第4話『篝火』
就業中、ずっと体調が悪かった。
具体的には発熱と頭痛と吐き気が常時続いた。
しかし、それを仕事を早退する理由とするにはこの部署に措いてはパンチが利かない。
やり場のない不快感を抱えて、じっと耐えるしかない一日だった。
帰りの電車でも、直立して吊革を握るのも耐え難く、背を丸め、短く息が切れてしまう状態でなんとか帰宅し、期限切れの風邪薬を栄養ドリンクで胃に流し込み、ベッドに倒れ込む。
…それでも、抗いようのない。
白い空間へと誘われるのが私の常だ。
― ― ― ―
煙たさの中で、すぐさま意識を取り戻す。
はじまった。
私は現実世界で眠りにつくと、決まって白い空間へと行きつくのだ。
そこでは真っ白な視野が広がり、しばらくさ迷えばいくつかのドアが現れる。
そのドアの先で、その日その日で待ち構えている非日常と相見える(あいまみえる)こととなるのだ。
しかし、今日に限っては、このドアの先に待ち受けているであろう不穏な出来事を憂う暇がなかった。
なぜだろう。そんな日もあるのだろう。
今日は白い空間をさ迷い歩くことも、ドアを選択する余地も与えられなかった。
現実世界の私の体調と、この世界の何かで感化するものがあるのだろうか。
それにしても煙たい。
モノが焼けた臭いが周囲に立ち込めていると思えば、突然背後から怒鳴られる。
「おい、突っ立ってないでさっさと運びやがれ!」
人とは違う顔をした、長い鼻をもつ象にそっくりな顔をしている。
私は反射的に反応して振り向いたのだが、そんな私も自分を見下ろしてみると羽に包まれていて、どうやら人の形をしていないようだ。
しかも、私はフクロウのように首の可動域が広く、くりくり、ぐりぐりと自由に動かせたものだ。
身にまとった羽を解き、腕の存在を確認する。
続けざまに、象の顔をした男が私に指示を出した。
頭の大きさに見合わず、口が小さい。
「パオーン」
というようなわずかな口の動きしか見せないのに、しかしそれでもはっきりとした重く低い声が頭をつんざいてくる。
おのずと、いつものように自分の置かれた状況が頭へとインプットされ始める。
ここは炭小屋。私はここで炭職人の見習いという身分だ。
今は親方が仕入で不在の中、一番弟子の像の顔をした男と、その見習いの私とだけで炭をつくらねばならなかった。
象の顔の男をこれ以上苛立たせないようにと、急いで炭窯に敷き詰める素材を運んだ。
炭窯は小山の斜面をくり抜いた窪地にあり、その開けた窪地の奥に洞窟のようにしてぽっかりと空いたところが窯の入口であった。
良質の粘土で出来た小山のおかげで、ここでは窯の入口と、煙が抜ける出口の煙突さえ地下掘りで作ってしまえば、炭窯が出来てしまう。
あとは炭にする素材を入れて高温で焼き、頃合いを見計らって入口と出口を粘土で塞いで消火を待てば炭が完成する。
炭窯のすぐ隣にある納屋から、乾燥した素材を運ぶ。
木の枝の、そのどれもが人間の腕や足に見える。
細い丸太の先端には、決まって五つに分かれた指のようなものがみられるのだ。
しかし、人間のものに見えるがそれは木材なのだ。
なぜなら、その素材の指に見える箇所から、枝によっては枯れた葉が生えているからだ。
そんな人間はいないだろう。
なぁ、そうだろう。
象の顔をした男と一緒になって、ワンルームマンションほどの広さの窯の中へぎっしり素材を敷き詰めた。
突き出た無数の手に見える木材がひしめき合っている様子を、入口から覗く。
なにやら助けを求められているかのようにして、多くの手がこちらを向いている。
象の顔をした男が、その枝をいくつか払いのけると、入口を粘土で塞ぎにかかったので私も手伝った。
小さく残した穴から、象の鼻のように伸ばしたトンネルをつくり、その先で火を焚き始めた。
やがて、白い煙が窯の上の煙突からもくもくとのぼり始めた。
周囲に生き物の焼けるような臭いが立ち込めるが、たぶん気のせいだ。
粘土の壁をがりがりと引っ掻くような音が耳に残るのも気のせいだ。
忙しく動き回る作業にひと段落ついた安心感からか、自分の体調がこの世界でも相変わらず不調なことを意識し始める。
ここからは火の温度を調整しながら、水分の抜けた煙が確認できるまで交代で当番を務めるはずなのだが、今回は耐えられそうにない気がした。
象の顔をした男は、そんな私を見かねて、今日は朝まで一人で見るから部屋で休んで来いと声をかけてくれた。
その声は相変わらずはっきりとして、低く重く響く声だったのだが、そのつぶらな瞳だけはいつも優しいのであった。
まだまだ、夜は深い。
かがり火から松明に灯りを移すと、ゆらゆらと揺れる影をどうにか操りながら、居住小屋へと向かう。
窯の前を離れたのに煙の臭いが身体をつきまとう。
ほどなくして、いつものように炭窯の方から。
何やらうめき声や叫び声に似たざわめきが伝わってくるのだが、それも気のせいだろう。
小屋の扉を開くと、テーブルの上に鍋が置いてあった。
中にはシチューが入っていて、ほどよい暖かさを感じた。
ー ー ー ー
目が覚めた。
天井に向かって、腕が伸びている。
何かを掲げているような形だ。
「炭火焼シチュー…」
と、一言声が漏れた。しかし、それがどんな味だったのか、思い出せなかった。
体調は少し回復したようだが、口がやけに乾いていると思い、蛇口を捻ってグラスに水を勢いよく注ぐ。
口をゆすいだ後にうがいもして、それから一口だけ喉に水を通した。
それでも不快感が癒されず、ティッシュを手にとり鼻をかむと、炭のようにどす黒いものが流れ出たのだった。
ー ー ー ー
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