学歴の話
今回は、こんなセンシティブな時代には特に反感を買いそうなセンシティブな話題なので先に言っておくが、これは何かが良い悪いという話をしているわけではないし、私見 of 私見(自分用メモ)に過ぎないし、(これはいつもだが)あまり推敲もしていないので言い回しが洗練されていない可能性がある。それでも良いという方はご覧ください。
(特に高学歴者が)誰かに「○○大学出たのにそんなところで働いているの?!」といわれるのをTVなどでみることがあるが、これはどうなのだろう。私はモヤモヤしてしまう。仕事に貴賤はないではないか。それとも、「生かせるものは生かせよ!」ということなのだろうか。まあ確かにそれならばわからないことでもない。「親が高い学費を払って苦労して育ててくれたのだから」というのも、わからないでもない。わからないでもないが、完全にわかるわけでもない。だって、ある大学に行く目的は人それぞれである。特定の仕事に就きたいからこの大学に行くという人もいれば、勉強をしたいからという人もいれば、とりあえず行く、親が言ったから行くという人もいる。それがたまたまその大学だったからであって、働くことを考えて大学に行っているわけではない人もいるではないか。そういう人に対して、学校と職場が釣り合っていないと指摘するのは、ちょっと的外れではないか?と私はモヤモヤせざるを得ない。
高学歴である人は、職務遂行能力も高いことが多い傾向にあるから、統計的差別によって学歴が仕事において有利に働くことに「結果的に」なっていると、社会学の授業で習った。採用担当者は、別に学歴の高い者がほしいのではなく、能力の高い者、これから能力が伸びそうな者をほしがっていて、高学歴の人間にはそういった条件の整った者が多いということだろう。うん、確かにそれはなくはないと思う。社会の全ての事象がそうだとは勿論いわないし、そうでないことも沢山あるとは思うが、それが事実となっていることもあるんだろうなと思う。
私はこの社会学の理論に納得したから、学歴はなんだかんだ、やはり有利に働くこともあると結論せざるを得ない。
この社会学の理論に納得できないとしても、学歴は有利には働くんだろうと思う。
つまり、学歴は有利に働くと思っている高学歴者は自信を得て、更にその自信が高いパフォーマンスを生み出しているという可能性もある。心の問題。プラシーボ効果的なもの?まあとにかく、適度な自信は高いパフォーマンスをもたらすと思う。
またはピグマリオン効果?高学歴者は周りから「あなたはすごい、きっと社会人になっても人一倍活躍する」と言われること、何か良い成果を残したときに学歴を引き合いに出されて褒められたりすることによって、高いパフォーマンスを発揮するようになる…だろうか。難しい。
ダラダラと書いたが、結局は適度に自信を持っていれば何とかなるんじゃなかろうか。不安が強すぎず、ナルシストになり過ぎず、「今の自分はここが素敵で、ここがよくなればもっと素敵になれる」くらいの気持ちでいられれば。
そうはいっても、世の中には色々な人がいて、中にはナルシストも、不安が強すぎる人もいる。それは「色々な個体がいる方が人類の生存戦略として有利だからだ」という点からすれば、当然の話であるから、そういう色々な人が皆幸せに生きていければ良いなあと願うばかりである。結論があらぬ方向へ向かったが、今考えたのはこういうことである。
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