百合文芸

黒岡衛星

1.文芸部の顔のない後輩(仮)

 わたしにはわからない。

「先輩はほんと、顔がいいですね」

「自分ではわからないけど」

「いやほんと、そう思いますよ」じゃなかったらこんなしつこく言ってませんて。

 わたしは顔がいい、のだろうか。この後輩が物好き、悪趣味なだけなんだと思う。少なくとも一般的な美形をしているとは思っていないし、もてたことも、可愛がられたことも、疎まれたことも一切ない。

「理想の顔です」

 目の前に表情が生まれた、ような気がする。

 掌掌たなごころ・てのひらはわたしの、文芸部員唯一の仲間で、後輩で、顔がない。

 のっぺらぼう、というやつだ。

「こんな顔に生まれたかった、んですよ」

 いくらパーツがないとはいえ、顔、いや便宜上顔と呼ぶけど、を近づけないでほしい。どきどきする。

 もっていかれそう、というのもあるが。

 掌は美少女だ。それはたとえば、アイドルは顔じゃない、という時のような。所作、だとか、声だとか。

 よくできたマネキンが、人として動いてる、みたいな。ううん、難しい。

 美少女であることは間違いないのだ。しかし、それを伝えるのは難しい。

 文芸部員なのに。

 ここ、文芸部の主な仕事は図書委員の手伝いだ。詩や小説を書いたりすることはあまりしない。

 だから本来は『図書委員補佐』とかでもおかしくないのに、伝統だかなんだかで『文芸部は必要』ということらしい。

 要は、図書委員の手伝いさえすれば部費と部室もらえるよ、という話なので、喜んで参加しているし、暇なときは部室で読書、掌はソシャゲをしている。

 ゲームが文芸か否か、みたいな難しい、めんどくさい議論をするつもりはないけど、部活中にソシャゲはやめた方がいいんじゃないかな、と思ったりはする。

 わたしだって図書室からだけじゃなく、ブックカバーをかけなくてはいけないタイプの本を持ち込んでいたりするので大きな声では言えないが。

 狭いながらも楽しい部室、でやることといったら読書とソシャゲだけ。これは部活なんだろうか。深く考えないことにする。楽しいし。

「先輩はまたBL読んでるんですか」

「いつも読んでるみたいに言わないでよ」たまに、だ。「今日は真面目なの読んでる」

「うわ」

「うわって」

 わざとらしく顔をしかめてみせるのが見えるよう。彼女は基本的に読書しないのだ。決してわたしがBL以外を読んでるから珍しがっている、わけではない。

「先輩、あんまり難しい本を読んでると『むずかしい本おばけ』が出ますよ」

「え、なにそれ、ちょっと出てきてもらえるかな」

「そのおばけには、顔がないんですよ」

「あんたじゃん」

 わたしの淡々としたツッコミがよほど面白かったのか、けたけた笑う。確かになんかおばけっていうか、妖怪ぽいけど。

 その声はどこから出てるんだ。

「ヒラちゃんもたまには本読んだら」

「そうもいかないんですよ、あと『ヒラちゃん』て呼ぶのやめてください」

「『あんた』はいいんだ」

「先輩ですし」

 まさにその先輩である自分が言うのもなんだが、横暴な気がするし、その基準も何か間違っているような気がする。ともあれ。

「わたしがソシャゲを、この『みんなで救う地球クエスト』をプレイしないと地球が滅ぶんですよ」

「24時間テレビみたいな名前だね」

「愛は地球を救うんです」

「そうなの」

「愛・地球博」

「それは違う」

 ここ、愛知でもなんでもないし。

「先輩も救いませんか、地球」

「えらくフランクに来たね」

「今ならスタートダッシュで化石燃料が百個もらえますよ」

「救う気ないでしょ、地球」

 また、おかしそうにおなかを押さえてけたけたと笑う。

「漫才でもやりますか」

「地球救うんじゃないの」

「漫才でも地球は救えると思うんですよ」

「あれ、もう始まってる」

 いつもいつも、この調子だ。

「いや、いいんですよ、とにかく、ふたりで何かしましょうよ」

 うーん。

「読書会、とか」

「あー」

 もし眉があったとしたらハの字になっている、そういう声。

「思うんですけど」のぺっとしているくせに、神妙そうな声で言う。「読書って、プレイ人数ひとりじゃないですか」

「プレイ人数て」テレビゲームか。

「それぞれがひとり用のゲームを持ち寄っておのおの勝手に遊んでて、いやうちのゲームこうだったんだけどさ、ああそれうちのもそうだよって言っても、不毛じゃあありませんか」

「ソシャゲよりましじゃない」

「難しいところですね」

「簡単な話だと思うけど」

 掌はすこし考えるような素振りをして、「でも、読書が孤独な趣味だから浸れる、と思ってるところ、先輩にもありませんか」

「まあ、確かに、そうかな」

「読書は孤独な趣味、ってなんかかっこいいじゃないですか、多分」

「馬鹿にされてる」

「してないですよ」

 顔がないので表情が読めない。

「とにかく、読書を複数人でしてもむなしいのでは、と言いたい」

「なるほどねえ」

 あまりひとのことを、特にこういった慕ってくれている後輩の言葉をこうして評するのは良くないのかもしれないが、よく回る屁理屈だ。

「では、やりましょう」

「ソシャゲを」

「読書会を、です」

「えー」

 この後輩と知り合ってから、声色を読む重要さを知った。いや、この場合はそうするまでもないけれど。

「漫画でもいいですか」

「だめです」

「じゃあ辞書でもいいですか」

「いいよ、何辞典にする」

「ごめんなさい言ってみただけです」短めの話がいいです、とこっちは本音だろう。

 そろそろ下校の時間だ。お題だけ決めて帰ろう。


 帰宅して、本棚から『十角館の殺人』を取り出す。何を隠そう、いやそこまで大げさに言うことじゃないと思うけど、わたしは『館シリーズ』が大好きなのだ。

 明日、掌に貸す。『布教用』という言葉は冗談みたいに使われがちだけど、少なくともわたしに限っては本気だ。

 しかし、無茶振りをしてしまったが、掌は気を悪くしなかっただろうか。

 小心者のわたしは心配になる。だって顔がないんだもの、もしかしたら視力が悪いのに眼鏡をかけられないのかもしれない。いや、本来目がある位置にかければ大丈夫なんだろうか。そういう話じゃない、たぶん。

 なにか、本を読みたくない、読書が嫌いだという理由があるのかもしれないし、そもそも、彼女は読書会に難色を示していたわけで。

 漫才の延長で決めてしまったけれども、そもそも『十角館の殺人』てあんまり短くないのかもしれない。そういう感覚が抜けている。

 とりあえず、『十角館の殺人』を一度読み返したほうが良いのではないか。いや、わかってる。根本的な解決ではないだろうし、そこに冷静さとか、客観性とかそういうものは一切ない。

 現実逃避か。

 現実から逃げるための読書、をわたしは肯定する。というか、大げさな言い方になってしまうけど、生きるために必要な、よすが、って言うんだっけ、なにか、そういうものだと思ってる。

 でもこれは違う。

 そんな大げさな話じゃなくて、でももしかしたら大きな話で。大切なひと、友人、と言っていいと思う、そういうひとについて考え、悩むことが面倒になって投げ出そうとしているのだ。

 このままでいいのか。それとも寝るべきなのか。生きるべきか死ぬべきか。言い過ぎ。でもちょっと言ってみたかった。

 この時間じゃもう、掌は寝てるだろうし。

 ううん。

 結局、朝になってしまった。『十角館の殺人』も読み返したし、掌に貸すためにかばんの中にも入れた。

 保健室で寝てから行こう。そう決めて家を出た。


 保健室に掌がいた。

「どうしたの、大丈夫」

「ていうか、むしろそっちですよ」わたしは寝に来ただけです、とベッドに倒れこむ。

 養護教諭の七角先生はなにも言わずに寝かせてくれる。でも。

「ああ、いまちょうど全部埋まっちゃったね」

「そうですか」

「しんどいかい」

「いえ、たぶん大丈夫かと」

 仕方ない、眠いけど授業受けるか、徹夜したのは自分の責任だし、と思い出ようとすると、掌から声をかけられた。

「先輩、こっちにどうぞ」

「ヒラちゃん大丈夫なの」

「だから、一緒に。あとヒラちゃんて呼ばないでください」

 あまりにも軽く誘われたもんだから、つい、いいよと返してしまった。眠かったし。

 まあ、そんな眠気、吹っ飛んだけど。

 目の前に顔のない美少女。

 ううん、いくら顔がないとはいえ、緊張する。だって目の前に横顔、いや顔じゃないな、頭部、って言い方もどうなんだろう、便宜上顔ということでいいかな、のアップが。

 制服越しに、布団の圧と、掌の体温と心音を感じる。

 落ち着け。ヒラちゃんはこんなに落ち着いているじゃないか。これじゃまるで。

 いいにおいがする。

 吹っ飛んだ眠気が、今度はもう考えるのをやめてしまえよと囁いてくる。

 いいにおいがする。変態か。

 そうなのかもしれない。ヒラ、掌ちゃん、ごめん。

 わたしは幸せな気持ちで眠りへと落ちた。


 ああ、これは夢だ。

 掌に顔がある。

 わたしの手元にはなぜかたばこがあって、すでに火が着いている。

 ヒラちゃん、掌は眼鏡を選んでいる。

「先輩」どっちが似合いますかね、と訊いてくる。

 このたばこをヒラちゃんの眼球に押し付けたら、どうなるんだろう。さめるかな。

 吸ってみる。けむりはかつおだしの風味がした。

「ヒラちゃん、コンタクトにはしないの」

「ううん、確かに、迷ったんですけどね」コンタクト入れるの、怖いじゃないですか。

 なぜだろう、あまりかわいくない。

 掌は美少女だったんじゃないのか。顔がなくても。

 いや、不細工だなんていう話じゃない。顔があるタイプの美少女にしては十分、だろう。いやそもそも。

 顔がないタイプの美少女、って、どんなだっけ。

 たとえば、掌の他に誰か、いただろうか。

「先輩」先輩こそ、コンタクトにしないんですか。

 気がつくとわたしの手からはたばこが消えていて、いつの間にかわたしのほうが眼鏡を選んでいる、ということになっていた。

「先輩」視力が悪いなら、いっそ潰しちゃいましょうか。

 目の前に、たばこの、火。


 あわてて目を覚ます。怖い。怖い。漫画なら『がば』って描き文字が載るところだ。

「どうしました、先輩」ううんむにゃむにゃと、これもまた漫画みたいなリアクションをする掌。

 ああ、うん、ごめんね、起こしちゃった。と、わたしも寝起きなので若干ぼんやり謝りながら、目の前の顔のない後輩の顔、便宜上そう呼ばざるを得ない、を見る。

「そんな見つめないでくださいよ」照れるじゃないですか。

「ねえ、ヒラちゃん」

「だから、ヒラちゃんて呼ばないでくださいよ」なんですか。

「視力、いくつ」

「ええと、前測ったときは左が一・○、右が一・二でしたね」先輩はどうです。

「最近ちょっと落ちてる、気がする」

「眼鏡でも作りますか」

 いや、もうちょっとがんばる。と答えると、そうですか、ではわたしはこれで。と、どこかに行くかのようなあいさつをひとつしてから二度寝した。

 びっくりした。

 あんなもの、夢。それはそうだろう。なんでかつおの風味のたばこを吸っていたのだわたしは。

 わたしも二度寝したいかというとあまりそういう気分じゃない。素直に授業に戻ろう。


「やっぱ、本ばっか読んでちゃだめですよ」

「読書会なのに」

「お茶会にしませんか」

「しませんね」

 珍しく、しぶしぶ、掌は本、『十角館の殺人』を読んでいる。

「だいたいずるいですよ、なんで先輩は読み終わってるんですか」

 言われてみれば、そんな気もする。

「じゃあ次はヒラちゃんが好きな本でいいよ」

「二回目があるんですか。あとヒラちゃんて呼ばないでください」意外と律儀だこの後輩。

 読書する姿がなかなか様になっている、だなんて、上から目線だろうか。

「鏡の国のアリス」

「えっ」

「鏡の国のアリス、好きなんですよ。なので」

 なので。

「いまやってる『あなたが救う地球クエスト』のアリス・コラボ、やりませんか」

 だと思ったよ。

「タイトル変わってない」

「あれとは別の会社のゲームですね」

「訴えられないの」

「さあ」

 文芸部がソシャゲ部になる日もそう遠くない、気がする。

 それだけは全力で避けたいものだが。

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