第12話 水の精霊


 ばたばたと人が倒れる光景は側からみると奇妙なものだが尭は慣れていた。玉鈴の従者として生活するからには慣れないといけなかった。

 玉鈴が行動をする際によく取るのが他者のをなくす方法である。意識を無くすといっても棒で殴りはしない。対象が一人の場合なら相手の額に触れるだけで眠らせることができる。対象が複数存在する場合は香を焚きしめて眠らせる手段をとっていた。

 今回、玉鈴が選んだのは眠りの香によって意識をなくさせる方法だった。


「尭、ここで待っていてくださいね」


 ゆらゆらと煙が昇る香炉を地面に置くと玉鈴は池のほとりを指差した。

 指示のまま尭が棺を下ろすと小さな水音が耳朶を打つ。音の方角に視線を向けると玉鈴が池に右腕を肘まで突っ込んでいるのが見えた。

 耳を澄ませば何やら小さく呟いている。

 声に呼応するように水面に小さな波紋が幾重にもできて、消えてゆく。

 玉鈴が水から腕を引き上げた。

 すると今度は大きく水が跳ねた。魚が原因ではない。尭の背丈より高く水は跳ね、水面には元に戻らず宙で渦を巻くように集まりだす。それはやがて人の姿を形どった。

 男性とも女性ともとれる中性的な面立ちは背筋はぞっとするほど美しく官能的である。水鏡を思わせる澄んだ瞳が玉鈴と尭を写し、楽しげに弧を描いた。


『おや、今世の龍ではないか』


 清廉な声音が闇夜に溶けてゆく。楽しげに紡がれた言葉は玉鈴の言う「気位が高く、人を下に見ている存在」とは思えないほど柔らかい。


「お久しぶりです。今宵は貴方にお願いがありまして——」

『断る』


 鋭い声で精霊が命じる。途端、目尻が弓のように吊り上がった。


『先日の会話を聞いていたぞ』

「お力添えをお願います」

『断る。あの小僧が我にした行為はお前も知っているだろう?』


 精霊の言っていることがどういう意味なのか尭は分からない。ただ、精霊がその言葉を口に出した瞬間、玉鈴が見るからに言いにくそうに俯いたのが見えた。本気の舌戦に置いて右に出る者はいないと言えるほど口が回る玉鈴が大人しくしているのを不思議に思いながら尭は仁王立ちで行く末を見守る。


『手土産か?』


 精霊の興味は玉鈴から棺に移ったらしく、好奇心が疼く眼差しで棺を見下ろした。


「……そうです」


 答えたのは玉鈴だ。精霊の目が輝いたのを知って、もしかしたらという希望を抱く。しかし、


『我の身体を穢した代償がそれだけか?』


 精霊の言葉にぐっと言葉を喉奥に押し込んだ。


『お前達は本当に哀れだな』


 呆れたように精霊が呟いた。


「僕は哀れではありません」

『いや、哀れだ。そうまでしてに従う必要はないだろう。縛られているのに気づいているのに気付かないフリをする様子は見ていて哀れとしか言いようがない』

「僕は自分の意思でここにいます」

『そう思わなければ心を保てないんだろう?』

「くどい。ここを訪れたのは貴方に華宝林妃にかけられた蠱術を解呪できるか聞くためです」

『答えは可だ。このような軟弱な呪いなど簡単に解くことができる。しかし、我の力は貸さぬ。もし、貸して欲しくばその目も差し出せ』


 精霊は鋭く尖った爪先で金眼を指した。


「これはあげれません」

『知っているさ。それがお前が龍の半身としての唯一の証拠だ。忌み嫌っていても捨てることはできないんだろう? 縋るしかない。そうしなければお前は柳貴妃ではないからな』


 精霊はけたけたと耳を塞ぎたくなる笑い声を周囲に響かせた。

 ややあって玉鈴は尭の名を呼んだ。


「帰りましょう」


 振り返ったその顔は酷く青白い。力を使いすぎて寝込んだ時と酷似している。

 尭は棺を持ち上げようと手を伸ばすが水によってはばまれた。


『まあ、待て』

「もう、いいです。一から考えますので放って置いてください」

『それだと一生がかかっても解くことはできぬだろうなぁ』


 小馬鹿にしたような言い方だ。


『哀れなお前に慈悲を与えよう。明日、西市に迎えば分かるだろう』

「西市のどこですか?」

『教えれるのはこれだけだ』


 水が棺を包み込むと中から干からびた遺体を引きずり出した。精霊は大切に遺体を抱きしめた。


『これは貰う』

「ええ、どうぞ」

『次に我に頼む際はその目を貰うぞ』


 そう言うと精霊の姿は水となり、消え去った。




 ***




「一体、精霊様は何に対して怒っていたのですか?」


 二人揃って蒼鳴宮への帰路についているとき、尭は抱いた疑問を解消すべく玉鈴へと質問を投げかけた。


「……亜王様が塩を投げ入れた池なんです」


 玉鈴は顔を覆った。


「めちゃくちゃ、とても、すっごく怒っていることは予想していましたがまさかここまでとは……」


 五年前、明鳳が海を作るために行った遊びはこの池で行われた。結果、池の魚は腹を浮かせて全滅。周囲に生えていた木々や草はみるみる枯れて、鳥や虫すら近寄らない死の一帯と成り果てた。

 己の身体を穢された精霊の怒りは凄まじく、池に近づく人間がいれば枕元に立ち、恨めしそうに睨みつけた。何度も夢に現れ、恨言を繰り返す陰湿なやり方に、被害に合った人間から「あの池から美しい貴婦人が現れ睨まれた」と何度も高舜に相談がなされ、そこで呼ばれたのが玉鈴だ。

 幽鬼の類かと思っていたが本当は精霊で度肝を抜かれたらしい。その時は四十一代前の龍の子の右腕を差し出したことで気を良くした精霊がこころよく許してくれたため大事には至らなかったが死んだ地を生き返らせるには三年の月日がかかった。

 そして精霊から言われたのが「もう二度と我の身体を穢すな」という言葉だった。

 それなのに、


「華宝林妃がここで亡くなったことも怒りの要因ですね。そして亜王様の登場……。彼が怒る理由は十分です」

「碌なことをしませんね」

「でも、彼は精霊の中なら気の良い方なんです。下手をしたら昼間の時点で亜王様は水の中でしょうね」


 水の中、ということは溺死しているということなのだろう。

 気の良い方でよかった、と尭はほっと一息ついた。

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