたのは目が覚めるような輝かしい黄金。いつも見ている、明鳳が今現在、最も欲した瞳。どんな宝玉より煌めくを持つのは柳家だけ。つまり、この人物は、



「龍女?」



 明鳳の言葉に龍女は黄金を細めて笑った。

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